理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

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私は、SMのための道具は色々と買ったし、奴隷が買った物も多かった。

SM道具に関して、他の御主人様がどう思っているのかは良く知らないが、私はかなりこだわったほうだと思う。

一つには、やっぱり自分の満足ということがある。

ちゃんと納得した道具で奴隷を責めたいという気持ちが強かったから、道具に対してはかなり考えたし、そのために、良いと思えるものを探すことが面倒だとは思わなかった。

もう一つには、奴隷に対して使って、万が一のことが起きないようにという配慮もあった。

もちろん、そんな配慮をして道具を考えている、なんてことは奴隷にはあまり知らせなかったが、私は奴隷の安全という部分は譲れなかった。

前にも何回かエントリーにしたことがあるが、道具を奴隷に使う前に、自分で試したりもしていた。

その試す過程で、色々とやらかしたりしたことも多いのだが…。


そんなSM道具の中でも、私が一番買ったのは、多分、縄だと思う。

私は、SMプレイの中では、緊縛がかなり好きだったから。

本当に良く奴隷を縛った。

それに、縄は消耗品なので、奴隷を何度も縛っていると、使えなくなってくる。

縄というのは、使い勝手があって、買ってきた当初(奴隷に使う前の前処理をした直後)は硬くて少し使いにくいのだが、それをしばらく使っているうちに、柔らかくなってきて、一番使い心地が良い状態になり、それが少し続く。

私はその時の縄が手になじむようで好きだった。

でも、そのうちに、さらに柔らかくなってしまって、なんだかだらしない感じになるので、そうなると私はあまり使いたくなくなる。

私に言わせると、ヘタっているという状態。

縄としての強度などはまだ全く問題ない時期なので、別に使えなくなるわけではないから、そのまま使う人も多いと思うが、私は、どうもしっくり来ない感じが嫌で、こうなると取り替えていた。

縄に見切りを付けるのが、かなり早い方だったと思う。

だから、そこで買い換えるということになるので、私は、かなりの縄を消費した。

前に、twitterでも少し書いたことがあるのだが、私が奴隷に使った縄の総延長はどのくらいになるのだろう?なんて、バカなことを考えたりする。

でも、そのくらい、縄というのはよく買っていたということだ。

色々な縄を買ってみたから、中にはちょっと使い勝手の悪いものもあったのだが、それでも、買って失敗したことというのが少ない道具だった。

それに縄に関しては、そのうち、店頭で見て、パッケージの上から少し触るだけでどんなものなのか?私に合うのか?というのが、買う前に、ある程度予想できるようになってしまった。

そこまで縄のことがわかるようになるまで買い続けたというのは、なんか、やり過ぎのような気もしないでもないが…。

というか、そんな能力を身につけて何になるんだ、なんて思ったりもするのだが、身に付いたものは仕方がない。

まあ、それはいい。

とにかく、私は、縄で縛られて、自由を奪われている奴隷を見るのがすごく好きだったし、縄酔いしているような、恍惚とした奴隷の表情も好きだった。

それに、股縄をされて、性器に縄を食い込ませている奴隷の姿には、かなり性欲を刺激された。

奴隷の体を縄で締め上げる時、股に縄を食い込ませるとき、「あぁ…」と奴隷が切なげなうめき声を出す。それを聞くのも、快感だった。

また、縄を解いた後、奴隷の肌に残る縄目の跡を見るのもいい。

調教を終えた奴隷が、自分の体についたその跡を、指で静かに触っているところなどは、見ていてゾクゾクした。

自分が自由を奪われた証を確認しているその姿は、私の支配欲を大いに満たしてくれた。

そういう意味で、私にとって、縄というのは、必要不可欠なSM道具だったし、多分、一番相性の良かった道具だったと思う。


だが、それとは逆に、相性の悪い道具というのもあった。

その一番は、多分、洗濯バサミ。

これとの相性は最悪と言っていい。

と言っても洗濯バサミが嫌いとか、使いたくなかったとか、そういうわけではない。

使うものの中で一番使い勝手が悪かったという意味だ。

洗濯バサミは、主に、奴隷の乳首や乳房、そして性器やその周辺に付けて痛みを与えるのに使うのだが、それが、しっくり来たことがあまりないのだ。

洗濯バサミも、私はたくさん買っていた。

いろいろな種類を買った。

普通によく使われている、プラスチック製の、洋服などを止めるための物が一番多いが、これも種類があって、微妙に大きさや形が違ったり、先の部分の作りが違ったり、バネの強さが違ったりする。

