理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


※パソコン以外で見ていて、何故かここしか表示されずに困った方は、以下のボタンを。

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このエントリーは、特にSMとは関係ない、私の現状について書くという、非常に個人的な話だ。

なぜそんなことを書こうと思ったか?というと、私の現状について、ご心配くださっている読者の方が、少しいらっしゃるようなので、それにお応えするという意味合いだ。

私の現状になど興味のない方はかなり多いと思うので、そういう方は、読み飛ばしてくださって構わない。

興味のある方だけ、読んでいただければという、エントリーで、なんだか申し訳ない。



さて、ありがたい事に、ブログをやっていると、メールやコメントを頂くことがある。

ブログを始めようと思ったときには、こんなエロ動画も、調教写真も、官能小説もないSMブログに、誰も興味を持ってくれないんだろうなぁなんて思っていた。

だから、私のSMについての過去の気持ちや経験を整理するために使おうと思って立ち上げた。どちらかというと、自分の為に。

最初は、どうせ来ないだろうから、コメント欄もメールフォームもつけないでおこうかと思った。

でも、やっぱり私は誰かとコミュニケーションがしたかったのだと思う。

感想を聞きたかったのだと思う。

私が書く昔の思い出話に少しでも付き合ってくれる人がいてくれたら嬉しいと思っていたのだと思う。

だから、コメント欄も残したし、メールフォームもつけた。

それに、たくさん人が来てくれれば、興味を持ってくれる人ももしかしたら居るのではないかとおもったから、ブログランキングにも参加してみている。

そして、今、私の当初の予想に反して、コメントもたまに頂くし、メールもかなりの数、いただくようになった。

いただくのはメールのほうが多いのだが、やっぱりこういうブログだから、公開されてしまうコメント欄には書きにくいのだろうか?なんて、そんなことを考えたりもするようになった。

とにかく、当初考えていたよりも、色々な方とのコミュニケーションが出来ていて、私としては非常に嬉しく思っている。

そんなコミュニケーションの中で、多くの方に聞かれたことがある。

それは、「今のvetさんはどうされているのですか?」ということだ。またそれに付随して、「もう御主人様をやる気はないのですか?」ということも聞かれる。

こんなご質問をいただくのは、かなり驚いたし、しかも一人ではなく、複数の方から同様に聞かれたから、さらに驚いた。

奴隷を失った御主人様のその後というのは、惨めで興味をそそるものなのだろうか?なんてことなのかなぁと思ったら、実はそうではなく、私が世捨て人になっているんじゃないかと心配してくだっさったり、もう女への興味をなくして無気力になっているのではないかと危惧してくださったり、と本気で私のことを気にかけてくださっている方ばかりで、驚いたと同時にありがたく思った。

なので、メールを下さった方にはお礼のお返事と私の近況を書いたのだが、そういうメールが何通も来たり、コメント欄でも聞かれるということは、メールやコメントを下さったことのない読者の方の中にも、同じような疑問を持たれている方がいらっしゃるのではないかと思い、このエントリーを書くことにした。

このエントリーは、そういう経緯で書いている。


なんだか、前置きが長くなった。

私の現状を書く。

まず、今は私は東京にはいない。

奴隷をすべて失ってから少し経って、北海道の函館という街に引っ越した。

今はその街で暮らしている。

仕事の都合で、引っ越したということだ。でも、残ろうと思えば、東京に残ることもできた。

だから、奴隷を失ったことが東京を離れることになんの影響も与えなかったか?といえば、それは違うような気がする。

やはり多少のショックがあり、そこから逃れようと、住む場所を変えたいという気持ちが少しもなかったとは言い切れないと思う。

でも、少なくとも、悲しみにくれて東京をあとにしたというような大げさな気持ちの揺れがあったわけではない。

私としては、仕事が一番の理由であったということに、心のなかではなっている。

本当のところはどうなのか?というのは私にもよくわからない。

そして、今は奴隷もいないし、普通に付き合う女もいない。独り身の状態だ。

今は独り身というのは、ブログの中で何回か書いたのだが、それも皆さんにご心配をおかけする要因になっているようだ。

でも、悲嘆にくれて、「女なんてもういい…」とか思っているわけではないのでそれは心配しないでいただきたい。

単に、付き合う相手がいないだけだし、奴隷がいないのも、現在は出会うための努力をしていないだけだ。

ただ、前ほど奴隷(または女)との付き合いに積極的ではなくなっているという気持ちはあるような気がする。

是が非でも、奴隷や彼女を作らなければ!という気持ちは今はあまり湧いてこないから、そういう面では消極的になっているかもしれない。

奴隷を失ったことというのは、やはり私の心境に影響を与えていると思う。

でも、メールをくださった方の中に「人によって傷付いた心は、人によってしか癒されない」と言ってくださった方がいらっしゃるのだが、その言葉にはすごく励まされた気がする。

私の中の消極性を見抜かれ、そうアドバイスして背中を押してくださった。

ありがたい事だ。

こういうことも、ブログでコミュニケーションをする可能性を閉じずにいてよかったと思うところだ。

だから、私は「もう御主人様をやる気はないのですか?」という、もうひとつの質問には、明確に答えられる。

「機会があればやってみたい」と。

ただ、それは現実的に考えて、今すぐにできるとは思っていない。

そう簡単に奴隷となるM女が見つかるとは思えないし、それを探すために今すぐに私が行動を起こすということも今は考えていない。

もちろん、私の奴隷になりたいというM女がいきなり見つかってしまえば、御主人様にすぐにでも戻りたいとは思うが、そんなM女が道端にホイホイ落ちているものではないので、そんな可能性を本気で考えているわけではない。

