理系Sの牝奴隷には言えない話
”御主人様”、vetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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主従として過ごしている時、SMプレイであったり、一緒に部屋に居るときであったり、電話などで、会話をしているときであったりに、奴隷が発情することというのは、関係が深くなれば、それほど珍しくなく起こる。

その、発情の度合いも、絶頂するほどのこともあれば、性器を濡らすとか、小便を漏らす、涎を垂らすくらいのこと、涙を流すとか、顔が紅潮するとか、体が震える、声の感じが変わるとか、奴隷によっても、その時の状態によっても違う。

また、激しいプレイをすれば、大きく発情して、会話程度だと、発情が少ない、とも限らない。

SMや性処理で、激しくすればするほどに、発情度合いが大きくなった奴隷もいれば、

特に、そういうプレイをしていなくても、少し触れただけで、絶頂するように調教できた奴隷もいたし、

発情するのを、自分で抑えてしまう傾向があって、どんなことをしたときでも、発情するのに、時間がかかった奴隷もいた。

私の接し方もそうだし、奴隷のM性や、性欲、そのときの気分や体調などにも、左右されていたのだろうと思う。

そんな中で、特に感じたのは、奴隷が、主従の雰囲気に、しっかりと入り込んでいる時と、そこまで行けずにいるときとで、同じことをしたとしても、発情の仕方が、大きく違っていたように思うということ。

それから、私が奴隷を発情させて楽しみたいと思って、何かをした時には、そうならず、私が、特にそんな意図もなく、普通に過ごしている時に、発情していたりもする。

奴隷の発情というのは、調教が進めば、ある程度、コントロールできるけれども、完全に私が支配できるものでもなかった。

それを、常に思い通りにできると言っていた御主人様もいたので、できる人にはできるのだろうと思うが、

私にしてみると、こうすれば、こうなる、という、法則が見つけにくいものだったので、なかなかに、難題だなと思っていた。

わかるようで、わからない。

だからこそ、面白いものでもあるし、奴隷の個性を感じられるのが嬉しいことでもあった。

そんな、奴隷の発情条件についての話。

SMプレイをしたり、性処理に使ったりというのは、大きな発情条件の一つであることは、確かだけれど、それは、直接的に、わかりやすいことなので、このエントリーでは、いいとして。

それ以外の、私が、当時、不思議に思ったことについて、主に。


一緒に車に乗って、主従のことでもなく、笑って、普通の話をしていて、信号で、止まったときに、少し肩に手を触れただけで、ビクッとして、しばらく震えが止まらなかった奴隷が、別の日に、SMをしたときには、なかなか、感じることができずにいたことなんかもある。

これについては、しっかりと話をしたかどうか、が、発情条件だったのかな?とは、あとから、思った。

ドライブでは、それなりに長く、話をした、というか、私は聞き役が多いので、奴隷の話をじっくり聞いたあとに、触れた。

でも、後日のSMでは、それほど話をせずに、プレイに入った、という違いはあった。

あとは、車や、遠出という、普段はあまりしないことだったから、奴隷の心境も、いつもと違っていた可能性はあると思うが、それが、条件なのかどうかは、よくわからない。

ともあれ、こういうときに限らず、奴隷の発情条件の一つとして、会話が、含まれているだろうということは、思う。

SMプレイの場でも、実際に、調教を始める前、最初の会話で、良い雰囲気ができると、それは、その後の奴隷の反応に、大きく出ていたように感じた。

会話が雰囲気を作る、のであれば、他に、奴隷に向けた要素、例えば、私の表情とか、仕草なども、雰囲気に関係していたはずなので、それも、発情条件になるのだろうなと思う。

こうやって、いろいろな条件が組み合わさって、SMが、作られていく。こういうのを考えるは、とても楽しい。

また、会話もなしに、いきなりSMをする人もいるので、それはそれで、おそらく、会話をしない、ということが、発情条件なのだろうなと、思った。

こういうふうに、いつもしていること、されていること、それがその主従の当たり前になり、発情条件にも、なっていく。

これが、調教を重ねていくことで、生まれる効果の一つだと思う。

また、いつもすることが決まっている場合、たまに違うことをすると、それが、アクセントにもなる。

そういう、ギャップが、発情する条件になっている奴隷もいると思う。

ただ、あくまでも、私の主従の場合、なのだが、たまに違うことをすると、奴隷が、それに驚いて、発情するよりも、不安になるようなこともある。

奴隷の中で、不安が勝ってしまうと、当然ながら、雰囲気に入ることが、難しくなる。

だから、違うことをするというのは、必ずしも、発情条件になるわけではない。

奴隷の性格や、サプライズで、うまく雰囲気を作れる御主人様にとっては、驚かせることで、一気に、発情させることもできるのかもしれないが、それは、私は、うまくないのだろうなと思う。

だから、奴隷の性格や、性癖の違い、また、その主従によって、調教の仕方が変われば、奴隷の発情条件も変わってくる。


また、もう少し直接的に、SMについての話というのが、奴隷のM性や性欲に作用していることは、普通の会話よりはわかりやすいことではあった。

別に、エロ話を、それっぽくする、ということではなく、その奴隷が経験したことがないSMプレイについて、私がやったり、知っていることがあれば、どういうものなのか?と、淡々と説明しているだけでも、奴隷の発情条件になり得る、ということ。

話をしながら、したことのないプレイについて、奴隷に想像させる。

「お前は、〇〇をされたら、どんな感じだと思う?」

という風に考えさせる。

そして、奴隷が想像し、語る、その場面を一緒に想像し、共有する。

それだけでも、奴隷が濡らしたりする。

私も驚いたのだが、縄をかけてもいないのに、縄酔いのようになったこともある。


また、すごく簡単な例だが、洗濯バサミで、責めるような話をしたとして、後日、買い物などにでかけて、日用品の売り場に売っている、洗濯バサミの前で、奴隷がしゃがみ込むようなこともあった。