また、同じプラスチック製でも、女性の下着などデリケートな物を止めるための物もあって、これは少しバネが弱かったり、先の部分に凹凸がなく、平らだったりするのだが、それがいいかなと思って買ったこともある。

特に初心者の奴隷なんかには、バネが弱い方がいいかなと思っていたから、そういう時期の奴隷にはこれを使うことが多かった。

また、雰囲気的な意味で、良さそうだなと思ったのは木製の洗濯バサミ。これも何種類か買った覚えがある。

さらに、洗濯バサミではないのだが、事務用のクリップなんかも買っていた。

洗濯バサミに比べると、ばねの力が比較的強く、かなり痛いので、使いどころという意味では、洗濯バサミよりも少なかったのだが、お仕置きのときなど、奴隷に大きな痛みを与えるような場合に主に使っていた。

これにも、色々と種類があって、その時々で、用途に合わせて、一番良いと思われるものを買っていた。

もちろん、SM器具として売っているクリップも買ったことがある。

これには、チェーンなどが付いていて、奴隷につけてから引っ張ったりするのにはちょうど良いのだが、私としてはなんとなく、好きになれなかった。

安物の洗濯バサミで責められているという、なんだか無残な感じが好きだったから、奴隷のためにわざわざ買ったのが確実なSM用のクリップというのは、どうも雰囲気が違うような気がした。

こんな感じで、今思い出しても、かなりの種類が浮かぶのだが、「この洗濯バサミが良かった」、と思えるものというのが、あまり記憶にない。

それよりも、「これはまずかったなぁ」とか、そういう思いがするものの方が多い。

洗濯バサミに私が求めたのは、適度な力で奴隷の肌を挟み、じわじわとした痛みを与え続けること。

狙いとしてはこれだけなのだが、これを忠実に果たしてくれる洗濯バサミというのが、なかなか見つからないのだった。

まず、私は、奴隷の肌に余計な跡がつくのが嫌だった。

跡を付けるのであれば、私が意図してつけたいという思いがあるから。

つまり、縄の跡とか、鞭の跡とか、そういうもののように、この場所につけるんだと思って、つける跡というのが理想で、洗濯バサミのように、痛みを与えるという他の用途で使ったのに、跡がついてしまった、というのが、なんだか納得できない感じがするのだ。

肌を挟むのだから、跡がつかないほうがおかしいのだが…。

ただの私の我侭なのだが…。

私の要望は、取った時にできるだけ跡が目立たず、それでいて奴隷にちゃんと痛みを与え続けるということだったから、そんな洗濯バサミを求めて彷徨っていた感じだ。

でも、結局のところ、最後まで、これだ、というものに出会えず、彷徨い続けたという印象がある。

どうしてそうなったのか?と考えると、まず、奴隷ごとに肌の引っかかり具合が違うというのが最大の要因だと思う。

奴隷の肌は、当然ながら奴隷によって違うし、その日の体調なんかでも変わってくる。

でも、洗濯バサミは同じだから、ちゃんと挟める時もあれば、挟んでもちょっと動くとすぐに弾けて取れてくる時もあり、一定しない。

かといって、挟む力が強く、先の引っかかりが良い洗濯バサミを使ってしまうと確実に跡がつくから、あまり使いたくない。

さらに言えば、その日の奴隷の肌の状態に合わせて、洗濯バサミを何種類も試すなんてことを調教の最中にするわけにも行かない。

最初に決めてそれで通す。優柔不断なところなど、奴隷に見せたくないから。

だから、”これを使えば常に大丈夫”という洗濯バサミが欲しかったのだが、結局、そういうものに出会えていないのが、寂しいところだ。

私の要求というのが、無茶なことなのかもしれないが、そういう洗濯バサミを常に求めていたので、何かよさそうなものを見つけると、すぐに買ってきてしまっていた。

もう、洗濯バサミマニアといってもいいくらい、私のところにはたくさんの洗濯バサミがあった。

しかも、全部、一度は自分につけてみて試している。

試したところで、私の肌と、奴隷の肌もやっぱり違うから、あまり意味はなかったかもしれないが…。

さらに、洗濯バサミで言えば、奴隷を傷つけてしまったことが何度かある。

奴隷の乳首やクリトリスに、洗濯バサミを使ったときのことなのだが、洗濯バサミを私がはずすのではなく、勝手に弾けて取れてしまった場合などに、その一部の皮を引っ張ってしまい、そこが擦り剥けて、血が出たことがある。