今はまずブログに過去を書く事で気持ちの整理をつけ、次へ向けたステップにしていきたいと思っている。

その後になるか、その途中になるかはわからないが、縁があれば、また奴隷を飼ってみたいと思っている。


ということで、現状の私は、こんな感じだ。

だから、あまり心配しないで欲しい。

というか、ご心配いただけるのはとてもありがたく、光栄なことなのだが、皆さんにご心配をおかけするほど私はひどい状態というわけではないということをわかっていただければと思う。

奴隷を求めるための行動が積極的とは言いがたいが、かといって奴隷を得て御主人様に戻ることも含めて、何もかも諦めているというわけではないし、ましてや世捨て人になってるわけでもないので、大丈夫だ。

時が来れば、自然に奴隷を求めるようになるのかも知れないと思っているし、今すぐに奴隷が見つかれば御主人様に舞い戻る覚悟というのもある。

だから、「奴隷にして欲しい」というM女がいれば、私はそのことについて真剣に前向きに考えると思う。

ただ、今は、奴隷はいないので、ブログを書きながら、過去を振り返りつつ、先を見据えてじっくり過ごしているところだと思っていただければ、それが一番当たっていると思う。

ということで、今回のエントリーは、今までで一番面白くなかったかと思うが、一応このブログのWEBマスターとして、書いておきたいと思ったことなので、許して欲しい。

テーマ:支配と服従 - ジャンル:アダルト

私の女性と奴隷の好みについて、コメント欄で、かなり以前に、好実さんにご質問を頂いたので、そのお返事として、エントリーを書いてみることにする。

かなり遅れてしまって、申し訳ない。お許しいただければと思う。

私の、女性や奴隷の好みということなので、今回はちょっと我侭なことを書かせていただく。

変態で変態なvetのくせに何を贅沢なことを言ってるんだ!なんて思われる方もいらっしゃるかもしれないが、今回は優しく見守って欲しい。

とは思ってみたものの、どう書けばいいのか、かなり悩んだ。


まずは奴隷ではなく、女性の好みについて、考えてみたのだが、好みが無いわけではない。

なんとなく、ぼんやりとした、理想像みたいなものは浮かんでくるし、メディアや街中で、女性を見て、いいなと思うことなんかももちろんあるから、やっぱり好みはあるのだ。

だったらそれを書け。とも思うのだが…。

その好みの通りでなければいけないか?と言われると、そうも思わない。

学生時代くらいまでは、もっと明確に女性の好みのタイプ(性格とか、顔とか、体型とか)を言えた気がするが、それを過ぎた頃からは、そういう事はあまり考えなくなったように思う。

ぼんやりとは思うのだが、ぼんやりしたまま。明確なものがないように思う。

自分がモテないから、誰でもいいと諦めたとか、選び方が適当になったとか、そういういい加減な気持ちを持っているということではない。

女性と付き合う以上はちゃんと相手のことを見極めるというのは、自分にとっても必要なことだし、相手にとっても大切な事だと思う。

それをしないで誰でもいい、なんて言うのは、無責任だし、相手にも失礼だ。

だから、そういうことではない。

学生時代の終わりごろから、今にかけて思うようになったことは、女性にはそれぞれに、それぞれの魅力があるということ。

最初にそう思わせてくれたのは美佳だった。

美佳と付き合うようになってから、私の女性に対する考え方はかなり変わった。

美佳は、よく言われるところの美人というわけではなかったし、性格も明るくて愛嬌があるような感じでもなかった。

優しかったし、女らしいところは結構あったのだが、それも、自信がなく、怖がりで、オドオドしていて、どちらかというとネガティブ思考をするという、簡単に言ってしまえば暗い性格に隠されて、あまり目立たなかった。

一般的な基準に照らしてみれば、男にモテる女の部類には入らなかったと思う。

でも、美佳と付き合い始めてから、美佳のことが私にはかけがえのないものになっていった。

美佳の欠点とも思える部分まで、私は好きになっていたし、魅力的に感じていた。

暗い性格の部分も慎ましくて、可愛いと思えるようになっていたし、外見的なものに関しても、とても美しいと思えるようになった。

美佳のコンプレックス”のところでも書いたが、小さい胸なんかも可愛らしく思えるようになって、私はとても好きだった。

学生の頃なんかは友だちと一緒に、グラビアの胸を強調した女性の写真なんかを見ては喜んでいたりもしたものだが…。

そういうのも興味がなくなった。

胸が大きな奴隷も居たから、もちろん、胸の大きな女性が嫌いになったというわけではない。

胸が大きかろうが小さかろうが関係なく、それぞれに、持っているものを、素直に好きになれるようになったということ。

それも無理矢理にそう思おうと思ったのではなく、いつのまにか、自然にそう感じるようになっていた。

美佳は、私がそれまでに思っていた好きな女性のタイプとは、全く違っていた。

そして、その後、何匹かの奴隷を飼ったりするのだが、そこでも、彼女たちに感じた魅力的な部分というのは、私がそれまでに持っていた、好きな女性のタイプとは違ったところが多々あった。