これは、地雷のようなもので、事前に仕掛けておいて、後で触れると、発動するような、発情条件かなと思う。

これについては、私としては、仕掛けたという、自覚がないことが多かったりする。

たまたま、奴隷と買い物に行って、日用品の売り場の前を通っていたときに、奴隷が唐突にしゃがみ込むから、何があったのか?と思って、最初はびっくりした。

奴隷が、

「こ、これ…」

と、必死で、洗濯バサミを指差すから、

「お前、家の洗濯バサミ、足りないのか?」

と、素で、聞いてしまう。

私には、仕掛けた自覚がないというか、そもそも、洗濯バサミを使ったSMプレイについて、説明したことも、忘れていたりする。

そういう説明は、何度でも、していたし、奴隷に聞かれれば、似たようなことでも、話していたから。

でも、奴隷はちゃんと覚えていて、その話から想像したことを、売り場の洗濯バサミから思い出して、発情してしまっている。

「いえ、このこと、おっしゃってましたよね…」

「ん?」

「だから…」

「あぁ。そう言えば、前に、洗濯ばさみの話、したな…」

と気が付き、奴隷のあまりにも大きな反応に、私が驚いたりする。

しかも、それを私も、口に出して、言ってしまうものだから、余計に、奴隷の発情に拍車をかける。

というようなこともある。

私は、奴隷が主従のことや、SMのことをよくわからない場合には、事前に説明しておくことが多いので、

そこで、いつの間にか、奴隷に、地雷を、結構仕掛けてしまっていたのだが、仕掛けておいて忘れているという、私のせいで、厄介なことになる、発情条件もあったりする。

SM器具については、専用のものを使う場合が多かったが、用意が間に合わなくて、身近なもので、代用することもあったし、

「お前には、これで、十分だ」

という意味で、あえて、100均などにいき、安く手に入るものを使うこともあった。

だから、こういうことが起こったりもする。

これはこれで、面白いのだけれども、表の世界に影響が出る場面もあるので、少し困った、発情条件でもあるなと思う。

また、こういう、表の世界の場所ではなく、実際のSMプレイのときにも、仕掛けた地雷が発動することはある。

私が、SM器具を何か手に持ったり、奴隷に、用意させたりするとき、それを、使う前、奴隷がその器具を見ただけで、発情していることなんかもあった。

もちろん、これからSMをするのだという雰囲気もあったとは思うが、事前に、その器具を使った調教についての話をしていたことも、影響していたのだろうと思う。


そして、奴隷の発情条件として、大きな比率を占めるものに、私の状態、というのもあるのだろうなというのは、思った。

私が、体調が悪いとか、疲れているとか、あまり、元気に見えない場合には、奴隷も、発情しにくいように感じた。

また、表の世界の何かのせいで、考え事をしていたりして、精神的に、落ち着かなくて、奴隷といても集中できていないときなんかも、そうだったかなと思う。

そもそも、奴隷の前では、普段も、そんなに元気に振る舞っているわけでも、ニコニコしているわけでもないので、私としては、いつもと変わらないつもりで、接しているのだが、不思議なことに、奴隷は、そういうことには、結構、気がつく。

そして、奴隷は、私を心配してくれた。

でも、私を心配するときの奴隷は、発情条件を満たせないことが多い。

やはり、私が、普段と違う、ということは、色々な不安を、奴隷に与えたのだろうと思う。

そして、それは、発情条件を崩してしまう、大きな要素になったのかなと思う。

もしかしたら、奴隷にとっては、一番良くなかったことなのかもしれない。

御主人様が、元気に、いつものどおりの御主人様でいることで、奴隷も、安心して、雰囲気に、入ることができ、思いっきり、発情することも、できるのかなと思うと、

御主人様というのが、奴隷にとっては、良くも悪くも、一番大きな、発情条件なのだろうなと思う。

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奴隷を、”物”として、扱うことを、私は、普通にしてきた。

調教のときには、特にそれを言っていたと思う。

「遊ぶための道具」だとか、「ただの穴」だとか、そういう、SMの定番の言い方を、私はためらうことなく奴隷に使っていたし、そういう言葉で貶められる奴隷の反応が、私のS性を刺激してくれた。

それは、奴隷との間に、立場の差をしっかりと作ることにもつながっていたと思うし、そうしたいという私の意思を、示した言葉の一つだと思う。

また、おそらく、奴隷もそう受け止めたのだろう。

それを言われることで、奴隷であることを、感じていたように見える。

対等ではなく、下の存在として、蔑まれて扱われること、私の好きにされること、そういう立場であることに、奴隷としての価値を見出し、それが、M性を刺激されることにもつながっていたのだろうと思う。

こういう言葉を使って、また、そういうものとして、奴隷を扱うこと自体は、主従としては、よくあることだと思うし、私も、悪い事だと思ったことはない。

むしろ、そういう関係を望むから、わざわざ主従になったのであって、そうじゃないなら、ノーマルな男女関係、恋人でいい。

だから、御主人様と奴隷であったり、飼い主と家畜やペットであったり、持ち主と所有物であったり、お互いに、それを強く望んでいるからこそ、言葉としても、そうしたということは、私もわかっている。

