理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


※パソコン以外で見ていて、何故かここしか表示されずに困った方は、以下のボタンを。

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以前にも、五稜郭の写真を載せたエントリーを書いた気がするが、今年はその時よりは、静かな気持ちで、行けた気がする。

だから、滅多に写真は出さないのだが、桜の写真を載せてみた。

私なりに、自分の中で変わってきているものはあるのだろうな。

それが前進であると信じたい。


五稜郭


少し散り始めの桜の木に、奴隷を繋いで、月明かりの下で、夜桜と、縄に悶える奴隷を楽しみながら、一番好きな日本酒が飲みたいと、思った事があるし、今も思う。


でも、それを私が実現するなら、まず、露出があまり好みじゃないから、立派な桜が育っていて、さらに、外から見えないくらいの大きさの自分の庭がないといけないし、

散り際に月が出ている日で、なおかつ、少し風があって、花びらが、程よく舞ってくれないとつまらないし、

日本酒を飲んだら寝てしまう私としては、タイマーか何かで、縄が外れるようにして、私が寝たくらいに、奴隷が自分で桜から離れて、私を介抱できないといけないので、

結構ハードルが高いなと、すぐに、現実的なことを考えるから、私は、無粋な人間だなと思う。

そういう無粋さは、あの頃も、今も、これからも、きっと変わらないのだろうな。

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主従の世界での、調教の現場、SM行為で、どんなふうにやるのが、普通か? なんてことは、正直、わからない。

ノーマルの世界での、セックスですら、おそらく、普通のやり方、というのは無いのかなと思ったりもする。

AVやその手の書籍を、参考にしている人も居るような気がするが、

一般の男女が、セックスしようとなったとき、AVみたいに、体位を何回も変えてなんてことは、多分、あまりしないのではないかと思う。

おそらく、フェラチオですら、したことがないカップルもいると思う。

秘めてない人もいるが、秘め事と言われる行為なわけだから、普通がどういうものか?というのは、分からない、というよりも、そもそも、調べようがない気がする。

私は、セックスに興味もあったし、最初の奴隷(彼女)との間で、色々と悩むことがあったので、そういう関係の掲示板などに、出入りして話をしていたこともあるが、

そういうところに、顔を出し、自分のセックスについて誰かと話をしている時点で、多分、少数派の部類に入る気がしているし、その参加者は、普通(というものがあるなら)よりも、大胆なことをしている(話している)人が多いようにも思う。

それ以前に、”普通”に、合わせる必要などなく、お互いに、幸せな気持ちでできるなら、それでいい。

そして、主従の場合、SM行為で、どんな風にするのが、普通なのか?というのは、なおさら、わからない。

セックス以上に、秘めている人が多いことだから。

そして、SM行為は、性処理も含むから、セックスよりも、バリエーションがさらに増える。

だから、”普通の調教”とか、”普通のSM行為”というものを、規定しようとする事自体が、難しい。

もちろん、王道のプレイはあるし、私も、それはわかる。

”SMの普通”や”主従の普通”が、存在しないとは言わないのだが、色々な性癖の人を見てきてしまうと、もう、何が普通なのか、よくわからなくなって、頭を抱える自分に、苦笑する。

なんて、面倒くさく書いてしまったが、簡単に言ってしまえば、「好きにやれ」ということなのだ。


それで、ふと、そんなSMプレイというか、躾けの一つとして、私が、奴隷に徹底していたことについて、少し考えてしまった。

それは、奴隷と、私の位置関係。

奴隷が私よりも、高い位置に来ないように躾ける。

ホテルなんかで、私が椅子やベッドに座っていれば、奴隷は床にいる。

奴隷が椅子に座ることは、まず無いし、ベッドに上がれるのも、性処理に使う時とか、必要な場合、私が許した時だけで、それ以外は、基本的に、床が、奴隷の居場所。

私の足元を這いつくばるのが、奴隷だ、という風に徹底する。

私や奴隷の部屋で過ごす場合に、奴隷が食事を用意するときなどは、台所に立つから、座っている私よりも、高い位置にいたが、そんな例外があったくらいだ。

奴隷との位置関係に、かなりこだわっていたのだなということを、ふと思い出していて、そもそも、なんで、そうしたのか?と、考えていた。


最初の奴隷とは、付き合い始めた時は、彼女と、彼氏の関係だったから、部屋にいても、彼女に、低い位置を取らせるようにはしていなかった。

普通に、対等の位置関係で、過ごしていたから、特に、普段、そういうことを、望む気持ちというのは、私には無いのかなと思っていた。

でも、主従になってから、ホテルなどにも行くようになり、自分が、御主人様であり、彼女だった女が、奴隷になったことへの意識が強くなってから、私は、位置関係で、立場を表すことをし始めていた。