こんな感じで、女性にはそれぞれにそれぞれの魅力があるのだということを、実感を持ってわかった気がするので、

その魅力を見つけることが幸せであり、その人を好きになるということなのだろうと思うようになったのだと思う。

相手の良い所、魅力を見つけるのがすごく楽しく感じるようになった。

だから、女性の好みということに関しては、それほどこだわらなくなったのだろうと思う。

ということは、それは好みでもなんでもないような気がする…。

なんてことを、堂々巡り的に考えてしまっていたので、ご質問をいただいてから、このエントリーを書くまで、かなりかかってしまった。

多分これは、このまま考え続けても結論は出ないんだろうということで、考えるのを止めることにした。

そして、逆のことを考えようと思った。

それは、「最低限、これだけは押さえていて欲しい」ということ。

つまり、私として、この条件がクリアされないと、ちょっと困ること、というのを考えてみようということ。

そして、それ以外なら、きっと、好きになることができる、つまり何か魅力を見つけて、それがいいなと思えるようになるのだろうと思った。



まず、私が最も大事だなと思う部分、そしてこれができてないと確実に困ると思う部分だが、それは、

「まともに話が出来ること」

これができてないと一番困る。

まあ、女性に限らず、これができないと普段の生活や仕事なんかでも、相手をしたくない人と思ってしまう部分なのだが、話ができないとどうしようもない。

意思の疎通がまともにできないことになるので、相手のことを知ることすらできなくなるのだから、本当に困る。

大部分の人は普通に話ができるので問題ない。

でも、きちんとした話ができない人というのが、たまにいらっしゃる。

例えば、ノリだけで話をするというか、その場の雰囲気に合わせるだけで話をしている人。

もちろん楽しむ時とかは、そういう話をしてもいいし、場の雰囲気を壊さないような配慮でもあると思うので、それ自体はいいのだが、常にそれだけだと困る。

真面目に話をするべきときに、それができない人がいる。

また、真面目に話をするのを面倒臭がる人というものいる。それも苦手だ。

私も、ややこしくて長い話をされるのは、好きではないのだが、それでもある程度の話はしないといけない時がある。

でも、必要なときでさえ、それを放棄する人がいるが、それは困るなと思う。

もちろん、特別なことを要求しているわけではない。普通に話せる人なら問題ない。

話術に長けている必要なんて全くないし、口ベタでも、引っ込み思案だとか、人見知りだとかで、自分から話を積極的にできないタイプであっても構わない。

それこそ、上で書いた美佳の性格のように、オドオドしていて、自己主張するのが苦手なタイプでもいい。

そういう場合でも、話をしようと真剣に努力してくれさえすれば問題ないし、私との話を嫌がらずに、面倒臭がらずにいてくれればそれでいい。

緊張したりして上手く話せなくても、話そうとしてくれてさえいれば、私はそれを待つし、ゆっくりでも話をするので、時間がかかっても、最後まで話はできると思う。

という感じで、まずは、ちゃんと話ができる(しようと頑張れる)人というのが、第一条件だと思う。


次に、常識を(普段は)わきまえている人。

アブノーマルで、非常識な私に言われたくないとは思うが、私も、一応社会人として生きているわけで、そういう意味では、普段は常識の中で、生活している。

そういう意味での常識。性癖とか性欲とか、そういう意味ではなくて。

それに、常識と言っても、完璧なテーブルマナーが身についているとか、お茶の作法がわかりますだとか、そんなところまではいらないから、最低限、大人として、特に問題なく社会生活を送れるだけのものが身についていればそれでいい。

挨拶ができるとか、敬語が使えるとか、TPOをわきまえて行動できるとか、大人が普通にやっていること。

多分、大部分の人が備えているものだと思うので、これも特別なことじゃないと私は思っている。

ただ、仕事なんかでいろいろな人に会っていると、ごくたまにこれがない人を見かけたりするので、そういう人は苦手な私だ。

だから、そういう人は多分、女性としても、奴隷としても、パートナーとしては受け入れがたいと思う。

性癖や、特殊な趣味とか、興味とか、そういう部分は、アブノーマルでも、私はそれほど問題ないと思う。

私がそうだから、相手のそういう部分は、当然受け入れる。

とにかく、大人として、普通に社会生活を送ることが出来る人。

”常識”というと、ちょっと硬い書き方になるかもしれないが、不器用でもいいから、人の間で普通に生きていける人ならいいということ。


次に、ちゃんと、考えられる人というのがあるかなと思う。

と言っても、勉強ができるとか、仕事が出来るとか、そういうことではなく。

頭の回転が早いとか、賢いとか、知的とか、そういうのとも違う。

考えることを安易に放棄しない人、といったほうが正確か。

私はこの通り、考えすぎるタイプの人間だ。

だから、私と同程度まで考えてくれとは言わないし、私は自分の考えすぎる部分は、ちょっとやり過ぎっぽく思っているので、そんな要求はしないが、考えるのを面倒臭がって、どうでもいいと、すぐに言ってしまったり、もういいやと、諦めてしまう人がいる。

それをされるのが、私は嫌だ。

もちろん、何かショックなことなどがあって、そういう風に投げやりな気持ちになることもある。

それはそれでいい。人間だからそんな時もある。

でも、いつもそんな感じで、すぐに考えるのを放棄されるのが嫌だ。

考えればなんとかなるかもしれない。もちろん、考えても何とかならないかもしれないのだが、それでも、ちゃんと考えて、解決策を見つけようとする姿勢がない人は、私は苦手だ。