奢った言い方をするなら、奴隷が、自分のことを、奴隷であり、奴隷としての価値、自分の価値を、私の言葉に見いだしていたのかなと思う。

そういう言葉の中の一つに、

「お前は、俺が使いたいときに、好きなように使う」

と、いうものがあった。

目の前に、奴隷がいて、一緒に過ごしているときに、これに類することを言い、私が、私のタイミングで、調教したり、性処理に使ったりしていた。

そういう行為に限らず、部屋で過ごすなら、飲み物を持ってこさせるとか、命令することも、普通にやっていた。

一緒にいる時、この言葉は、言葉通りに実行されていたから、全く問題はなかった。

私の言葉と、奴隷ができること、が、一致していたから。

そこに矛盾はなかった。

一緒にいる時には。


でも、お互いの仕事だとか、何かの用事で、なかなか会えないことがある。

そもそも、遠距離だった奴隷もいた。

私にも、奴隷にも、表の世界の生活があるし、それを無視して、裏の世界が成り立つことはない。

だから、会えない時間が、長く続くというのは、そんなに珍しいことではなかった。


そうなると、問題が出てくる。

御主人様の奴隷であること、家畜であること、所有物であること、を普通に思うようになってきた奴隷にとって、御主人様の言葉が、絶対のものになっていく。

そこに、

「お前は、俺が使いたいときに、好きなように使う」

という言葉。

調教のとき、また、奴隷と、話をしているときに、これに類似したようなことを私は言った。

だから、奴隷は、こういうことが、当たり前で、それが、奴隷としての自分の価値であると思い始める。

その考え方自体は、奴隷として正しいと、私も思うのだが、表の生活との兼ね合いで、この言葉が、守れなくなることが出てくる。

むしろ、日常生活の中では、守れないことのほうが多い。

ここに、矛盾が生まれる。


例えば、私が、奴隷と会うことができる時間の都合が付いたとする、もしくは、話をする時間が取れるとする、そのときに、奴隷に、そのことを伝える。

奴隷もその日時に、会ったり、話したり、ができるならいいのだが、プライベートや仕事、その他の用事、また体調などでも、できないことがある。

それが、何度か続くこともある。

そうすると、上で書いた私の言葉が、奴隷にのしかかっていく。

普通に考えれば、誰かと会ったり、話したりするのに、都合が合わないことなんて、いくらでもある。

都合をつけようとしても、うまくいかないことは、誰でもが経験する。

奴隷だって、普段の生活の中で、友人や、家族に、何かに誘われても、都合がつかなければ、断っている。

仕事でも、何かの日時が重なって、どちらかを、動かさないといけないという、スケジュール調整なんかは、普通にすることだ。

でも、自分の価値を、「御主人様が好きなときに、好きなように使えるもの」であると思い始めた奴隷にとっては、御主人様の誘いを断ることは、一回でも、気になって、そして、運悪く、それが重なってくると、不安が、広がってくる。

自分の価値が下がっているのではないか?

さらには、捨てられてしまうのではないか?

そう思い始める奴隷がいる。

それでも、

「仕事があって、その日は難しいです」

「風邪、引いてしまって…」

とか、そういうことを言って、ちゃんと断れているうちはまだいい。

というよりも、私としては、用事や、体調のことがあるなら、断ってくれるほうが、逆にホッとする。

でも、段々と、これが変わってきたりする。

私が、時間が空いたことを、唐突に伝えたのに、

「用事があって…。ダメな奴隷ですみません」

とか、

「体調管理もできなくて、奴隷失格です…」

とか、

さらには、

「生理をずらせなくて、申し訳ありません」

なんて言われたこともある。

当日に誘われて、それは、無理だろうと、私は普通に思うのだが、奴隷は本気でそう言った。

また、大切な仕事があったのに、それを休んだことを、隠していて、あとから知ったこともあった。

私は、奴隷が、表の世界の都合で、私の誘いを断ったからといって、奴隷としての価値が下がるなんて、全く思っていないのだが、

奴隷にしてみると、私の都合に合わせられないということは、自分の価値がなくなってしまうのではないか?という不安につながっていくものだった。

だから、奴隷が、こういう思いを持ち、こんな言動になってくることがある。

結果的に、無理をしたり、表の世界に、支障が出てくることもある。


「お前は、俺の所有物なのだから、使いたいときに、好きなように使う」

それは、私が奴隷に言った言葉だし、奴隷に求めたものではあるけれど、表の世界との兼ね合いで、完全にそれを実行することが、難しいものであることも、よく分かっている。

仕事や、用事や、体調や、その他、どうしても外せないことがあって、私と時間が合わなくても、自分の価値、奴隷としての価値が下がるとは、思わないで欲しいなと思っていた。


ただ、そういうふうに、奴隷であろうとすること、私に言われた、奴隷としての価値の一つを、守りたいと思い、そのことを気にする奴隷というのは、かわいいとも思った。

表の世界がないと、奴隷である前に、この社会で、生活していくことができなくなるから、私の都合に完全に合わせることなど、無茶なことではあるし、それを実行しろとは思わない。

むしろ、表の世界を犠牲にしたり、無理をしてしまうなら、私も心配になるから、それだけはやめろと思うのだが、それでも、なんとかしたいと必死な奴隷の姿は、奴隷らしいなと思ったし、愛おしかった。


きっと、奴隷が、「用事があるから、仕方がない」と、簡単に割り切れてしまうなら、それはそれで寂しいと私は思ってしまう。

でも、私からの言葉にこだわりすぎて、自分の奴隷としての価値が、なくなることを恐れるあまりに、表の世界に支障をきたすようなことは、絶対に避けてほしいと私は思っている。

奴隷に、そんなことをされるのは、困る。

仕事が忙しいなら、まずは、その仕事を、しっかり頑張れと思うし、忙しいなりの付き合い方もある。

会って調教するだけが、主従としての繋がりではないのだから、会えない時には会えないなりに、すればいい。

家族や友人との関係も、大事にしなければならないし、それを優先しないといけない時があるのも、わかっている。

体調が悪いなら、これも、悪いなりの過ごし方をしながら、治るのを待つ。

どれも、それだけのことだ。

私は、奴隷の表の世界を壊したいわけではないのだから。

奴隷の、表の世界も、充実したものであってほしいと思っているのだから。


「会うの、無理だからいいや」と思われたら、とても寂しいけれども、会うのが、無理な理由があるときには、それで、自分の奴隷としての価値がなくなるようなものだとは思わないで欲しかった。