それは、SMのAVや、劇場などでも、よく出てくる場面だ。

奴隷が、正座だったり、四つん這いだったりして、床にいる。縛られて、床に転がされている。

それを、御主人様は、ソファーの上から見下ろしていたり、立って、踏みつけていたりする。

そんなシーンは、良く見かける。

だから、私もそうしたのだと思う。私の主従の最初は、色々な人の真似から始めたものだったから。

また、SM関係の話をしていた人たちが、どんな感じでやっているか?ということを聞いたり、写真を見せてもらったりしたとき、そういう場面を見かけたこともある。

それから、NHKの大河ドラマのような、時代劇だとか、そういうものは、小さい頃から、なんとはなしに、見てきているから、

その中で、立場の強いものが上に居て、立場の弱い者が下にいて、ひれ伏すシーンなんかは、見慣れていることだ。

その辺りの印象があるから、私が主従を始めたとき、奴隷との間で、そういう位置関係を取ることを、自然にやるようになったのではないかと思っていた。

そして、実際に、主従となり、そういう位置関係で居る時、やはり、落ち着く。

正確に言えば、最初は、とても興奮したが、そのうちに、それがしっくりくるようになって、その位置関係が、落ち着くようになった。

奴隷を、見下ろしている時、主従らしい位置取りなのだなと、納得した。

これが、主従の”普通”なのだと。


でも、あとから、思ったことがある。

私は、自分の、コンプレックスを感じなくてすむように、したいと思っていたのではないか?ということ。

私は、背が低い。

それは、ブログでも、何回も書いているけれども、それが、女性を意識しはじめてからの、コンプレックスだ。

女性でも、背が高い人が増えてきている。私が、少し上を向いて話をすることも、たまにある。

以前は、とても気にしていた。女友達でも、仕事仲間でも、高いヒールなんて、履かれたら、一緒に歩きたくない、立ち話をしていたくない、とすら思っていた。

最近は、これを意識することは、かなり減った。

私なりに、自分のことを受け入れたのだろうと思う。

相手との力関係は、別に身長で決まるわけではなく、どう表現して良いのか、よくわからないが、人間的な力というか、包容力というか、相手のことをしっかりと受け止める雰囲気というか、そういうもので、決まると思うようになった。

それがあれば、問題はない。そんな風に今は思っている。

でも、主従を始めた時は、まだ、身長のコンプレックスを受け入れられていなかった頃だ。

私よりも、身長の低い奴隷の方が多かったが、ヒールを履くと、同じくらいになったりもしたし、そもそも、私よりも背が高い奴隷もいた。

だから、私は、部屋にいる時くらいは、奴隷よりも、ずっと高い位置に居たかったのかもしれないなと、あとから、思った。

どうして、こういう位置関係にしたか?というのは、どうでもいいのかもしれないが、自分が思うことが、無意識のうちに、出て来ることなのかもしれない。

それが、面白いなと、今になると私は思える。


SMプレイや奴隷への躾けというのは、「普通、これはやるだろう」ということから、選んで、やる場合もあるが、こういう、御主人様の、ちょっとしたコンプレックスから、やろうとすることもあるような気がする。

それを、奴隷で満たそうとすることが良いのかどうかは分からないが、私にとっては、大事なことだったのかなと、振り返ることだ。

もちろん、私は、奴隷に、こういうことを言ったりはしなかった(そもそも、こういうこともあるかな?と思ったのは後からだ)から、このブログの題名通り、奴隷には言えない話ではあるし、

奴隷も、私がそういうことを思っているのではないか?と、考えていたかどうかもわからない。

ただ、この位置関係で過ごすことに、私は、とても居心地の良さを感じていたし、そんな私の躾けを、忠実に守っていた奴隷達であったから、私は、幸せに思えていたのかなと思う。

上でも書いた通り、「主従の普通は、こういうことだ」という意識があるから、奴隷と、この位置関係を取るようになった本当の理由は、コンプレックスではないのかもしれないが、少なくとも、奴隷と過ごしている時間というのは、コンプレックスを意識しないでいられる時間であったのは確かだ。

そして、私と同じように、主従関係で、いることで、自分のコンプレックスを、あまり感じずに過ごせる時間があったということを、奴隷が言っていたこともある。

例えば、人に対して、厳しい姿勢でいなくてもいいから、と。

仕事に真剣になると、どうしても人に対して、きつくなってしまう。友達といても、例えば相談事なんかを聞けば、その友達が悪いと思うなら、それを指摘してしまい、雰囲気を壊す。