実際に、なにかの問題を解決できた(できる)かどうかは気にしない。それは、その人自身だけではなく、他の要素もあるだろうから。

それに、考えている途中で、混乱してきて、余計に迷ってしまうような人でも構わない。すぐに結論がちゃんと出せなくてもいい。時間がかかってもいい。それでも、考えようとしていることには変わりはないから。

とにかく、何か気になることがあればそれを解決しようとする意思を捨てないでいてくれる人がいいなと思う。そのために最後まで考えることを放棄しない人。

私が、考え過ぎなタイプなので、そういう私の気持ちをわかってもらえる人がいいと思っているのかもしれない。


次に私の性癖の問題なのだが、私は、パンストフェチなので、スカートにパンストを履くのが嫌な人とは、合わないような気がする。

オチみたいに、一気に落として申し訳ないのだが、結構真面目に書いていたりする。

これは、理屈でどうこうという問題ではない。こういう性癖だからだ。

そういう格好が大好きな人ならベストだが、そこまでは望まない。

私のこの厄介な性癖を、広い心で笑って許してくれる女性ならそれでいい。

私に女性の好みがあるとすれば、もしかしたらここかもしれない。

スカートにパンスト姿が似合う女性が好き、楽しく履いてくれればなお良し。ということは言えるように思う。

でも、とりあえず、私の前だけでいいから、そういう格好をしても、嫌だと思わない人であってくれればそれでいい。

たとえ、嫌だと思っても、「仕方ないよね…」と諦めて(呆れて?)、苦笑いしながらでも、履いてくれる人なら構わない。


ということで、この4つくらいが、私が好きになれる女性の条件だと思う。


そして、奴隷に求めることで言えば、これに足して、「M性があり、主従関係を結ぶことができること」というのが追加される。

今思いつくのは、これくらいかと思う。

あとは、前に相性の話のところでも書いたが、奴隷にすることを考えるときに、しっかりと話をして、相性があうかどうかを考えるということだ。

そういう意味でも、最初に書いた、”話をする”ということとか、3番目に書いた、”ちゃんと考える”ことが、出来る人でないと困ると思っている。

しっかり話をして、しっかり考えて、奴隷になる決断をしてもらわないと困るから。

また、S的な考えとしては、奴隷が持つ、”普段の常識”を壊すことが、楽しいので、そういう意味でも、やっぱり、普段のことは、普段のこととして、できている人がいいと思っている。