そういう部分の皮というのは、他の肌の皮と違って、かなり薄いので、洗濯バサミでつまんで引っ張っただけでも、剥けることがある。

それを私が調教の一つとして、意図的にやったのであれば問題ないのだが、勝手に弾けて取れてしまった場合なんかはもちろん私の意図ではない。

私としては、そういう意図しない怪我は避けたかったから、その洗濯バサミを選んだのはは失敗だったように思っている。

もう少し、ちゃんと配慮ができなかったことをかなり反省した。

また、どの洗濯バサミを使うとそういう風になってしまうのか?ということの判断が難しいという意味でも、やっぱり洗濯バサミ選びは、私はかなり苦手だった。

だから、私にとっては、すごく相性が悪い道具だと思っている。

それなら使わなければいいと言われるかもしれないが、やっぱり使いたくなる魅力はあるのだ。

ジリジリとした痛みに耐え続ける奴隷を見るのも好きだったから。

Sの悲しいサガなのだと思う…。

でも、洗濯バサミには、結局最後まで翻弄されることになったのだった。


それにしても、この洗濯バサミ。

他の御主人様って、ちゃんと選べてるんだろうか?

それとも、私ほどこだわらないのだろうか?

すごく気になる。

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幸一のことを御主人様と呼んでしまった理沙。

そして、それを聞いてしまった私。

おそらく私の顔は、瞬時にこわばっていたのだろうと思う。

理沙を失うのではないかという、恐怖が心を圧迫していた。

「も、申し訳ございません。私の御主人様は、vet様だけですから。今のは、昔の癖で…。ですから、本当にすみません」

と、理沙は慌てて床に額をこすりつけ、土下座をして謝った。

だが、それで、私の心が晴れることはなかった。

理沙が、幸一を御主人様と呼んだ…。

それは、理沙の中に、幸一を主として崇拝する気持ちが、まだ残っているということを意味しているのだと私には捉えられた。

喉の奥に心臓がせりあがってくるような息苦しさを感じた。

それを飲み込むのに少し時間がかかった。

そして、表面上はショックから立ち直ったように繕うことだけは、なんとかできた私は、理沙に言った。

「昔の癖だと言うのは分かる。でも、さすがにそれを言われると、俺は理沙の何なんだ?って思うな」

努めて冷静に聞こえるように言ったつもりの私だったが、おそらくは声が上ずっていたのではないかと思う。

「申し訳ございません。本当にすみませんでした…」

とにかく、理沙は必死で謝る。

だが、謝られれば謝られるほどに、理沙が、幸一を未だに御主人様と呼んだことが、強く私の中に刻み込まれていくのだった。

苦しかった。

もう、どうしようもなく苦しかった。

「さっき、調教は無しだと言ったが、撤回。罰を与えるから覚悟しておけ」

私はそういうしかなかった。この苦しみから逃れるには、理沙にそれをぶつけるしか無いと思った。

このときは、御主人様としての冷静な判断から調教をすることを決めたわけではなかった。

とにかく私の気持ちをなんとか保つために、その時の感情の勢いで決めてしまった調教だった。

私は、調教をするかどうか、どんな調教をするかは、冷静に奴隷の状況を見て決めることが必要だと思っているし、なるべくそうしてきたつもりだ。

でも、このときは、そんな理性は働いていなかった。

とにかく、感情を理沙にぶつけることしか頭に浮かばなかった。

「はい。愚かな理沙に、厳しい罰をお与えください。お願いいたします」

「まずは、少し寝る。お前はシャワーを浴びて、罰を受ける準備をしておけ。1時間位したら起こせ」

「はい」