たとえ、「お前は、俺が使いたいときに、好きなように使う」と、言われていたとしても。

これは、私のどちつかずな、わがままなのだろうけれど、奴隷の割り切れなさを見ているのが、なんだか、楽しかったり、嬉しかったりする。

また、奴隷になった途端に、臨機応変という言葉を忘れて、御主人様の役に立たないならば、奴隷としては居れないと、考えてしまう。

そういう部分が、まさに、奴隷らしいと思うし、そんな奴隷をかわいらしいと思う。

そんなことを、考えるのだから、一番、矛盾していて、困ったやつなのは、奴隷ではなく、私なのだと思う。



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※このブログをスマホやタブレットで閲覧しているときの誤タップについて、前回、エントリーにしたので、誤タップで、まともにブログのボタンが押せずに広告サイトに行ってしまうことが多い場合には、こちら(誤タップのこと)を、一読していただければと思う。


ということで、今回の話。


以前、知り合って、結構、話したことがある人が、主従の世界を去ることにしたとき、その理由として、

「ここでも、満たされなかった」

と言っていた。

主従の世界でなら、自分は、生き生きと、いられると思ったけれど、そうではなかったと。

その人は、Sで、奴隷も持っていて、主従の世界の人たちとの交流も積極的にしていたから、私の目には、満足していたように見えた。

それでも、心に空いていた穴というか、満たされない気持ちを埋めるには至らなかったのだそうだ。

そんなことを、淡々と、話していた。

その人が、主従の世界を去った後、どうしたのか?は知らないけれど、どこかで、他の何かで、満たされたのかな?と思い出すことがある。

また、その人ではないけれど、主従の世界にいた人と、話をしていた中で、何気なく聞いた言葉に、

「(日常の)嫌なことを、SMで、満たそうとするのは、無理だよな。奴隷って、そのために居るわけじゃないし」

というのも、印象に残っている。

これらのことは、わいわいと話をするタイプのオフ会などでは、あまりしない話題なのだが、ふとしたときに、また、もう会うことはないと思うからと、飲みに誘われた時などに、出てくる言葉だった。

こういう飲みでは、Sの方と話すことが多かったから、書いてみたけれど、主従の世界に入ってみても、心が埋まらないとか、何か虚しい、という話は、Mの方からも聞く。

私が、主側からブログをやっているから、なのか、このブログを始めてから、ご相談などで、こういうお話をしてくださったのは、御主人様がいる、M女性のほうが、多い。

主従世界の全体として、どちらが多いのか?はわからないけれど、そういうことを思い、この世界を去る人は、Sでも、Mでもいる。


普通に考えて、何かで穿たれた心の穴や、気持ちの沈みや、不満や不安、ネガティブな感情を、他のもので埋めることは、ほとんど、無理だと、私も思う。

例えば、仕事が、うまくいかないことで、すごく悩んでいるとき、主従の世界に行けば、それが解消するのか?というと、そうではない。

根本的な原因は、仕事のほうにあるのだから、それが解決していないなら、埋まるとは、私には思えない。

例えば、表の世界での人間関係を作るのが苦手だ、という人がいたとして、主従の世界で、人間関係を作ったとしても、

表の世界の人間関係は、表の世界で解決しないといけないし、主従の世界の、アブノーマルな人間関係が、表の世界で、そのままに通用するものでもない。

そういう意味でも、やっぱり、心の穴を埋めるなら、その穴をあけたものを取り戻すなり、少なくとも、同じ世界の中で対処して、埋めるしかないのだろうと思う。

だから、主従の世界で、埋まるものというのは、限られる。

表の世界で、出すことができずに、悩んでいる、S性であったり、M性であったり、また、アブノーマルな嗜好であったり、そういう、部分。

これは、埋められると思うというか、それを埋めたい、そこが満たされなかったり、ずっと考えてきたり、我慢してやり過ごすことができなかったりすることで、心に大きな穴ができているから、SMをしたり、主従関係を持ったりする。

それは埋められる可能性があると思う。

でも、主従の世界に、それ以外のことについて、過度の期待をしてはいけない。

と、私も思うのだが、これは理屈として、そう思う、基本的には、そう思う、と私は考えている。


主従の世界で、満たされるものが、本当にアブノーマルな性癖だけなら、私は、この世界に、こだわりを感じたのだろうか?と考える。

多分、そこまで、強く思わなかっただろうと思う。

S性を満たす以外にも、得られたものが、あったのだと思う。


埋めらない心の穴なんかもある。

どう頑張っても、取り返せないものはある。

極端なことを書くかもしれないが、大切な人と、死に別れてしまったとか、そういうことは、取り返しようのないものだ。

それは、上で書いたことから言えば、もう、埋めることのできない穴だ。

そこまでいかなくても、生きている中で、あきらめざるを得なかったものだったり、どこかで、大きな選択をしていて、それを後から後悔したり、そういうことは、時間が戻らない以上、ふさがらない穴だ。

多分、もう解決が不可能な穴は、心に空いたままになっている。

そういう心の穴は、大抵の人が持っているんだろうと思う。


そこでどうするか?と考える。

同じ世界で解決できない穴があるなら、それを、別の世界のもので、埋めようとする人もいる。

それも一つの手段かもしれない。

それができてしまう人もいるのかもしれない。

でも、私自身のことを思うと、おそらくそういうことはできない。

では、どうしているのか?というと、できるだけ気にせずに過ごすような時間を作って、穴を、穴として、意識しなくてよい、自分を責めなくていい時間を持てたらいいのかなと思う。