それと、1つ、一番?重要なこと。

S女性は無理だ。私はMにはなれないので。

友達にはなれるし、なりたいし、実際、女王様の友達もいたのだが、自分のパートナーにはできない。


以上。

これで、私の、女性や奴隷の好みを書いたと胸をはるのはどうかと思うが、今の私はこういう感じで考えている。

女性の好みということで、すっきり、「こういう女性が好き!」って言えるほうが、清々しい気はするのだが、

私は、出会った女性の魅力を発見できることが楽しいと思ってしまうし、女性の魅力というのは、話をしたり一緒に居たりする中で見つけていくものだと、今の私は思っている。

そう思うようになって、前よりも女性のことをちゃんと見るようになれた気がする。

奴隷に関してもそれは同様。

さらに、奴隷の場合には、いろいろな調教や躾を課すことで、隠れていた魅力を引き出したり、新しい魅力を付加するような楽しみもある。

奴隷を魅力的に、奴隷としての品を高めるように調教して、私好みの奴隷に仕上げていく。

奴隷は磨いて光るものだと思う。

しかも、私に合うように、私にだけ合うように、カスタマイズする。

それは、御主人様の醍醐味の一つだと思っている。

だから、最初から、私の理想とする奴隷である必要はないと思うし、そんな奴隷と会うことは、そもそも無理だと思っている。

と、こんな感じだ。

ご質問くださった方には、あまりちゃんとした答えになってなくて申し訳ないような気もするのだが、

好きな女性や奴隷のタイプと言われても、今の私は、こういう風にしか書けないので、これで納得していただけるとありがたい。




最後に。

”奴隷の好み”ということで言えば、私の過去の奴隷はすべて私の好みだった。

というよりも、奴隷たちのような奴隷が、私の好みだと言える。

付き合いが長かった奴隷も、すごく短かった奴隷も。

すべて、本当に私の好みだった。私にとって、大切な奴隷だった。

だから”奴隷の好み”といえば、過去の奴隷たちのことが頭に浮かぶ。

そして、これから、もしも、誰かとまた主従関係を結べるなら、きっとその奴隷が、好みなのだと、好みになるように、なっていくのだと、していくのだと、私は思う。

これが、私の”奴隷の好み”だ。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:アダルト

「股を開け」

奴隷に命じる。

「はい…」

といって、奴隷は、股を開き、私の前に性器を晒す。

ごく普通にある光景だ。

もちろん、奴隷といっても、その行為には、多少の抵抗感がある。

憂いのような表情を浮かべながら、恥ずかしそうにしながら、そうする奴隷もいた。

躊躇し、時間をかけて決意し、その末にやっと股を開くことのできる奴隷もいた。

奴隷により、またその時期により、反応は違う。

だが、私の命令が絶対であることを理解した奴隷に、股を開かないという選択肢はない。

そんな命令。

それは、今の(御主人様になってしばらくして以降の)私にとっては、特別なことではない。

奴隷を目の前にして、何らかの命令を発することに、抵抗も、躊躇もない。

私が、思ったまま、命じる。

奴隷の頭を掴んて、「しゃぶれ」とか、

床に這いつくばる奴隷に足を出して、「なめろ」とか、



そういう命令を口にすることを、私は特に何とも思わない。

口にすることすらなく、黙ってさせることも多々あるが、そんな命令でも、同様。

命令という風に意識することもあまりなく、自然に口から出る言葉であったり、態度であったりする。

対奴隷のみ、ではあるが、日常会話とも言えるかもしれない。

例えば、恋人同士で、「あのお店に、今度、ご飯食べに行こう」とか、そういう言葉と、おそらく同じレベルで、発する事のできる言葉だ。

私の命令というのは、そういうものに”なった”。


でも、御主人様初期の頃、私は、このような命令をすることに違和感を覚えていた。

もちろん、嫌だったという意味ではない。

最初から、S性は、大いに刺激されたし、これを言うこと、そして従う奴隷に、愉悦を感じていた。

また、奴隷がそれを望んでいること、そんな私の命令に従うことで、M性を満たされる部分があることもわかった。

でも、私は、自分の発する命令というものに、自信がなかった。

一つは、奴隷を必要以上に追い詰めることを命じてしまうのではないか?という心配。

命令を奴隷はそのまま実行する。

たとえ、奴隷が尻込みしたとしても、一度出した命令は、実行させる。

退くことのないもの。

私はそう思っているし、そうさせる。

そして、奴隷が、奴隷として、私に気持ちを預ければ預けるほど、奴隷の中での、私の命令の強制力は、強くなる。

奴隷は自分に与えられた命令のリスクを無視するようになる。自己防衛をしなくなる。

だから、命令には奴隷に対する責任が伴う。

その責任の重さを感じていたように思う。

感じていたと言うよりも、戸惑っていたと言ったほうがいいかもしれない。

つまり、奴隷にとって、致命的な損傷(肉体的にも、精神的にも)を与えるような命令をしてしまうのではないか?という心配が、私の気持ちの中にあった。

それは、私の御主人様としての経験不足から来るものだ。

どの程度のことを命令すると、どうなるのか?

それが、初期の頃、経験がない私には、わかっていなかった。

”女”というものと付き合ったのも初めてだったし、女の体、そして心に深く触れたのも初めてだった。

もちろん、”奴隷”としての体、心は、未知のものだった。

だからそれに、直接触れることになる命令というのは、私には考えなしには発することが出来なかった。


もう一つは、奴隷に嫌われるかもしれないという危惧。

奴隷が嫌がる命令をしたとき、奴隷との信頼関係が崩れてしまうのではないか?

命令があまりにもおかしくて、主従の雰囲気を壊し、愛想をつかされるのではないか?

そんなことを考えていた。

奴隷の顔色を伺っていたようなところがある。

それが初期の私の命令だった。


こんなことを書くと、Sな方々には笑われるかもしれない。というか、笑っていただいて構わないのだが、私は、こんな感じで主従を始めた。

何度も書くようだが、あの頃のこんな命令でも、私のS性というのは、大いに刺激されていたのだ。

それは間違いないことだ。

決して、奴隷に命令することが嫌だったわけではない。

でも、同時に、こういう事を思っていた。

だから、命令に自信がなかった。

命令するのが怖かったと言ってもいいかもしれない。


でも、その内に気がついた。

私が自信なく、命令をしている時、奴隷はそれを敏感に察知することに。

ある時、奴隷が言った。

「御主人様、(その命令は)大丈夫ですよ」

と。

何気ないフォローだったのだろうが、私にしてみると、屈辱的なことでもあり、なにより、恥ずかしかった。

御主人様だ!なんて言っている自分が、命令一つ、まともにできず、奴隷に気を使わせている。

正直、かなり凹んだ。

だからといって、すぐに気持ちを切り替えて、自信を持って命令ができるようになったわけではない。

やはり、上記の心配はつきまとっていた。

それでも、私は奴隷に命令をする。

それを続けた。

やめることはなかった。

そうすると、そのうち、なんとなくわかりはじめた。

いつの間にか、奴隷の状況を把握し、それに私の欲求をしっかりと載せた形での命令を自然にするようになっていった。

色々な行為と、その時の奴隷の反応を見て、経験するにつれて、どこまでできるのか?どこまでやって良いのか?ということが、実感として理解できるようになっていった。

命令における、奴隷に対する責任。

それをちゃんと意識しながらも、自信を持って言える部分が増えていった。

これは、本当に、経験と共にあったことだから、経験に比例するように、できるようになった。

ただ、奴隷に嫌われるかもしれない、関係が崩れるかもしれない、という危惧については、残っていた。

これは、すぐに払拭できた気持ちではなかった。

やはり、命令を受ける奴隷の気持ちというのが、気になった。

とはいえ、これも、少しづつだが、変わっていった。

だんだんと奴隷の気持ちというのが、わかるようになってきた。

奴隷が、はっきりとした、そして、自信を持った命令を望んでいることを感じられるようになった。

命令の内容が問題なのではなくて、

その命令が、その時の私が真にしたいこと(奴隷にさせたいこと)であるのかどうか?

私が満たされるものであるのかどうか?

自信を持って発せられたものであるのかどうか?