寝るとは言ったものの、私は寝るつもりなどなく、というか、寝ることなどできようはずもなく、ただベッドに横になって、目を閉じ、今回のことを考えようと思ったのだった。

少し冷静になろうとしたのだった。

理沙は、自らの失態に、もぞもぞと力なく立ち上がると、バスルームに入っていった。


このとき、私は幸一に理沙を返すことになる可能性を考えざるを得なくなっていた。

私は理沙を愛していた。

本当に大切な奴隷だった。

だから、そんな可能性を考えるのは、苦痛でしか無い。

だが、理沙は、幸一を”御主人様”と呼んだ。

それは、理沙の中に、幸一がまだ住んでいることを示しているように私には思えてならなかった。

理沙を幸一に会わせた時点で、こうなる可能性を、考えていなかったわけではない。

でも、実際にその一端が見えたような事態になってみると、予想以上に私の心は深くえぐられていた。

そして、状況も理沙と幸一の復縁に何らの障害も与えていなかった。

今の幸一には理沙を支えられる基盤がしっかりとある。結婚しても問題ないだけの社会的な立場や経済力を持っている。

そして、何よりも幸一は、日本にいるし東京にも頻繁にやってきていたから、遠距離になる心配がない。結婚しないまでも、主従関係を結びなおしても問題ないはずだった。

だから1年半前に、二人が別れを決断したときの障害はすべてクリアされているのだった。

結局は、二人の気持ちの問題になってしまっている。

私は、それを確かめるために、二人を会わせたつもりだった。

会食の席で、終始交わされていたぎこちないやり取りを見た限りでは、幸一は理沙を完全に私に譲渡したという立場を崩すつもりはないようだった。

それが幸一の潔いところだ。そして、私が救われていた部分だ。

だが、気持ちとして理沙への想いが残っているかどうかは、そこから察することは出来なかった。

一方の理沙も、ぎこちない会話をしていたイタリアンレストランのときには、私にも気持ちは分からなかった。

だが、先ほど、口を付いて出た”御主人様”という理沙の言葉は、幸一への気持ちがまだあるのではないかと私に思わせるに十分なものだった。

「どうすればいい…」

私は自問した。

理沙には私の奴隷となる約束をしていることが、気持ちの中に当然ある。

私との間で奴隷契約書なんてものまで作ったのだ。

だから、理沙から幸一の元に行きたいと言い出すことはないのかもしれない。

そうは思える。

だが、幸一への気持ちが全くないとは言えないように思えたし、幸一のもとに理沙を戻してやるのが、理沙の幸せにつながるのではないか?などという考えが、どんなに振り払っても私の頭からは抜けないのだった。

本当に、どう対応していいのか、わからなかった。

だから、そのときは、かなり考えた末に、少し待とうと結論付けた。

逃げだったかもしれない。でも、そう思った。

理沙に何かの反応が出たら、それを見逃さないように気をつけていよう。理沙の様子をもうしばらく、しっかり観察していよう。

そのとき私はベッドでそう思うことにした。

というよりも、それしか思い浮かばなかったのだった。


1時間ほどして、私の狸寝入りを、シャワーを浴びた理沙が全裸で起こしに来た。

私は、そんな理沙に首輪をつけ、いつもよりもかなり厳しく調教した。

理沙への私の思いをその体と心に刻み付けるかのように、激しく理沙を責めた。

最後は、性処理をさせ、膣内に私の精子が残っているままで、いつもつけている貞操帯を装着する。

まるで、理沙の所有権をその膣の中に誇示するかのように…。

そして、理沙は床で、私はベッドでそれぞれに眠りに付いた。

普段、奴隷と一緒に寝る時は、同じベッドや同じ布団で抱いてやりながら寝ることが多かったのだが、この時のように、寝る時も調教の延長として、奴隷だけを床に寝かせるというようなこともあった。