夢中になれる他のことを見つけられたら、それが、大きなものであればあるほど、心の穴は、相対的に、小さくできるのかもしれない。


何か、苦しいことがあったとき、また、過ぎていく日常に何もないから苦しいとき、

穴は埋まらないにしても、それ以外のことに、心を向ける時間を作るのは、悪いことではないと思う。

それを、逃避だという人はいるかもしれないし、私も、一つのことに、こだわり、考え込んでしまって、

なかなか、他のことで、気を紛らわすとか、気分転換してリフレッシュをするのが、苦手なタイプではあるのだけれど、そうやって、他のことで、バランスをとる、という方法もあると思う。

主従の世界に入ることを、気分転換と言ってしまうのは、相手がいる話なので、ちょっと不謹慎な気もするけれど、新しい世界に足を踏み入れることで、気持ちが変わるなら、それも心のコントロールだ。

ただ、今までにない世界に触れることで、気持ちが変わることはあると思うけれど、主従の世界が、それ自体の力で埋めてくれる可能性があるのは、

やっぱり、アブノーマルな性癖についてだけなのだろうというのは、意識していたほうがいいと思う。

でも、そういうことだけではなく、表の世界で空いた穴が、なんとなく、小さく感じられるようになったり、気分が、いつの間にか、穏やかなものになっている時間が作れていると、私が思えたのは、多分、相手、つまり奴隷のおかげだ。

奴隷の優しさであったり、強さであったり、ちょっとした、何かをしてくれたことであったり、本当に思う気持ちを、それが、ポジティブであれ、ネガティブであれ、正直に打ち明けてくれたことだったり…。

言葉をぶつけ、気持ちをぶつけてくれたこと。

そういう、深いつながりを私と持ってくれたこと。

その奴隷が、与えてくれたものの数々。

その中には、奴隷だから、奴隷という立場だから、やったことも、もちろんあっただろうけれど、それだけではなく、奴隷の、人としての性格や、気持ちから、たとえ、奴隷でなかったとしても、そうしたいから、してくれたであろうことも、たくさんあったと思っている。

私は、常に主従、ということを思って奴隷と接してきたけれど、それでも、奴隷の人としての部分に、惹かれるものがなければ、きっと、私は、奴隷との繋がりをうれしくは思わなかったのではないかと思う。

奴隷とSMをする以外の時間を、楽しいとは感じなかっただろうと思うし、奴隷も、それ以外の時間を一緒に居ようとは思わなかったと思う。


奴隷を、仕事帰りに、呼びつけたとき、笑顔で、待ち合わせ場所に立っていた、その顔に、向けて、

「お前、仕事で疲れているくせに、使われるためだけによく来るよな」

なんて、よく言っていた。

でも、そのあと、一緒に食事をして、お茶をして、最後に、ホテルに行くようなことも何度もあった。

奴隷に対して、会って早々に、「SMや性処理に使うためにだけ呼んだんだ」と言っておきながら、私は、奴隷との食事もお茶も楽しんでいた。SMをしていた時間よりも、長かったかもしれない。

調教前に、おしゃべりをする奴隷を見ているのが、楽しかったという気持ちは、確実にあったし、自惚れかもしれないが、その時間を奴隷も、嫌がっていなかったように思えるから、きっと奴隷も、S性やM性を満たすだけではない何かを、得ていたのかなと思う。

これは、主従として、会っている時間ではあるけれど、人として、相手のことを、何とも思わないなら、こんな時間を持ちたいとは、お互いに思わなかったと思う。

S性やM性を満たすだけなら、ただ、SMをして、帰ればいいのだから。

でも、そうしなかった。そうじゃない時間も幸せに思えた。

だから、私は、冒頭で書いた、主従の世界で、満たされないと言った人は、確かに、満たされなかったのだろうけれど、

それは、S性が、ではなく、それ以外のものも期待したのに、得られなかったのではないかとも、あとから、思った。

もちろん、私には、彼の本心はわからないけれど。


主従の世界に入れば、別の世界でできた心の穴が埋まるのだという期待は、あまりしないほうがいいと思う。

というよりも、主従に限らず、どんな世界だったにしても、今、自分がいる世界で抱えている、問題から生じた、心の穴が埋まるわけではないと思う。

現実は現実として、目の前にあるのから。

それを解決するなら、同じ世界で解決しないといけない。

でも、他の世界と関わりを持つということは、新しく人と出会う機会が増えるということだ。

その、新しく出会った人が、与えてくれるものが、嬉しいとか、楽しいと、感じられるものなのであれば、そこには、新しい幸せがあるのだろうと思う。

心に、穴は開いているかもしれないけれど、別の世界で感じた幸せが大きいなら、それが、穴から生じる苦しみを、少し減らしてくれるのかもしれない。


そして、それは、出会う人、なのだと思う。

主従の世界でも、やっぱり、誰と出会うのか?が、一番重要だと思う。

出会う人によっては、SやMや、その他のアブノーマルな性癖についてだけではない、人としてのなにかを与えてくれるかもしれない。

それによって、幸せに感じられる時間を増やすことはできるかもしれないと思う。

もちろん、出会う人が、人として合わない人だったり、SやMという性癖までも相性が悪い人なのであれば、心の穴が増えることもあるだろう。

結局、主従の世界といっても、他の世界と同様に、出会った人、次第なのだろうなと思う。

という、ごくごく、当たり前の結論しか、私は、持ち合わせていないけれども。


何度も書くようだが、主従の世界に入れば、別の世界での悩みが解決するわけではないと思う。

心の穴が埋まらなかったとしても、それは、主従の世界の責任でもないと、私は思う。

やっぱり、この世界が埋めてくれる可能性があるのは、アブノーマルな性癖の部分だけだと思うから。

でも、それを埋めるためにと、主従の世界に入って、必死で相手を探して、出会った人によっては、もっと大きなものを得られることもあると思う。

アブノーマルな部分を埋めてもらえた上に、さらに、人としての、幸せな何かを得られる人と出会えたなら、最高だと私は思う。

そういう人と出会えたなら、主従の世界から、幸せを得られたと思うのかもしれない。

出会えなかったなら、主従の世界には、何もなかったと思うのだろう。

出会う人による、のだから、タイミングだったり、運だったり、に大きく左右されることになるから、それは、それで、理不尽なものだ。


御主人様でも、奴隷でも、Sでも、Mでも、性癖的に、合う合わないはあるけれど、そこが合ったとしても、最後は、その相手の気持ちや心と、うまくつながれるかどうか? 