ということの方が、重要なことなのだと、奴隷の様子を見ながら気がついた。

「股を開け」

なんていう命令は、奴隷が奴隷であれば、また私と奴隷だけがいる部屋の中であれば、拒否する理由が見当たらない。

それによって、奴隷の肉体や精神に致命的なものを与えるようなことはまずないし、奴隷がそれで私に愛想をつかすことも考えにくい。

だから、こういう命令は、比較的早い段階で、自信を持って言えるようになったものだった。

そして、その時の奴隷の反応が、自信のないことを命令するときに比べて、格段に、良いもの(M性を刺激されているようにみえるもの)であることに、気がつくようになる。

「私は、私のしたいようにすればいい」

そんなこと、主従になった時点でわかっていたはずなのだが…。

頭では、それは理解していたが、気持ちでは、そうではなかった事に気がついた。

でも、それに気持ちが追いついた。

しばらくたってから。

「したいようにすればいいって、こういうことなのか」と、心から理解した気がする。

そのあと、徐々に、躊躇や動揺がなくなっていった。

命令するときの、気構えというか、命令するぞという、一種の気合いのようなものは、しばらく残っていたのだが、それもだんだんと薄れていった。

そして、命令を、何の抵抗もなく発するようになっていった。

日常会話のレベルに近づいていった。

そして、最終的には、どんな命令でも、特に気負うこともなく、すっと口から出るようになっていた。

多分、私が”御主人様”というものに、ある意味でなったのは、この時のような気もする。

でも、初期の頃に思っていたことを考えなくなったわけではない。

命令が持つ意味、それが奴隷に与える影響、その責任、全てやはり考えている。

それでも、命令を躊躇なく出せるようになったのは、絶対にしてはいけない命令、したくない命令、そして、私が出したい命令というのが、頭の中できちんと整理されたのだと思う。

例えば、「どこかで他の男に犯されてこい」なんて命令は、私は出さないだろう。

それは、奴隷を自分の支配下においておきたいという私のS性を満たすことにならず、私の嫉妬心を自分で煽るだけであり、奴隷を他人の手に委ねることは、その責任を放棄していることと、私は認識しているから。

奴隷を深く知り、自分の気持ちやS性をちゃんと知った。

だから、私が出さない命令。

すっと出せる命令というのは、その逆のことを、すでに考えつくしたもの。奴隷と私の事を知った上で。

それが、私の命令。

今となっては、私は、本当に簡単に命令を出せる。しばらく出してはいないので、錆び付いているかもしれないが、おそらく出せる。

でも、こうなるまでには、こんなことを考えていた。

考え過ぎかもしれない。

もしも、”本物のS”というものがいるのなら、私のようなややこしいことは考えないのかもしれない。

だから、私は、自分が”本物のS”だと、主張する気は毛頭ないが、私は私の命令を、このようにして、ちゃんと考えた末に、持てたことには、誇りを持っている。

命令の一つ一つは、私のS性から生まれた意思の塊だと思う。

次に、もしも奴隷に命令をする機会があるなら、私は、純粋に私のS性や欲望に従って、私が私のしたいように、自信を持って言うだろう。

あっさりと、すんなりと、普通の会話をするかのごとくに。

揺るぎのない、絶対的な、私の命令を。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト



先程、久しぶりに、続き物の話を書いた。

最近、なかなか書けずに居た。

今、書いている理沙とのことは、私にとって、とても印象深くて、そしてたくさんのことを考え、悩んだ出来事だったので、簡単には書くことができない。

多分、これから先の話もそういう時期があると思う。

どんな気持ちでいたのか?というのを思い出すだけでも、色々ありすぎて、混乱しそうになる。

書こうと思って、パソコンに向かっても、いつの間にか、別の話を書いていたりする。

なので、四方山話が増えていた。

やっぱり、こういう時期のことを書くのは難しいなと思う。

それに、最近は、他にも強く心に思うところがあったので、余計に続き物の話を書くことに、抵抗していたところがある。

でも、書いておきたいという気持ちは、一番強いことだから、時間がかかっても書くつもりだ。

いただくメールの中に、続き物の話を楽しみにしていると書いてくださる方もおられるのだが、かなり遅筆で、申し訳なく思う。

ただ、こればかりは私の心と相談して、整理しながら書いているものなので、待っていただくしかない。

書ける時には、以前のように、連続して一気に書くこともあると思う。

今は、それができない時、ということ。

でも、それは別に、ネガティブなことではない。

ちゃんと過去を整理しているということでもある。

だから、気持ちとしては、落ち着いているので、よかったと思っているし、私自身も、前に進んでいるつもりだ。

ブログを書き始めたときに比べたら、はるかに、現在、そしてその先のことを、私はちゃんと考えるようになっていると思う。

次の私というのを、考えている。というか、期待している。

なにがあるのだろう?と、楽しみにしている。

そんな気持ちが、徐々に大きくなってきている。

それが、今の私。


やはり、書いていくこと、それを継続できていることというのは、私にとっては、とてもいいのだと思う。

続き物の話に限らず、全てのエントリーについて言えることだが、こうして、心を書きとめておく場所があるというのは、本当に幸せなことだ。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:アダルト