だから、これも調教だとばかりに、

「お前は、卑しい奴隷なんだ。それに、今日は何をしたのか、分かってるな。そんなお前は、床で寝るのが当然だ」

と言って、ベッドには上がらせなかった。

このときは、そうするほど、理沙を強く貶めなければ、私の気持ちが落ち着かなかったのだった。

本当は、自分の気持ちを落ち着かせるためだけに奴隷にこんな事を強いるのは、良くないと分かっているのだが…。

私は、どうしてもあふれてくる気持ちを抑えきれなかった。

この時の私は、心が揺れ、冷静さを失い、それを隠すために奴隷に八つ当たりしているような、本当に無様な御主人様だったと思う。

だが、この日は、御主人様としての資質を疑われるようなことを、あえてしてさえも、私は殆ど眠ることのできない夜だった。


テーマ:支配と服従 - ジャンル:アダルト

twitterでよくお話させていただく方と、先日、緊縛した時の奴隷の”縄酔い”について話をした。

私は緊縛がかなり好きで、散々やったのに、そういえば、ブログに書いてなかったなと、その時に気がついたので、twitterで書いたことも含めて、今回は、縄酔いの話を書いてみたいと思う。

見たことがなければ、縛られて自由を封じられ、肌に縄が食い込む苦痛まで与えられて、それでもその縄に酔うなんてことは、ちょっと信じられないと思うが、実際にあるから驚かされる。

M女や、その持っているM性というのは、やっぱり不思議で神秘的なものだなと思う。

縄酔いというのは、興味深い現象だと思うし、奴隷にとっては、かなりの快感を感じることでもあるので、それについて私の分かる範囲で書いてみることにする。


”縄酔い”という単語を、あまり聞きなれない方も多いかと思う。

緊縛をしたときに、奴隷が陥る状態の一つで、こう呼ばれるものがある。

このエントリーを書くに当たって、ちょっと調べてみたのだが、縄酔いの定義は、人それぞれに微妙に違うようで、

本当にアルコールなどで酔っているように見えるほど陶酔しているものをそう呼んでいるものから、縄で縛られるのが好きで、いつもよりも多く濡らしているというくらいのものまで、

縄で縛られたときの反応が普段と違うという意味で、”縄酔い”と言われているところがあるようだ。

そんな状況なので、一般的な意味で、何をもって縄酔いと呼ぶのか?というのは、ちょっと書けないと思った。

だから、ここでは、私が認識している”縄酔い”という状態について、書いてみようと思う。

なので、それは違う、というご意見もあるかもしれないが、それはそれで、教えていただけると参考になるのでありがたい。

また、私はSで、縛る側。縛られたことはないので、自分で縄酔いを経験した事はもちろんない。

私が書くのは、縄酔いしているときの奴隷の様子や、その時の感想を奴隷から聞いた話であって、私自身の体験談ではない。

だから、実際に縄酔いしたことがあるM女とは、少し違うことを書くかもしれないが、もしもそういう事があれば、それも教えていただければと思う。

とにかく、私が奴隷に対して緊縛をし、その中で、見聞きしたこと、そしてそこから推測できることを書いてみようと思う。


まず、私が認識している、縄酔いとは、どんな状態なのか?ということだが、その名のとおり、縛られた奴隷が、その縄に酔っているような状態のこと。

具体的に書けば、奴隷の表情は、普段の表情からかなり崩れていて、気持ちよくて感じている顔をしつつも、呆けているというか、恍惚としているというか、眼がトロンとして、焦点が定まらずに、うっとりしているようにも見える。