そういう自分が、嫌いだと言っていた奴隷がいる。

でも、私と一緒にいると、

「御主人様に支配していただいているから、そんなこと思うこともなくて、素直に、いられるんです」

といって、嬉しそうにしていた。

これは、ほんの一例だが、それも、主従という、普段とは違う立場でいることで、コンプレックスを意識しなくていい時間を過ごせたことの一つだったのかなと思う。


そういう時間を、私が過ごせたこと、また奴隷にも、過ごさせてやれたことを、とても嬉しく思う。

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今日は、大部分の方には、笑い話として読んでいただければと思うが、一部、笑えない、真剣な方も居ることだけは、理解していただきたい。

題名に書くのが、微妙に恥ずかしかったので、書かなかったが、フェチの話。

ちなみに、なんで書こうと思ったか?というと、

「vetさん、この頃、パンストフェチの話がないので、寂しいです」

とか、

「もう、パンストフェチは、卒業したのですか?」

など、メールをいただくようになってしまい、私のパンストフェチの話などでも、需要があるらしい…と、いうことで、フェチの話を、書こうかと思う。

と、いうのは建前だ。

正直に言うと、書きたいから書くだけなのだけれども…。

照れくさいので、色々と理由を並べてみたりする。

だから、私に関しては、笑って読んでいただけると、恥ずかしさや、照れくささが、少し緩和された気分になるような、ならないような、気がするので、そう、お願いしたい。

でも、フェチの方は、かなり本気でそれにこだわりを持っている事が多いので、私以外の方に対しては、ちゃんと対応していただければと思う。



例えば。

パンストフェチに似た感じで、ニーソフェチというか、絶対領域が大好きな方なんかもいるのだが、それは、私が東京に居たときから、あったものだ。

メイド好き、なんかが、わかり易い例かなと思うが、今でこそ、メイドの格好なんかも、別に珍しくないだろう。

もちろん、函館のような地方都市で、なんのイベントもないのに、そういう格好で歩いていたら、びっくりされるだろうが、東京とか、大都市なら、そんなに、問題ないのではないかと思う(のは、私の感覚がおかしいのか?)。

そんな時代ではあるが、以前は、メイド姿もマニアックなものとして扱われていて、それこそ、主従になって、御主人様の趣味なのか、主と使用人という雰囲気を出すためなのか、メイド服を奴隷に着せる、なんてことを楽しんでいた主従カップルは居たし、話をしたこともある。

そういうことも含め、絶対領域フェチの方というのが、いらっしゃる。

「ニーソックスに、ミニスカートって、最高ですよね! ちょっと見えるフトモモがたまらないです」

(このころ、絶対領域という言葉自体があったのか、なかったのか、わからないが、少なくともそれほど普及していなかった)

なんて、笑顔で言われると、私は、そんなに、絶対領域へのこだわりはないにも関わらず、つい、それに乗っかってしまい、

「そうですね。色っぽいと思います。見えないですが、ガーターなんかにも近いですしね」

私に言わせると、太もも部分だけが出ている状態がいいのなら、別にニーソックスでなくても、ガーターでいいのでは? むしろそのほうが、色っぽく見えるのではないか?と思ったりもするので、ついそれを口にしてしまったのだが…。

「ガーターっ! 全く別物ですよ!!」

私の主張は、一瞬で、却下された。

その後、とくとくと、ニーソックスでなければならない理由を説明されたのは言うまでもない。

ニーソックスは、ニーソックスでなければならない。

ガーターの色っぽさではなく、ニーソックスの可愛らしさの中にある、太ももの肉感とのギャップがいいのだと。

そして、ニーソックスでも、太い横線が入っていると、スポーツのときに膝を守るために履くソックスに見えてしまうのでダメだが、かわいいリボンや、縁取りのフリルがついていれば、それでもOKになるとか、そういうこともある、らしい。