今日は笑い話?も混ざっているので、少し、肩の力を抜いて読んでいただければと思う。


大学時代の友人に、小説とか漫画とか映画やドラマやアニメが大好きな男がいる。

でも、そのときの彼の部屋は、ごく普通の男の部屋という感じ。

むしろ、ちょっとおしゃれなくらい、小奇麗。

小説とか漫画とか映画やドラマやアニメが大好き、という場合にイメージされるような、雰囲気はない。

確かに本などはあるのだが、本棚1つ分くらい。

DVDなども、数本しか見当たらない。

ポスターが貼ってあるわけでもない。

だが、彼には、秘密の場所があった。

彼はレンタル倉庫(小さい貨物コンテナみたいなもの)を、学生時代から借りており、そこには、大量の本やDVD、その他のグッズが保管されていた。

学生の時には一つだったのだが、その後、2つになったらしい。

私も見たことがあるが、その量には圧倒された。

古本屋とか、DVDのレンタル屋だとか、そういうお店のバックヤードっていうのはこんなものなのではないか?と思えた。

大学時代、彼は、かなりのバイトを掛け持ちしていたのだが、そのバイト代の殆どをつぎ込んでいたので、よく、昼食代が無いと言っていた。

私や、仲間が昼食を食べようとすると、羨ましそうにこちらを見てくるので、おごらされたことが何度もある。


そして、ちょうど、1年くらい前。

そんな彼が、結婚することになった。

それはいい。

すごく幸せそうだから、私も嬉しかった。

だが…。

彼は、重大な問題を抱えていた。

そう、それは、大量の本やDVD、その他諸々のグッズのこと。

大学を卒業してからも、それは順調?に増え続けていたようだった。

そんな彼から、結婚する少し前に電話があった。

「なあ、vetのところで預かってくれないか?」

と。

無理だ。

あの、レンタル倉庫いっぱいの荷物が私の部屋に入るわけがない。

というか、入ったにしても、邪魔で困る。

「売ればいいだろ」

「それは…。貴重な、初版本とか、初回限定品とかあるしさ。それはちょっとな…」

「それなら、いいんじゃないの? 限定品なら、ヤフオクなんかで高く売れるんじゃないのか?」

「お前、酷いよ。俺の大切なコレクションなのに…」

「俺は、幸せな奴の味方はしない」

「友達だろ?」

「じゃあ、そうだな。言えないみたいだから、手伝ってやるよ」

「何を?」

「俺が奥さんに、あの倉庫のこと、言ってやる。友達だからな」

「そ、それはやめてくれ!」

なぜ彼が焦っているのか?というのは、こういうこと。

あの倉庫の存在を婚約者に言っていない。

隠しているのだが、結婚すると、倉庫のレンタル代金を毎月支払っているのがバレる。

つまり、あの中身もバレる。

どれだけの金をつぎ込んできたのか?もバレる。

バレたら、おそらく、確実に捨てられる。

彼か、あの中身か、のどちらかを。

と、彼は当時思っていた。

だから、なんとか処分しなければならない。

でも、彼にとって、そこにあるものは宝物であり、捨てるのはもちろん、知らない人に売るという選択肢も取りにくい。

そうなったので、仕方なく、私を含め、友人たちに、もらってもらう(分散保管庫として使う)ということを考えた。

と、こんな事情なので、私は利用されるだけだから、迷惑この上ないのだが、話をしているうちに、彼が悲壮感を漂わせてきたので、少し折れてやった。

「頼むよ、vet、俺の一生のお願いなんだ…」

なんて、こんなところで、一生のお願いを使ってしまったりとか、

「俺からのご祝儀だから」

と、なんで結婚する当人が、出席者にご祝儀を出すのか?なんて、意味の分からないことを言い出して懇願してきたので、

仕方なく、

「少しならいいよ、送っても」

「ほんとか?」

「ああ。その代わり、俺が興味の持てそうなやつにしろよ」

「何がいい?」

「小説とか映画がいいな。続き物の、ドラマとか、アニメは却下」

「なんで? 韓国ドラマとか面白いのに…」

彼は海外ドラマも大好きだ。

昔、Xファイルが流行れば、それも買っていた(スカリーがかわいいと言い出す)し、少し前なら、24なんかも全部揃えていた(クロエがかわいいと言い出す)。

冬ソナが流行った時は、もちろんそれも買った(チェ・ジウがかわいいとよく言っていた)。

とにかくジャンル問わずにいっぱい買い込んでいる。

「面白いのかもしれないけど、長いよ。そんなの見るの無理だから、やめてくれ」

私も、そういうドラマが嫌いなわけではない。24は借りて見たりもしたのだ。

でも、やはり途中で断念している。

SFとか、アクションものは、好きなので、内容は良かったのだが、それですら、最後まで見れていない。

やはり、続き物のドラマは、全部を見るだけの時間がとれない。かと言って、少しずつゆっくり見るというのも、なんとなく、嫌だ。

「でもさ、vetもああいうの(恋愛ドラマ)で、恋愛の勉強したほうがいいよ」

ドラマが恋愛の勉強になるのかどうかは、知らないが、彼がそういうのを見ながら結婚相手を見つけたのは事実なので、役に立つのかもしれない。

でも、彼は、表の世界の友人なので、私が、主従関係なんて持っていたことは知らない。

彼は、私が恋愛下手で、女性経験が、乏しいと思っている。

私が、恋愛が下手なのは認めるが、今更ドラマを見て、私のそれが補完されるとは、到底思えないのだが…。

「なんでそんなこと、しなきゃならないんだ」

「でもさ、見てみろよ。はまるよ」

「要らないよ」

「そうか…。残念だな。じゃあ、まあ、適当に送るよ」

「ああ」

ということで、しばらくして、そんな彼からの荷物が届いたのだが…。