主従から、何かを得られるかどうか、満足できるかどうかは、関係を持った人との、人としての部分にも、かかってくるのだろうなと思う。

特に、主従関係の場合、他の人間関係よりも、深く関わることになる場合が多いように思うから、

選んだ相手が、人としても、自分に合っているのであれば、関係が深いことで、より大きなものを与えてくれる可能性はあると思うし、

逆に、合わない人だった場合には、関係が深いがゆえに、満たされないと思う気持ちも、他の世界に比べると、大きくなるのかなと思う。

そういう、両極端になりやすい傾向があるところは、主従の世界が、他のもう少し、希薄な人間関係でも、成り立つ世界と違うところかもしれない。


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今回は、連絡的なエントリーになりますが、主従や、SM関係のことを調べたくて、ブログなどを、色々と見て回る方には、多少、参考になるかもしれないお話です。


まずは、このブログの話。

私は普段、パソコンでしか、自分のブログを見ないので、気が付いていなかったのですが、スマホで閲覧している方から、ご質問をいただいたので、自分でも、見てみまして、その、現状と、対策についてです。


このブログ、レンタルブログなのですけれども、アダルトカテゴリで、借りております。

そして、アダルトカテゴリの場合、スマホで見ると、通常は、ブログに、かなりのアダルト広告が表示されます(広告ブロックアプリなど使われている方は、多少、見え方が違うと思いますが)。

アダルト以外の通常カテゴリだと、ここまでたくさんの広告は、出ないようです。

実際、同じレンタルブログの中の、猫ブログとか、スマホで見てみましたが、確かに、広告が少なかったですので、羨ましい限りです。

ただ、SMとか、主従とか、こういう内容である以上、規約上も、モラルとしても、通常カテゴリに書くわけには、いかないですから、このブログが、アダルトカテゴリをやめることはできないんです。


レンタルブログを提供している側は、広告料も収入源として、運営しているので、このブログに、広告が表示されるのは、当たり前なのですが、

スマホで、私が、自分のブログを見てみて、あまりにも、まともにタップできなくて、びっくりしました。

表示されたブログの、各エントリーへのボタンも、メニューボタンも、コメントや、メールのボタンも、押すタイミングによって、広告先に飛ぶことが、かなり多いなと思います。

ここまでとは思っていなかったので、驚きました。

このブログの、スマホ表示の設定をしたのは、かなり前なのですけれども、その時にはここまでの広告ではなかったので、油断していまして…。

設定したあと、あまり見てなかったので、ご指摘いただくまで、気が付きませんでした。

私の何かの設定が悪いのか?と思いましたので、主従関係のブログを書いている、他の方のところにも、少しお邪魔してみましたが、似たり寄ったりの感じでしたので、このレンタルブログの、アダルトカテゴリの仕様のようです。


それで、どうしてこんなに誤タップになるか?というと、ある種類の広告が表示されているからです。

ブログに表示される広告というと、ブログの上とか下に固定されたバナー広告を思い浮かべる方が多いと思いますが、それ以外にも、色々とありまして、このブログでも、固定広告以外のものも表示されています。

その中で、誤タップしているのは、ブログの上に、重ねて表示されている広告です。

ブログにアクセスしたときや、ブログ内で他のページに移動したりと、見る人が、ブログに対して、何らかの操作をしたときに、表示される広告があります。

最初、透明な状態で、ブログ上に(ブログに重ねて)表示され、だんだんと、バナーの本来の色が付きながら、最終的に、画面の下に配置される広告です。

これ、ブログにアクセスした瞬間や、ブログへの操作の直後は透明なので、見た目には、広告がないと思ってしまいます。

でも、実際には、ブログに重なって、存在しているので、タップすると、広告先に飛んでしまう、というのが、誤タップの原因です。


それで、頂いた、ご質問へのお返事に、書いたものに、少し追記して、このあたりのことに、あまり詳しくない方へ、ということで、エントリーにしておきます。

これは私が、貼った広告ではなく、私の意志とは関係なく、レンタルサーバの仕様(つまり、ブログを借りるときの規約)で、自動的に表示されることになっているものなので、私では、消せないのです。

ですので、消してほしいというご要望もいただくのですが、それは、できないのです。

それから、私が広告を選んでいるのではないので、リンク先が、私の知り合いとか、私がお勧めするサイトでもありません。

各ボタンに、広告へのリンクを仕込んでいるわけでもないですので、ボタンが壊れているということでもないんです。

正常にタップできれば、各ボタンは、本来の機能で動くようになっています。

ボタンが、壊れているのではないか?という、ご心配をいただきましたが、そういうことではないんです。

透明な広告が、ブログの上に重なってしまっているために、起こる現象です。


ただ、ここまで、誤タップしやすい感じになっているとは思わなかったので、一応、対策を書きます。

この広告は、出てきてから、一定時間で、透明な状態から、見える状態になって、(今は)画面の下の位置に落ち着くものなので、そうなってから、押したいボタンをタップしてください。