とても、深い。


例えば。

バニーガールが好きな人と話をしたときのこと。

そういう格好で接待してくれるお店に、通いつめている男。別に、Sで主従の御主人様というわけではなく、ノーマルな人。

バニーフェチがノーマルか?というと、それはそれで別の議論ではあるが…。

それはいいとして、その人との話の中で、ついうっかり、言ってしまった事がある。

「バニーガールって、どうして、網タイツなんですかね?」

私は、網タイツには、良さを感じないタイプなので、何気なく、こんなことを言っていた。

そうしたら、その男の目つきが変わった。

「網タイツじゃないバニーなんて、バニーじゃないんですよ!」

怒られた。

見た目も、物腰も、口調も、とても温和そうな人だった、というか、実際温和な人なのだと思うのだが、不用意に琴線に触れるというのは、危ない。

フェチの琴線は何処に仕掛けてあるかわからないから。

それこそ、こういう話は、ミッション・インポッシブルで、トム・クルーズが、幾多のセンサーをかいくぐって、極秘の場所に侵入するようなもの。

色々なところに、触れてはいけないセンサーが張り巡らされている。

下手に触ると、アラートが鳴り響き、警備兵が大挙して押し寄せてきて、瞬殺される。

ちなみに言うと、バニーガールは良いが、似たような格好(肩紐のない水着にヒール)をした、レースクィーンでは、ダメなのだそうだ。

でも、格闘技のラウンドガールの、似たような衣装には、少し惹かれるとのことだった…。

本当に、深い。

深すぎて、全く基準がわからなかった。


こんな例を出して、他人事のように書いているが、私が、この中で、ニーソではなく、ガーターだったり、網タイツではないものでもいいのでは?と言っていたりしたのは、

パンストや、それに近いものが、気になっているからなのだということ。

ガーターも、ニーソックスに比べたら、パンスト寄りだ。

網タイツではなく、とまでしか言わせてもらえてなかったが、バニーも、パンストで良いのではないか?と思っていたから、口をついて出た言葉でもある。

要するに、私も、自分のフェチを、こっそり主張している。

フェチ持ち同士の、フェチのぶつかり合い。

これは、絶対に決着がつかない、泥沼の戦争だ。

というよりも、それぞれに、良いと思うものがあるのだから、それを信望していればいいわけで、そもそも、決着を付ける必要などない。

確実に、不毛な争い。

でも、こんな話をすること自体は、私は楽しかった。

同時に照れくさくも思っていたので、話していても、煮え切らない私は、大抵、劣勢ではあったが…。

自分のフェチを、ここまで主張できるのは、清々しい。

でも、ちょっと、鬱陶しいこともある。

このブログでの、私も含めて。


そんな鬱陶しいというか、もう、はたから見たら面倒臭い奴である、私が、こうして、ブログで、フェチのことを、気楽に書けるのも、

そんな私のフェチをも、奴隷が理解してくれたからでもあると思う。

自分で、照れくさいとか、恥ずかしいとか、思っていたことではあるが、それを奴隷は嫌な顔せずに受け入れ、

私が直接的には、あまり言わないにも関わらず、察してくれたりして、

持ち歩くバックの中には、必ず換えのパンストを、何枚も入れていたりしたから、こうして、笑い話として思い出せるのだと思う。

SやMということも、そうだが、こういうフェチについても、変態と呼ばれ、気持ち悪がられたり、退かれたりすることもあるので、それを、自分のパートナーに理解してもらうのは、難しい場合が多いと思う。

主従なら、命令して押し切るということができる(照れたりしなければ…)のだが、恋愛関係や、夫婦関係であれば、カミングアウトすることですらも、勇気がいると思う。

上の例で言えば、いつも、ニーソックスにミニスカートで居てくれとか、ずっとバニー姿でいてくれとか…。

恋人や奥様に、お願いするというのは、かなりハードなミッションだと思う。

ニーソックスは、まだいいかもしれないが、バニーは、厳しいのではないだろうか?

フェチによって、ハードルの高さも違うのは、面白いが、真剣に、それが好きで好きでたまらない人にとっては、笑えないことだ。

ハードルが高ければ高いほど、険しいイバラの道を進むことになる。

その点、私は、奴隷に散々にフェチ心を満たしてもらえたのだから、幸せなフェチだと思う。

皆さんのフェチも、なんとか、パートナーに理解して頂けるよう、心から願っている。


ちなみに。

”フェチ”というと、変態っぽいイメージがついてしまうので、”こだわり”と言う方が、パートナーにカミングアウトしやすいのではないかと、ふと思った。

結構、良い案なのではないかと。

「俺、パンストフェチなんだ」

と言うよりは、

「俺、パンストにこだわりがあるんだ」

と言う方が、いい気がした…。

が、書いてみたら、そうでもない気もする…。

これを使うかどうかは、自己責任で、お願いしたい。


そうそう、今日は、4月1日なので、カミングアウトして、その時の相手の反応によっては、「今日は、エイプリルフールじゃないか」というのが、許される気がするので、それを活用してみるのも、ありかもしれない。

それも、もちろん、自己責任で。


テーマ:脚フェチ・パンストフェチ・タイツフェチ - ジャンル:アダルト



奴隷と会って、調教をする場合、主従によって、ある程度、スタイルが決まっていると思う。

スタイルというと、大げさかもしれないが、しっくり来るやり方が、ある。

私にも、それはあって、”いつもの調教”の流れが、自然にできていた。

ホテルに入り、奴隷が、床に正座をして、挨拶をし、首輪をつけ、…、という感じで始まり、最後になると、奴隷が挨拶をし、首輪を外して、というふうに終わる、ルーティーン。

