奴隷が、多分思うこと。
「御主人様に何をしたら、喜んでもらえるのか?」
これを全く考えない奴隷というのは、ある意味、精神的には、まだ奴隷化していないようにも思うのだが、そういう奴隷も居ないわけではないと思うので、全部の奴隷がこういうことを考えているとは言わない。
でも、多くの奴隷が、これは思っていることのように思う。
私の過去の奴隷たちも、色々な方法で、これを知りたがっていた。
ストレートに、「御主人様に、どんなことをしたら、いいでしょうか?」なんて聞いてきた奴隷もいるし、
何も言わずに、でも、ものすごく悩んでいるのだけは態度からわかって、その内容をやっとのことで、聞き出してみたら、そういうことを真剣に考えていた奴隷も居た。
また、このブログを読まれた奴隷の方から、いただくメールでも、こういう部分に関するご相談、ご質問というのは、かなりの数、見受けられるので、やっぱり、これは気になることなのだろうと思う。
それに、御主人様っていうのは、喜んでいるのが、わかりにくい人が多いようにも思うから、ノーマルな恋愛に比べて、奴隷がこういうことを思ってしまうことが多くなるのは、必然なのかもしれない。
なので、今回は、これについて書いてみようと思う。
まず、御主人様というのはなにか?ということなのだが、当然ながら男だ(女性のS、つまり女王様のことは、今回は割愛する)。
だから、基本的に男の欲求が満たされることというのが、大前提としてある。
まずは御主人様を性的に興奮させること。
というのが、大きな喜びを与えることになると思う。
具体的に言ってしまえば、如何にして、気持よく射精させられるか?ということ。
そのための技術や、能力を持っていることや、それに対して一生懸命にすることが、御主人様を喜ばせることの一つの要素だろう。
御主人様の純粋な性欲面だけを、まず考えるならば、これに尽きるといっても過言ではないと思う。
そして、もう一つ、S性の面から考えた場合。
奴隷が奴隷らしく振舞っていること。
それが、多分、御主人様のS性を満たし、喜ばせることになるだろうと思う。
だた、これが、おそらく難しい。
男の性的な快感というのは、大抵が、射精することが一番になる。
だから、性的な喜びを与えることというのは、かなり分かりやすい。
でも、それに比べて、S性を満たすということは、少し違う。
御主人様によって、S性の方向というか、どんな刺激や奴隷の状態にS性を感じるか?というのが、かなり違うから。
個人差が大きな部分だ。
例えば、
奴隷に、とにかく苦しみを与えるのが好きな御主人様なんかもいる。縛り上げ、蝋燭や、鞭などを振るい、目の前で泣き叫ぶくらい苦しんでいるところを見るのが好きで、それによってS性が満たされる御主人様がいる。
一般的に思われている、オーソドックスなSMのイメージかもしれない。私の初期はこれが近いようにも思う。
その一方で、奴隷に手を触れようともせず、奴隷が床に這いつくばって、足を舐めているような姿を見下ろしている状況に、S性を満たされる、なんて御主人様もいる。
私の後期は、徐々にこちらにシフトしてきたように思う。前に”
静かに満たされるS性”というのも書いたが、そういうようなことだ。
縄などで、物理的に、また命令や雰囲気などで、精神的に、自由を奪い、服従させ、完全に支配しているということに、快感を覚える場合もある。これは、私の中では、最初から、ずっと同じようにあることだ。
他にも、奴隷が羞恥に悶えるのを見ているのがいいとか、性欲に突き動かされるまま、淫らに乱れている姿がいいとか、御主人様によって、その嗜好は色々で、挙げたらきりがない。
さらには、S性と言って良いのかどうかも疑問だが、奴隷という立場だけが必要で、あとは、恋人のように、楽しく過ごすことが一番だと思っている御主人様なんかもいる。
あとは、フェチなんかもある。
本当に様々だし、私が初期と後期でも、少しづつ違ってきていたように、同じ御主人様でも、主従を続けるうちに、S性の方向が変わってくる場合もある。
それに、多くの御主人様は、否定するかもしれないが、飼っている奴隷によっても変わる。
御主人様が自分の好きにすると言いつつも、奴隷が変わっても、その影響を全く受けずに、全く同じように行ける人というのは、おそらくそれほど居ないと思っている。
自分はそんなことはないと、私も思っていたのだが、こうやってブログを書いて整理してみたら、奴隷ごとに、違う部分がありすぎて苦笑した。
もちろん、根幹が揺らいでいるとか、奴隷に常に合わせているとか、そういう意味ではないのだが、奴隷によって変わる部分は存在する。
でも、奴隷によって変わったなんて、認めたくない御主人様は多いと思うから、多分、そんなことは言わない。
と、こんな感じで、色々なパターンがある。
だから、奴隷が、S性を満たすということで、御主人様に喜んでもらおうと考えたときには、その御主人様の(その時の)S性のツボのようなものをしっかりと見極める必要があるだろう。