届いたのだが…。

どこで見つけたのか知らないが、見たこともないような巨大なダンボール箱が5つ。

普通の宅配荷物ではなく、単身者用の引越便として送られてきたのだが…。

限度を考えろ。

とは思ったが、私以外の友人は既婚者も多い。送れる量が限られたのだろう。

そのしわ寄せが私に来たということだ。

それに、私は、読書は好きだし、映画も好きだから、これで、しばらくは本も買わなくてよさそうだし、映画を借りてこなくてもいいかも、と、良い方にとって、受け取った。

開けてみたところ、本(漫画も含め)が1000冊以上入っていた。

DVDもたくさん入っている。

そして、ご丁寧にも、シリーズ物はちゃんとまとめてあって、それぞれに、説明書きのタグがついている。

例えば、陰陽師なら、夢枕獏の小説と、その漫画、野村萬斎の映画のDVDが2本という感じで、一つの袋に入っていて、

「平安時代の陰陽師についての伝奇もの。多分、vetは好きだと思う。NHKでやってたドラマのDVDはないので、見たかったらオンデマンドで出てくるのを祈って」

なんてことが書いてあった。

ちなみに、ほとんどのものに、「多分、vetは好きだと思う」と書いてあった…。

私はそんなになんでも好きなのか?

初耳だ。

まあ、それはいい。

だが、あれだけ要らないといったのに、やっぱり連続ドラマが入っていた。

日本のもの、アメリカのもの、韓国のものなど、恋愛ドラマや、恋愛系のアニメが多数。

それらにも、タグが付いており、

「vetのために送る。これ見て頑張れ!」

なんて書いてあった。

いい友達だ。

涙が出そうになる。

彼の新居に、段ボール箱、5つ、送り返してやろうかと思った。

奥様宛で。

それにしても、こんな友達からのメッセージを見て、主従関係というのは、おおっぴらに出来ない分、親しい友達にも、こんな風に思われるのだなと、苦笑したのだった。

友達に、奴隷を彼女として、紹介したことは、あったのだが、それでも、私は、表の世界では、女性にあまり縁がないのだと思われている。

多分、私の親や兄弟ですらもそうだ。

もちろん、モテないのは、確かだし、自分から女性を誘うこともまずない。

それに、前にも書いたことがあるが、M女性が相手でさえも、私から、私の奴隷になるようにとは言わない。誘わない。

M女性が、自分の意志で判断するのを待つ。

そういう姿勢だ。

だから、頑張れと言われてしまうのは、(意味が違うにしても)仕方がないのかもしれない。

それでも奴隷はいた。

私のそばに居てくれた。

裏の世界では、満たされていたし、良い奴隷たちだったから、本当に幸せだったのだが…。

私はそれで良かったのだが…。

それを、表の世界で説明することはせずにきた。

私は女性関係では、かなり縁がないのだと、思われている。

彼からの荷物、そしてそこに記された激励文を見て、そのことを、思った。


ちなみに、今、なんでこんなことを書こうと思ったか?というと。

彼から送られてきた漫画や小説が、映像化されるたび、続編や新刊が出るたびに、メールがくるのだ。

もう、何通来たかわからないのだが、未だに律儀に送ってくる。

このあいだ、きたのは、

「前に送った、アクセル・ワールド、深夜アニメでやってるよ」

というもの。

彼としては、半ば無理矢理に私に送った手前、アフターケアというか、なんとか楽しんでもらいたいということなのだと思うのだが…。

1000冊以上もある本を、いくらなんでも1年で読めるわけはないので、まだ読んでないものもかなり多い。

挿絵や絵柄だけを見て、読む気にならなかったものも、正直、ある。

アクセル・ワールドというのも、また読んでないので、よくわからない。

私は、アニメだからという理由での拒否感はない。面白いなら、どんな媒体だろうと、読むし、見る。

でも、続き物アニメの場合、見る時間がない。というか、毎週決まった時間に見る、しかも一回も見逃してはいけない、というのが、なんだか苦手だ。それはドラマでも同じ。

小さい頃は、毎週楽しみにアニメを見ていた気がするのだが、いつの頃からか、それができなくなった。

映画くらいの時間で完結してくれないものかと思ってしまう。

そして、彼のメールにはこうもあった。

「アニメ見てたら、原作読みたくなって、また買っちまった」

と。

何のために、私に送ったんだ?

奥さんにバレても問題なかったんじゃないのか?

もしかして、女性に縁遠い(と思われている)私に、恋愛ドラマや恋愛アニメを見せたかったのか?

本当に、素敵な友達を持った気がするよ。

ありがとう。



裏と表がある、というのは、こういうことも引き起こす。

親しい友人にも、奴隷のことは言わずにいた。

奴隷がいた時、「彼女が居る」というくらいは、言ってきても良かったのかもしれないのだが…。

それもあまりせずに来た。

でも、私は、言わなくても幸せだったし、割り切ってもいた、切り替えも出来たから、裏と表があることを、別に問題には思わなかったのだが、

そのことが苦痛になっていたなら、私が、主従を持つというのは、難しかったかもしれない。

もしも、次に奴隷ができたら、その時は、彼女として友人たちにも、ちゃんと紹介したほうがいいのかもしれない。

見る時間がないほどの、大量の恋愛ドラマやアニメが送られてこないように…。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

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