それが、ホテルの休憩(短時間)なら、こうで、宿泊の時なら、こうで、私の部屋に奴隷が来たときなら、こうで、奴隷の部屋に私が行った時は、こうで、…、とその状況によっても、それぞれに、パターン化してくる。

また、疲れている時、とか、元気な時とか、そういう、私の状態によっても、変わる。

でも、それも、こんな時は、こうするという、パターンが大体、決まってくる。

それを、最初から、奴隷が知っているわけではないので、大抵は、主従になった直後から、躾けて、私にとって、やりやすく、楽しめるように、教え込む。

というよりも、私がそのように命じたり、主導して進めていくから、それを奴隷が覚えていく、という感じだ。

そういう、”いつもの調教”というのが、奴隷と、何度か会っているうちに、ある程度、出来上がってくる。

そうすると、不思議なもので、奴隷は、それに合わせて、気持ちを高めたりしていたように見える。

例えば、性処理に使われるのが、おそらく次にくるだろう、という段階にくると、性欲が強い奴隷は、私がまだその素振りもみせていなくても、大量に濡らしたり、気分が乗っていれば、それを思っただけで、震えたりしていた。

また、踏みつけられたり、蔑みの言葉をかけられることを好む奴隷などは、それが、次に来るのだろうと、わかるだけで、興奮し、顔が紅潮したりする。

こういう、一連の調教(一緒に過ごす時間)の流れが、奴隷の心の準備というか、性欲や、M性を開放するスイッチが押されるタイミングとして、インプットされていると、奴隷はその流れに乗って、快感を得ていたように見える。

だから、おそらくだが、奴隷は、ある程度決まった流れを作ってやったほうが、雰囲気に入りやすいのではないかと、私は思う。

また、その流れというのは、御主人様である、私が最初に主導したものだから、それに従うことは、私に従う事であり、私の支配の元にあるということを、認識させるものでもあったのかもしれない。

ただ、それをずっと続けるなら、マンネリ化ということにも、つながっていく可能性もある。

緊張感がなくなるのでは?という懸念も出てくるが、

一度染み付いた、心地よいパターンは、安心できるものでもあり、それに沿っていけば、性欲や、M性が満たされることが無意識にでも、わかっていれば、

奴隷にしてみると、自分をさらけ出しやすい環境でもあったのだろうと思っている。

また、御主人様は、その時の気分で好きなことをするというのが、基本ではあるのだが、御主人様にとっても、ある程度パターンが決まっていれば、何も言わなくても、奴隷が自分で動くので、楽になる部分というのは、ある。

大抵の場合、主従になったばかりの時の奴隷は、指示や命令を出さないと、何をしていいのか?何をしてはいけないのか?わかっていないから、固まってしまうことが多い。

それを、パターン化することで、その都度、命令をしなくても、ある程度のことは、奴隷が自分で動いて、やるようになるから、御主人様にとっても、快適なことでもあるし、安心感もある。


要するに、アンパンマンのようなものだ。

アンパンマンが正義の味方であり、それが、負けることは、ない。

最初、平和に過ごしていて、バイキンマンとかが、悪さをして、ピンチになる。

でも、そこで、顔を取り替えたりして、復活し、最後は、必ず勝つ。

※ちなみに、私はそんなに見たわけではないので、あくまでもイメージだ。

シチュエーションは、毎回違うから、子供は、見ていて、飽きること無く、ドキドキするのだろうが、それでも、話の流れは、基本的に、似ているし、最後に勝つことはわかっているから、安心して見られる。

そういう、ドキドキする部分もありつつも、最後はハッピーエンドになるとわかっている、絶対の安心感が、アンパンマンにはあると私は思う。

作者が、それを意図したかどうかは知らないが、人間の安心を求める気持ちに、上手に、はまる作品なのだろう。

もちろん、アンパンマンは、それだけが魅力だとは言わないが、その要素もあるから、何十年も子供に根強い人気が出るのかなと思う。

予定調和というのは、悪い意味で使われることが、多いかもしれないが、多くの人が見ていて心地よいと思えるものを素直に書いていった結果の一つが、ああいうものなのかもしれない。