私が、試したのは、皆さんがスマホで、多く使われているであろう、iPhoneのSafariと、AndroidのChromeですが、ブログが表示されたり、操作をしてから、4~7秒くらい、何もしないで待っていると、ボタンなど普通にタップできるようになります。

他のネット閲覧用アプリも、ほぼ、同じくらいのようですね。

落ち着くまでの時間は、スマホによって違ったので、何とも言えませんが、ブログ内のボタンをタップしようと思ったときには、一呼吸おいて、広告が出て、下に止まるまで、待ってみてください。

そうすることで、誤タップは、回避できると思います。


それから、広告のリンク先のサイトについては、その安全性も含め、私は、全くわからないので、意図せずに、広告先に飛んでしまった場合には、そのサイト内で、何かをしたりせず、サイトを閉じていただければと思います。


アダルトカテゴリに分類される、ブログやホームページなどを見てきた人にとっては、このようなことは、もう知っているよ、という話かもしれません。

昔、私が、主従のことを知りたくて、この界隈の掲示板をたくさん調べて回っていたころから、こういう広告は、今とは違う形ですが、たくさんありまして、もっとえげつないのもありましたから、

ちょっと懐かしい気分になりましたが、それを知らずに、いきなりこんな挙動をされると、懐かしいとか、言っている場合ではないと思いますので、

こういう経験が少ない方は、お気をつけて、しっかりとした対処をしてください。

本気で悩んで、主従のことを知りたいと思って調べていても、主従のことというのは、やはり、世の中では、アブノーマルで、アダルトサイトに、分類されることが多いのが、現状です。

何とも歯がゆいところではあります。

でも、同時に、アダルトな内容であることは、確かですので、こういうのを見たくない方とか、間違ってもたどり着きたくない人のための、障壁として、アダルトカテゴリが、通常のものとは分けて存在することにも、意味があると思っています。

表と裏をちゃんと線引きしたほうがいいというのは、私も思うところですので。

ただ、私のような、IT系の職業だと、アダルトに限らず、レンタルサーバを運営している会社の事情も、聞き及んでしまうので、一概に、批判する気にもなれないのですけれども、

アダルトカテゴリだからという理由で、ブログのコンテンツが見にくくなるくらいの広告を付けるのは、なんとか、やめてほしいな、と、一人のブログを書く者としては、強く思います。

なんだか、愚痴っぽくなってしまいました。


主従のことを調べ始めた方などで、アダルトカテゴリのサイトに、慣れていない場合には、特に気を付けてください。

エントリーを表示するためにタップしたはずなのに、いきなり、違うサイトに飛ばされたりして、びっくりされるようですので、

こういう、誤タップしやすい広告がある、ということも、知っていていただければと思いますし、別のブログや、サイトには、また別の形の広告があったりもします。

私のブログも、今は、上で説明したような感じですが、時間がたてば、また違った形に変わるのかもしれません。

それすら私にはわかりませんけれども、願わくば、誤タップしないような形に、してくれればいいなと思う次第です…。



アダルトカテゴリでは、こういうことが多いということをきちんと知った上で、とにかく注意して、主従や、SM界隈のブログや、サイトなどを見てください。

また、そういうサイトの対処方法を、身に着けるのが難しいなら、リスクを避けたいなら、見ない、という選択肢もあると思います。

他のカテゴリでも、間違えてタップしてしまうような広告というのは、ありますが、アダルトカテゴリに関しては、そういう広告が多いのは確かですので、

それは、しっかりと認識して、自分の責任で、きちんと判断し、できる範囲で、この界隈のブログやサイトを、楽しんでください。


テーマ:アダルト総合 - ジャンル:アダルト


昔から感じていたことで、今でも、ほぼ同じように、思うことがある。

SとMのこと。

Sは、サディズムや、サディストで、Mは、マゾヒズムや、マゾヒスト。

そういう”性癖”や、その性癖を持つ人を指している。”嗜好”ということもある。

SとMで、主従関係を結べば、御主人様と奴隷とか、主と家畜とか、飼い主とペットとか、呼び方は様々だけれども、立場に明確な差を作り、

その行為の強さや、肉体的になのか、精神的になのか、その両方なのか、は、人によるけれども、基本的に、SMをする。

私が、このブログで、また、これまでの主従関係の世界の中で、この言葉を使うときの認識というのは、おおむね、こういうものだ。

たまに、少し違う意味で、使うこともあるけれど、おそらく、主従の世界で使われるところの、オーソドックスな意味合いだろう。


でも、このSやMという言葉には、多分、すでに、別の意味があると、思っている。

おそらく、私が、主従の世界に入る以前から、あったと思うし、それはさらに、多様な使われ方をするようになってきているように思う。


もっと表の世界に近い意味。

気が強く、自分を譲ることの少ない、誰かに対して強く当たることのできる”性格”をS、

気が弱く、誰かの顔色をうかがったり、誰かに流されたり、なにか言われると断わりきれないような”性格”をM、といった感じ。

家庭的という意味で、Mという言葉を使う人もいたり、ただのわがままを、Sだといい切る人がいたりもする。

それから、自分から、大変な仕事とか、厄介ごとの解決をしようと、がんばる人や、その”状況”を、M、そういう事柄を、押し付け、他人に回す人や、そんなことになっている”状況”を、Sと言ったりしているのも、聞く。