また、自然に涙やヨダレを垂らしているようなところも見たことがある。また、そんな状態になっている自分にも気がついていないように見える。

さらに、体も弛緩しているようで、縄に体をすっかり預けてしまっているように思われる。

リラックスしているというと、ちょっと変だが、とても力が抜けているように見える。

それも、奴隷が意図的に力を抜いているわけではなく、そういう状態になってしまっているということなのだと思う。

実際、その時の奴隷を抱きしめていたこともあるのだが、体を自分で支えられずに、私に完全に寄りかかってきていたので、

それこそ酔っぱらいが自分で歩けなくて他人に支えてもらうのと同様な感じがする。

見た目、普段とはまた違う色っぽさが感じられるので、緊縛している私の方も、それにドキッとしたりしていた。

こういう状態なので、酔っているように見えるから、縄酔いという名前が付いているのだろう。

ただ、それでもしっかりと性的な快感は感じているようで、性器はいつも以上に濡れていることが多かった。

普段、濡れにくい奴隷でも、このときはすごく濡らしていたというようなこともある。

また、縛ったままにしておくだけで、特別な愛撫なども無しに、イクようなことも何度か見受けられた。

後から奴隷に話を聞くと、やっぱりかなり気持ちが良いらしく、上り詰めた感覚があるようだ。

普段の調教や、性行為とは、また違った感じの大きな快感があると言っていた。

意識が遠くなったという話も聞いたので、刺激としては大きなものがあるのだろうと思う。

それから、この状態の時に話しかけると、あまり明確な答えが返ってこないことが多い。

例えば、

「緊縛してもらってなにか言うことはないのか?」

なんて言うと、普段なら、

「縛っていただいてありがとうございます。とても嬉しいです」

というような返事が来ることが多いのだが、縄酔いしているときは、

「いい気持ちです…」

だとか、少し普段と違う感じのこともあったり、もう答えになってなくて、

「御主人様…、御主人様…、御主人様…」

なんて繰り返し言うだけだったり、ただ呻くように、

「あぁ…、あぁ…」

なんてことを、ほとんどうわ言のように呟くこともある。

同じ奴隷でも、縄酔いしている時とそうでないときには、これくらい違いが出る。やっぱり、精神的な部分で何かが違うというのがわかる。

また、完全に縄酔いし、それに身を任せてしまった奴隷は、かなりグッタリした状態になるので、緊縛を解くと、その場に崩れ落ちるような感じになって、しばらく動けない。

普通に緊縛して色々な責めをするだけでも、かなり疲れるので、縄酔いしていなくても、縄を解くと奴隷はグッタリすることが多いのだが、それとも違う感じがある。

体から芯が抜けたようなグッタリ感とでも言えばいいだろうか。

言い方は悪いが、ドロドロのスライムのように、べちゃーっと床に伸びてしまっているような感じで、もうその状態から動く気力も無いように見える。

かなり体が敏感にもなっているようで、その間、性器などを触ってやると、ビクンと反応するのも確かめたことがある。

こう書くと、性処理や調教などでイッたときと似ている状態のような気がするが、イクことと縄酔いとが、同じものなのかどうか?というのは、私にはよくわからない。

私の見た目だけの判断ではあるが、性処理や調教でイクことというのが、アクティブな感じの絶頂感で、縄酔いというのは、もっと緩やかな、静かな絶頂感なのかな?と思う。

どちらも、快感の大きさとしては、かなり大きいのだろうと思うのだが、そういう違いがあるのではないか?と、奴隷を見た雰囲気からは、感じられた。

これはあくまでも私が見た限りの感想ではあるのだが。

以上のような状態を見て、私は、それが縄酔いなのだろうと思っている。


また、縄酔いに至る過程だが、縛っている時から、さらには縛る前、私が縄を手にとった時から、その徴候が見える場合もある。

奴隷の表情が明らかに変わってきて、普段緊縛するのとは別の感覚を得ているのがわかる。

また、縛った後、少しそのまま放置していると、そうなっていくような場合もあり、奴隷によっても、またその時の状況によっても、縄酔いに至る過程は変わってくるようだ。

縛る前から縄酔いに向かっている感じが見える場合もあることを考えると、縄酔いというのは、縄で体に刺激が来ていることだけではなく、奴隷の精神的なもの、縄や縛られること、そして縛る私に対する奴隷の意識なども深く関係しているように思われる。


次に、どうすれば、縄酔いすることができるのか?奴隷を縄酔いさせることができるのか?ということだが、これに関しては、はっきり言うと、よくわからない。

今回、調べた中では、縛られることで、血流が妨げられて、脳への血の巡りがあまりよくない状態になり、それに精神的な要素が組み合わさることで、縄酔いという状態が起こるというような解説もあった。

でも、確実に、縄酔いを引き起こす方法がわかっているわけではないようで、緊縛する人の経験に頼っている部分がかなり大きいようだ。

それで、以下は、私の経験と、そこからの推測で書くので、これで確実に縄酔いするとは言えないが、とりあえず、私の場合にはこんな感じだと思っているということを挙げてみる。

まず、私は、初めての緊縛で奴隷が縄酔いしたのは見たことがない。

縛られてうっとりとした表情を見せたり、かなり気持よさそうにしていたり、体の力が抜けているような感じだったりした奴隷もいたのだが、それでも、初めての時に、私が認識している縄酔いという状態になった奴隷は居ない。