奴隷との過ごし方も、それと同じで、安心感を奴隷に持たせたければ、”いつもの調教”をすることが効果的な場合は多い。

でも、私は、あまのじゃくなので、この”いつもの調教”パターンを作っておいて、それをある時、唐突に崩して、奴隷を混乱させて楽しむということも、やってしまう。

本当に、嫌なやつだ。

また、崩すことを意図的にするのではなく、本当にその日の気分で、いつものパターンではないことをしたいと思えばそうしていた。

やっぱり、その時も、奴隷は混乱する。

それを楽しむ。

これは、そこまでの間に、パターンを作っておかなければできないことだ。

普段から、パターンがなく、変則的なことばかりやっていたら、”いつもと違う”という状況にはならないので、そういう意味でも、重要なことなのかもしれない。


ただ、奴隷によっては、これが、少し厄介なことになる場合がある。

”いつもと違う”ということに、不安を感じること。

その”いつもと違う”ことが、私の気まぐれであり、私がその時にしたいことなのだと、そのままに、解釈できる奴隷なら、それはいい。

驚いて、混乱するだろうが、その後は、むしろ、新しいことに、新鮮味を感じるだろう。

そういう、サプライズ的なことを、楽しめる奴隷なら、全く問題はない。

でも、いつもと違うということが、不安になり、「私に飽きてしまったのではないか?」とか、そのような、ネガティブな思考に、つながっていく奴隷もいる。

いつものようにやっても、つまらなくなったとか、そもそも、”私”では、つまらないのではないか?とか、考える奴隷もいる。

特に、いつもよりも、調教の量を減らすと、そういう風に思うことが、多いように私は感じた。

例えば、性処理に使う回数が少ないとか、全く使わないとか、これなんかは、かなり顕著だった気がする。

自分が、性の対象として、魅力がないのではないか? 性処理にも使ってもらえないなら、捨てられるのではないか? というレベルまでの不安を奴隷に抱かせてしまったこともあった。

私は、自分のS性が十分に満たされれば、性欲が満たされなくても(簡単に言えば、射精しなくても)、別に気にしないのだが、

奴隷にとっては、私が、S的な意味で満たされたかどうか?というのは、わかりにくい。射精があれば、私が性的に興奮し、満足したのだと、納得しやすい。どうしても、それが、私を満足させることができたかどうかの基準になってしまう。

その基準が、さらに、自分の奴隷としての存在価値に直結するところにまで、至る。

それが、普段は、性処理に使っているのに、その時は、使われず、射精もなかったとなると、私が、つまらなかったのではないか?と考えてしまう。

いつものことがない、というのは、奴隷にとっては、

”御主人様を満足させられていない”=”奴隷として役に立たない”

という、思考につながっていくことがある。

自分には、存在価値がない…。捨てられるかもしれない…。そう思ってしまう。

これが、難しいところだなと思う。


私としては、アンパンマンでも構わないのだが、やっぱり、違うことをしたい時というのは、あるし、そういう気分になることも、普通にある。

本当に疲れている時には、体を使うSMプレイや、性処理をせずに、奴隷とゆっくり過ごしているだけでよく、それで、満たされた気持ちになっていたことも、ある。

”いつもの調教”を作った上で、さらに、例外部分を、奴隷に理解させて、初めて、一緒に過ごすときの、流れというのが、出来上がるのだろうなと思う。

奴隷を不安にさせるというのは、調教方法の一つでもある。

だから、不安にさせることを一概に悪いとは言わないが、奴隷の性格によって、その不安が、心が落ち込み、自分を必要以上に否定することに、直結する場合もあるから、

その匙加減というのは、考えないといけないところだ。

そういう意味で、アンパンマンのような、一つの信じられる流れというのは、持っていると良いかなと思う。

それがあることで、奴隷を安心させてやることができる。

そして、アンパンマンから、外れるときには、それなりの注意が必要な場合があるから、御主人様は、その見極めが、肝心だなと思う。

実際、それは、すごく難しいところだ。

奴隷の性格をちゃんと把握するとか、様子を見てどんな状態なのか、察するとか、そういうことが、できないと、いけないから。

私は、そういうのが、おそらく、あまりうまくないので、奴隷を、不必要に、不安にさせたことがあった気がしている。

それは、もう少し、しっかりしたかった部分だ。


テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト



今回はあまりまとまらない話を書く。

私の中でも、考えが定まらない部分なので、思い浮かぶことを、つらつらと、書いてみる。

メールなどで、お話をさせていただいて、主に、奴隷の方に、いただくご質問。

そして、そのたびに、私として、考えが固まっておらずに、あまり、しっかりした、お返事ができない話題がある。

「御主人様のことを、好きになってもいいのか?」

「御主人様に、好きだと言ってもいいのか?」

ということ。

これは、私のこととして考えるなら、答えはすでに出ていて、私が仮に御主人様だったとして、奴隷が、私のことを好きだと想ってくれるのは、嬉しいし、幸せに思う。

だから、この質問に対して、私だけの話であれば、「好きになってもいい」と、明確な答えを出せる。

でも、過去に、他の御主人様を、数々見てきて思うのは、奴隷のそういう感情をあまり喜ばない人もいる。

というより、喜ぶ、喜ばない、以前に、そういう感情を気にしない人もいる。

恋愛と、主従は違うと、はっきりと線引きをして、関係を持ちたいと思っている御主人様と、お話をしたことも、何度もある。

また、ご相談などで、お話をさせて頂く奴隷の方から、その御主人様の言動を伺ってみると、主従としては関係を持っていたいが、奴隷から好きという感情を向けられることをあまり良く思っていないように、感じられる場合も、結構ある。