これは一例だけれども、こういう使われ方があるというのは、見聞きして、感じていたことだ。

それが、悪いとは思わない。

言葉というのは、時と共に、どんどん、変化していくものだから。

嘆かわしいとか、思うわけではないのだけれども、ややこしいとは思う。

少なくとも、同じSやMで、主従世界と、主にノーマルな世界とで、ここまで意味が違うと、私は、困るから、できれば、別の言葉があるといいなと思う。

日常で、びっくりすることが結構あったから。


私には、主従の世界だけに、友人、知人がいるわけではなく、学生時代からの友人も居れば、趣味絡みや、仕事から付き合いが始まった友人、知人も居る。

それは、主従の世界に関わっている人、誰でもそうだと思う。

主従以外の、ノーマルな世界にも、知り合いや、友達がいるのは、自然なことだ。

でも、そういう知り合いと、話をしているときに、

「最近、自分のこと、Mっぽいなと思うんだよね」

とか、普通に出てくるときがあったりすると、内心、ビクッとするのだ。

私の苦手なM男だったのか、と。

(ちなみに、M男が嫌いなわけではないし、話をしないわけでもない。私の知らない、話をたくさん持っているのは、M男だったりするので、話すのは面白いと思う。人としては、別にいいのだけれど、性癖的に、飼うこともできないし、共感することもできないので、苦手という意味だ)

でも、その人の言うところの、Mというのは、別に、女王様に踏まれたり、鞭打たれるのが好きとか、そういう意味ではなく、

「子供生まれてから、(奥さんに)強く言われると、言い返せなくなってるんで…」

という、愚痴や惚気だったりする。

それを聞いて、私は、ほっと胸をなでおろす。

なんてことがある。


世間一般に、Sとか、Mという言葉が浸透し始めたのがいつなのか?は私はわからないけれど、上で書いたような、

性癖として語られるSやMと、性格や、その時の状況判断の仕方などを指して語られるSやMは、もう違う言葉だと、私は認識している。

それでも、会話の中で、そういう言葉が出てくるとハッとするので、厄介だ。

それは、別に今に始まったことではないし、頻繁に出てくることでもなく、私が、主従の世界に入った後で、たまに、耳にするというくらいの言葉ではあるのだけれども。

「俺、気が強いんだ」と言うよりも、「俺、Sっ気あるから」という方が、今は、言いやすいのかもしれない。

Sと言われると、自分も含め、楽しげに人の頭を踏みつけるサディストの方々を、Mといえば、貶められるほどに陶酔するマゾヒストの方々を、反射的に思い描く私には、別の意味で言われる、SやMという言葉には、いつまでも、驚かされる。

主従の世界で語られるのとは違う意味があることを否定しているのでも、知らないのでもないのだが、ノーマルな場面では、大抵、唐突に、しかもなんだか、すごく自然に(私にしてみると、違和感があるのだが、言っている本人は)、使われるから。


また、性格と、性癖は、全く関係がないとは言えないようにも思っている(これはまた、いろいろと思うところがあるので、別のエントリーにして書こうかとは思うのだが)。

従順な性格のM、自分本意なSは、普通にいる。ある意味、イメージ通りだとは思う。

でも、SやMと言われる性格とは、真逆な、性癖を持っている、サディストにも、マゾヒストにも出会ったことがあるから、

そういう経験もまた、私にとっては、SとMに別の意味があることを、ややこしいことにしているのだなと、苦笑するところだ。

私は、表の世界で、自分から、Sとか、Mという言葉を使うことは、ないけれど、話し相手が使ってきたときに、それを聞く機会はあるから、その時に、ふと、別の言葉があったらいいのかなと思ったりもする。


それから、ネット上の主従の話で、ソフトな、SMを楽しんでいる人達だったり、主従といいつつ、普段は恋人のように過ごす人達のような、セックスとSMの中間、主従と恋人の中間くらいの関係なんかも、よく見かけるようになった。

そういう人が、以前から、居たのは知っている。

オフ会などでお会いしたこともあるけれど、そういう辺りの人達の話を、ネット上で、拝見すると、そこに書かれている、SやMという言葉が、何を指しているのか? はっきりと、わからないことがある。

同じようなところにいる人達には、伝わるのだろうから、私がわからないことは問題ではないのだが、多分、私の思うニュアンスと、違う感じで使っているのだろうなというのは、感じることがある。

以前に、オフ会でお会いしてお話をしたり、また、そういう方から、メールなどいただくこともあるので、そこで、直接お話すると、どんな主従(恋人)感なのか?というのは、わかるのだけれども、

そういう機会がなければ、どのあたりのことを、言っているのかな?と、思うことはある。

全く予測もつかないということではないのだが、どのくらいのことを指しているのか?というのを、知りたいと思うことはある。

こんな感じで、表の世界だけではなく、主従の世界の中ですらも、人によって、SやMという言葉の使い方や指す方向は、少し違う。

重さも違う。

そこが、多分、その人の、主従やSMに対する考え方とか、性癖の傾向なのだろうなと思う。

だから、主従世界を歩くとき、SやMという言葉を使っている人が、どんな意味で、どのくらいの重さで、使っているのか?を理解すると、

その人の主従感だとか、性格だとか、相手に望むことだとかが、わかりやすいようにも思う。

もしも、実際に主従になろうと思って、相手と話をしている時なら、その人の考える、SやMの意味を聞いてみると、その人のことが、より理解できるかもしれない。

こういう風に考えると、SやMという言葉だけでも、その人の主従に対する思いの強さ(主従ですらない人も含め)が、見えるのは、面白いものでもあると思う。

私は、そういう風にも思うので、SやMという言葉に、多様な使われ方があることを、嫌悪しているわけでも、嘆いているわけでもないのだが、

やっぱり、私としては、ノーマルな世界で、普通に使われると、びっくりするので、せめてノーマルな世界と、主従の世界で、違う言葉であってくれたらいいのになと思う。


ただ、昔から、少しいたけれど、最近、主従の世界で、SやMではない、別の言葉を使っている人をちらほら見かける。

それは、まだ、SやMという言葉を超えるほど浸透していない気もするけれど、これから、そういう言葉が、どう使われていくのか?も、楽しみなものだと思う。


テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 以前に飼っていた牝奴隷とのことを書いているブログ。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴る。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
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 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
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 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
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  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

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