それから、私が多分、ものすごく嬉しいのは、奴隷と分かり合えた時だったと思う。奴隷との信頼関係を感じられたとき、奴隷と気持ちが通じたと思えた時、深い絆ができたことを実感した瞬間というのは、嬉しい。
ただ、このことは、私はとても重要なことだと思うのだが、今、この話を含めると、長くなりすぎるので、今回は、とりあえず、外す。
性欲、またS性ということに絞って、話を進める。
奴隷の側から、御主人様を喜ばせることを考えた時、最初に奴隷が思いつくのは、多分、奉仕をする、ということではないか?と思う。
そして、その奉仕というものは、フェラチオであったり、足舐めであったり、他にも、いくつかあるが、ある程度の事柄に限定されてくると思う。
でも、実際、奴隷に奉仕をさせることが、一番の喜び、性欲や、S性を満たされることになっている御主人様ばかりではない。
私は、奴隷の奉仕は嬉しかったから、私のS性というのは、奉仕にも大きく反応するものというか、奴隷が自分から必死で考えて、奉仕をしようと思ってやっていることには、とても喜んでしまうのだが、
「奉仕なんて考えずに、ただ黙って、命令に従っていろ」なんてことを思っている御主人様も居る。
つまり、奴隷が考えて何かをやることよりも、御主人様自身が、ずっと好きに奴隷の体を使っていたい。それに奴隷は、付きあえばそれでいい。
という人もいるわけだ。
だから、奉仕することが、すべての御主人様にとって、喜ばせるための、最も良い方法だとは、私は言えないと思う。
そういう場合には、無理に奉仕をするのではなく、御主人様のしたいように身を任せるというのが、多分、その御主人様を一番喜ばせる奴隷の態度なのだろうと思う。
奉仕をすれば、それで御主人様が喜ぶのだと思ってしまうと、ちょっと違うことになるようにも思う。
奉仕のことを、例に出してみたが、例えば、性処理の時などでも、奴隷が慣れている方がしやすいからいいという人もいれば、初々しさが嬉しい人なんかも居る。
やはり、上で書いたような多様な事柄の中から、御主人様のS性を見極めること、というのが、大事だ。
だから、御主人様を喜ばせたいと思うなら、まずは、御主人様をしっかり観察したらいいと思う。
どんなときに、嬉しそうにしているのか?見てみること。
調教中に、嬉しそうに笑う御主人様は少ないかもしれないが、例えば、何かをしたあとに、雰囲気として、満足感が出ているとか、フッと息を抜く瞬間とか、
そういうことからも、御主人様の心境の変化や、満たされた感じというのは、推察できるようにも思う。
完全にポーカーフェイスで通してしまう人も居るだろうから、わからないこともあるかもしれないが、それでも御主人様を見ていれば、なんとなく、良いのか悪いのかというのは、気がつくのではないかと思う。
それに、御主人様がやりたいことの傾向というのも、そのうちわかってくると思う。
毎回、必ずやる調教というのは、やっぱり御主人様としても、やりたいこと、つまり、性欲や、S性を満たされることである場合が多いだろう。
満たされないことを、わざわざいつもやり続ける御主人様というのも、あまりいないと思う。
奴隷のことを考えて、そのM性が満たされるようにと、やることを決める御主人様も居るとは思うし、何か次の段階への布石としてやっていることもあるが、それでも、調教の中に、自分のS性を満たすようなことを、少しは、入れてくるだろう。
御主人様を喜ばせたいと、もしも願うなら、奴隷は馬鹿になってしまってはいけないと思う。
頭をちゃんと働かせなければいけない。
もちろん、難しい勉強や仕事が出来るとか、頭の回転が速いとか、そういう意味ではなく。
御主人様をきちんと見て、その心境を推察し、それにどう対応するのがいいのか?を、ちゃんと考える姿勢を持つ。
例えば、「命令に従う」ということにしても、本当に何も考えず、”ただ単に”、命令されたからそれをしているのではなくて、
御主人様が、「忠実に命令に従う奴隷」にS性を満たされることを察知した上で、”それがいいのだときちんと判断して”、命令に従う。
更に言えば、その命令に従うことに、自らのM性を重ねて、喜びに変えるようにできるなら、なおいいと思う。
同じように、命令に従うだけの奴隷だったとしても、これを考えているかどうかでは、多分、違うと思う。
いきなり、できるとは思わないが、そういうことを少しでも考えるように意識している奴隷、もう少し簡単に言えば、ちゃんと御主人様を見ている奴隷が、私は御主人様を喜ばせることのできる奴隷になりやすいと思う。
御主人様は、奴隷を見ていると思う。少なくとも私は、しっかりと見ていたいと思っていた。それが十分だったかどうかは、分からないが。
それと同じように、奴隷も、御主人様をある程度、冷静に見ている必要があると思う。
冷静といっても、雰囲気に酔うなという意味ではなく、しっかりと主従の雰囲気に入った上で、御主人様のことを見ていたほうが良いと思う。
そしてそれは、御主人様を喜ばせるということもそうだが、同時に、御主人様が決定的な間違いを犯しそうになったときに、ちゃんと指摘できるということでもある。
だから、”御主人様を見る”ということは、主従関係にとって、とても大切なことだと私は思う。