だから、主従の一般的な話として、「奴隷が御主人様を好きになっていいのか?」ということに、私は、どう答えようか、いつも迷う。

これが、恋愛の一般的な話とするなら、女にしろ、男にしろ、相手を好きになることは、当然いいだろうし、恋愛関係の、そもそもの根幹になる感情は、「相手のことが好き」というものだと思う。

セフレとか、身体だけの関係を恋愛に含めるなら、別かもしれないが、恋愛に関しては、「好きになっていい」と言い切って良いだろうと思う。

主従も、私は、奴隷が御主人様を好きになっても、御主人様が奴隷を好きになっても、もちろんいいと思っているのだが、そう思わない人もいることは、よく知っているので、なんとも言えない。

「それぞれの主従で違う」、「御主人様の方針による」、と言ってしまえば、それまでなので、そういう答えは、一応、あるのだけれども、

それで片付けるのは、どうも、しっくりこないし、そもそも、答えになってないな、と思いつつ、迷いつつ、毎回、お聞きした、その方の状況に合わせて、お返事をさせて頂いている。

そして、大抵が、あまりはっきりしない、ぼんやりしたお返事になってしまっているような気がする。

このあたりが、歯がゆいところだ。

※だからといって、こういう、相談をしないでくださいとか、迷惑だ、という意味ではないので、気になるなら、話をしてくださって構わない。


御主人様が、奴隷から恋愛感情を持たれることを嫌うというのは、私自身は、実感としてはないのだが、その気持ちを推察することは、できる。

恋愛関係になる動機の感情が、「相手のことが好き」という気持ちだとして、主従関係を持ちたいと思う動機の感情が、恋愛の場合とは違う人が、かなり多いということも一因だと思う。

「S性やM性という、特殊な性癖を満たしたい」という感情、欲求。

それが、一番先にくる人が多いのではないか?

もしも、恋愛と同じように、「相手のことが好き」という感情が、一番最初にくるなら、主従関係ではなく、恋愛関係になればいい。

わざわざ、主従を選んでいるという時点で、多分、「好き」という感情よりも、「性癖を満たしたい」という感情が、先に来ているのではないか。

それは、御主人様も、そして、奴隷も、だと思う。

もっと、正確に言うなら、

「性癖を満たしたい」「M性に気がついてしまった」ということで、それを満たしてくれる相手を探していて、探し出した相手とのコミュニケーションのなかで、「好き」になったから、主従関係を結びたいと思う、というのが、奴隷になるまでの、プロセスとして多いのかな?と思う。

誰でも良いわけではないのだから。


私も、おそらく、これから先、恋愛だけの関係を持つことは無いと思う。

奴隷にした女を好きになる、好きだと思うから、奴隷にする、それは、変わらないだろうが、

それでも主従関係を望む時点で、自分の性癖を満たしたいという感情が、関係を作る時に、働いていることは、確かだ。

私は、主従関係ではあるが、その中に好きな気持ちを持って奴隷と過ごすのがきっと一番心地いい。

私はそうなのだが、そうではない人もいる。

こんな風に書くと、なんだが、SMができる相手が欲しい、快楽だけを求めている、という、ドライな考えだけで、主従をしている人が多いように、思われるかもしれないが、私はそうも思っていない。