といっても、私はそんなにたくさんの奴隷を持っていたわけではないから、少ない例で言うのは説得力に欠けると思うが、

ある程度、緊縛を経験した奴隷が縄酔いという状態になり易いような気がする。

その理由のはっきりしたところはわからないのだが、やっぱり、緊縛された回数が少ない場合には、緊縛されること自体に、かなり緊張していることもあると思うし、

そこに羞恥心や、体を動かせない不自由なことへの不安感なども大きいと思うから、縄に酔うという精神的余裕が無いのではないかと思う。

それに、緊縛を施す私への信頼感という意味でも、まだ完全に構築されているわけではない時期だと思うので、完全に体や心を私に委ねるということができていないということもあるように思う。

なので、これを逆に考えると、縄酔いするための要素というのが推測できるように思う。

緊縛されることに慣れて、緊張しすぎなくなること。程よい緊張感になっていること。

緊縛されて体が不自由なことというのをM性を刺激される快感として素直に捉えられるようになること。

さらに、緊縛する私を完全に信頼し、安心して全てを委ねられるという気持ちを持てること。

というような心境になると、縄酔いしやすくなるのではないかと私は思う。

緊縛の苦痛や、体が不自由になり、御主人様に全てを委ねざるを得ない状況に追い込まれていることに、Mとしての被虐欲求を強く刺激されて、それが快感に変換されているのかな?と思う。

とはいえ、これだけで、確実に縄酔いするようになるのか?というとそうではない。

私の奴隷の中にも、何度緊縛しても縄酔いしなかった奴隷も居るから、個人差がある。

また、縄や私の縛り方に対する相性なんかもあるようだ。

さらにその上で、私が上手く、縄を奴隷のツボにハマるように縛ることができたときに縄酔いの状態になるように思う。

こう書くと、かなり難しい感じに思えるが、その通りで、縄酔いの状態にするというのは、実際、難しいことだ。

私も緊縛すれば常に縄酔いの状態にさせることができたわけではない。というか、奴隷が縄酔いになったことのほうが少ない。

だから、縄師とか、そういう本職ではない、素人の私にとっては、本当に難しいことだった。

ただ、私は、奴隷が一度縄酔いした場合には、そのときの緊縛は覚えているので、次の時も同じように縛ってやることはできたから、

そういう意味では、一度上手くいけば、それ以後は、縄酔いする確率を上げることは可能だったと思う。

実際、程度の差はあれ、かなりの頻度で、縄酔いの状況にすることができた奴隷も居た。

また、同じ奴隷に同じように縛っても、駄目なときは本当に駄目で、縛り方だけの問題でもないと思う。

やはり、雰囲気やその時の奴隷の心境など、精神的なものが大きく作用しているのは確かだ。

それから、縛り方だが、全身を完全にガチガチに縛るとか、釣り上げるとか、そういうハードな事が必要なわけではない。

それは確実に言えることだ。

股縄だけで、縄酔いした奴隷も居るので、縄が奴隷のツボにさえ入れば、少ない緊縛でも、縄酔いはする。

ただ、きつめに縛ったときのほうが縄酔いしやすいような気はしないでもない。

それから、緊縛が苦手かどうか?とか、それまでの緊縛で気持よくなれたかどうか?とか、そういう事もあまり関係ないような気がする。

最初、緊縛は苦手と言って、あまり好まなかった奴隷でも、縛ってみたら、縄酔いをしたことがあった。

だから、緊縛に関して言えば、奴隷のツボをいかに見つけるか?というのが、一番の問題なのだと思う。

そして、奴隷の気持ちをしっかりと高めてやること、M性を開放して、縄酔いという乱れた状態になったとしても、私がきちんと受け止めてくれるのだと思えるようにしてやること、

さらに、私との信頼関係をきちんと構築し、ある程度の緊張感の中でも、安心して緊縛される状態を作ってやることというのが、重要なように思う。

そういう条件が満たされてくると、上でも書いたが、縛る前、私が縄を持っているのを見ただけで、酔うような表情を見せ、自然に濡らす奴隷も居た。

結局、奴隷の精神的な面と、縄による肉体的な刺激というのが、上手くマッチしたときに、縄酔いという状態に奴隷をもっていけるのだろうと私は思う。

また、普段の調教や性処理でイきやすい奴隷が縄酔いしやすいというわけでもなく、普段イきにくい奴隷でも縄酔いしていたので、例えば、普通のセックスでは、どうしてもイけないM女などでも、縄酔いはするのではないかと思う。