だから、ややこしいことを考える。

この、S性やM性という、性癖は、表の世界、世間一般から見ると、”変態”と呼ばれるものであり、理解してくれる人が、少ないものだ。

主従関係というのは、異常な関係であると認識されている。

最近は、SやMという言葉は、普通に使われるようになったとは思うが、それでも、本気で、主従関係になって、それを、おおっぴらにできる状況でもないだろう。

そんな状況の中で、奴隷と御主人様というのは、その性癖をお互いに、確認し合ったからこそ、主従関係は、成立している。

つまり、”恋人”であるかどうかは、まずは、置いておいて、その前に、”理解者”なのだと思う。

恋愛で、好きな相手を、”恋人”と呼ぶように、主従でのパートナーは、”理解者”であると、私は認識している。

そして、一口に、SやMといっても、その中で、さらに多様な性癖があり、それを、わかって認め合っている。

理解者として、お互いを認め合っている関係は、恋人であることと、比較できるものではないと思う。

恋人ではなかったとしても、理解者として、肉体関係を持つこと、SM行為をすることに、恥じることは無いと私は思う。

恋愛感情がなければ、肉体関係を持つのは、良くない、それはただ、欲望を満たすためだけの、虚しい関係だという、一般的な認識があるのはわかるが、

理解者というのは、恋人とは、また違った形の、気持ちも満たされる人間関係なのかなと思う。

素の自分を理解してくれる人がいる。というのは、とても幸せなことだと、思う。

だから、”恋人”としての感情抜きで、”理解者”として、主従関係を続けていきたいと思う、御主人様や、奴隷も、いることは、ある意味、当然のことなのかもしれない。


”好き”という感情がなければ、肉体関係を持つことは、良くないという気持ちは、表の世界での、モラルというか、貞操観念のようなものかもしれないが、やっぱり、心の中にある人が多いと思う。

殆どの人は、表の世界で、育ってきたのだから、そこでの、常識は、やはり、気持ちに影響を与えるだろう。

好きな人だから、身体を許す。

そんな、表の世界の常識からくる気持ちと、主従関係との、整合性を取りたいと願う心の動きが出てくるのは自然なことで、

だから、「御主人様を好きになっていいのか?」、つまり、好きだと言ってしまいたい、”恋人”でもありたいと、思う奴隷も、多いのではないかと思う。

もちろん、私が、こうして書いている、面倒な感情の動きなど関係なく、御主人様のことが、理解者であるとか、そういうことにも関係なく、とにかく、御主人様を好きになってしまった奴隷というのも、たくさんいると思う。

だから、上で書いた話というのは、私がつらつらと、考えている中の、一つの例というだけなのだけれども、

好きという気持ちを、御主人様に対して持つことについて、また、御主人様にも好きになってもらいたいということについて、ご質問をいただく時、上のようなことを含めて、私は、考え込む。


ただ、”理解者=恋人”であれば、感情面で、迷いは少なくなるだろうし、安心感も大きくなる可能性は高いと思う。

奴隷が、御主人様のことを、好きだと思っているなら、そう思うことを御主人様も認めてくれれば、そして、御主人様から、奴隷に対しても、好きだという気持ちを持っているなら、

それが、多分、一番落ち着ける関係になるのだろうなと、私は思う。

実際、私も奴隷のことを好きだったから、そこから、幸せな気持ちを得ていた部分は大きい。

だが、やはり、理解者であることと、恋人であることの、違いに、こだわり、そして、そこに線引きをしている人もいる。

それを否定するつもりも、私にはないから、この話に、なかなか、良い答えを持ち合わせない。

それが、歯がゆくも思う。


それから、もう一つ、話があって、これは私の経験談でもあるが、御主人様になると、奴隷と、”好き”だとか、そういう話をするのが、とても恥ずかしい。

私は、照れくさいし、御主人様である自分がそういうことを、奴隷と話すこと自体を、避けるようになっていた。

私の元来の性格として、女性とそういう話をする事自体が、苦手というのも、多分に、あるのだが…。

でも、好きだとか、そういうことを、話したがらない、御主人様が多いというのは、私も思うところだ。

だから、実際には、そういう気持ちを持たれることを、嬉しく思っていても、それを表現できないでいる御主人様も、多いのではないか?ということは、思う。

私は、思いっきりそうだ。

この場を借りて、奴隷の方に、お願いしたいが、そういう場合には、放っておいてあげて欲しい。

私も、本当に、この手の話を奴隷とするのは、苦手だったから。

そもそも、照れくさいし、御主人様としての威厳?というか、プライドというか、そういう厄介なものをたくさん抱えているので、正直、対応に困る。

認めてやりたい気持ちは、あるのだが、なかなかそれを表現できない。

この手の御主人様に対しては、奴隷から好きというのは、おそらく問題ない(私は言われるたびに照れくさかったので、無視していた…)が、さらに、「御主人様は、私を、好きですか?」とか、聞くのだけはやめてやってくれ。

本当に、どう答えて良いのやら、頭を抱えるから。

私は、そんな心境だったことがよくあるので。

いじめないであげてくれ。


と、最後は、変なお願いになってしまったが、

本当に、まとまりがないし、結論もなく、ただ、考えていることを書いている文章で、なんとも、恥ずかしいのだけれども、奴隷が、御主人様を”好き”と思うことについては、こんなことを、考えている。

ここまで書いてきたが、実は、まだ、”恋人”と”理解者”については、考えていることがあるので、そのうち、またエントリーにしたいなと思う。

テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト

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著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
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というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

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