ということで、縄酔いについて、私の分かっていること、思うところを色々と書いてみたのだが、結論としては、よくわからないというのが、一番正しいと思う。

なんだか、身も蓋もない結論で申し訳ないが…。

結局、私には、どの奴隷でも、いつでも、確実に縄酔いさせる方法は見つけられなかったから。

少なくとも私にとっては、縄酔いのメカニズムというのは、わからないことのほうが多い。

なんとなく、奴隷の気持ちや緊縛の仕方をこんな感じにすればいいのだろうというのは、上記の通りで、それが経験的に分かっている程度だ。

とはいえ、縄酔いだと思われる状態に奴隷を持っていったことは何回もあるから、出来ないことではないのだが、確実にやれる自信もない。

だが、縄酔いをしている奴隷を見るのは、私にとってはかなりの快感でもあった。

そういう状態に奴隷を持っていけたという満足感や、奴隷の性欲やM性を思った通りにコントロールしているという支配感、そういうSとしての快感を、縄酔いというのは、満たしてくれた。

また、縄酔いの状態にあるときの奴隷の姿や仕草は、実に官能的で色っぽく、性的にも私に刺激を与えてくれるものだったから、そういう意味でも、縄酔いの状態にしたいという気持ちはかなりあった。

また、縄酔いになったときの奴隷の快感や幸福感というのは、普段よりもかなり大きなものがあるようなので、奴隷を満たしてやりたいと思っている私としては、出来ることなら、そういうものを与えてやりたいと強く願っていた。

こんな感じの縄酔いだ。

今まで縄酔いをしたことがないM女には、出来ることなら、一度経験してみて欲しいものだと思う。

普通とは、また違った大きな世界が開けるようなので。

もしも、今、縛ってもらえるパートナーが居るのであれば、なんとか、そういう状態にしてもらえるといいなと思う。


最後に、本当に大事なことなのだが、絶対に無理をしてはいけない。

縄酔いは、緊縛によって脳への血流が妨げられる事によって引き起こされるということなのかもしれないと上で書いたが、それを狙って無闇に強く縛るとか、血が止まりやすいところを狙って縛るとか、長時間縛りっぱなしにしておくとか、そういう事は危険なので、絶対にやってはいけない。

安全な範囲での緊縛というのは必ず守ってほしい。縄酔いのために、普段やらないことをあまり考えずに試すようなリスクも負わないで欲しいと思う。

きちんとした技術に裏打ちされた、安全な緊縛の中で、そこに到達するように、なるべく精神面や雰囲気からそういう方向へ行くべきだと私は思う。

とにかく、くれぐれも無茶はしないで欲しい。



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迂闊なことに、風邪をひいてしまいました。

それで、メールやコメントへのお返事など、滞っております。

私からのお返事が返っていない方、何人もいらっしゃるかと思いますが、少しお待ちいただければと思います。

これでも仕事が忙しくて休めないので、パソコンの前に座ることはできるくらいのものなんですけれども、メールやコメントへのお返事は、控えております。

本当に、真剣なお悩みのご相談などもありますし、真面目にお話ししてくださっている方ばかりですから、

それには私も真剣にしっかりと考えてお返事させていただくことにしていますので、今のちょっとボーっとした状態で、お返事を書くのは失礼だと思っての判断です。

実際、お返事も書いてみたりしたのですが、納得できない文章になっているので、やっぱり体調が悪いとダメだなと思っています。

デリケートなお気持ちに関するお話もあるので、私もちゃんとした状態でお返事したいということです。

もう少し私の体調が良くなるまでお待ちいただければ幸いです。

風邪さえ治れば、きちんと全ての方にお返事をお返しいたします。

ということで、どうぞよろしくお願いします。


それから、皆さんも、風邪などひかれませんよう、体調には、お気をつけてお過ごしください。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」というのは、白雪姫での有名なシーンだが、そこに出てくる魔法の鏡ではないにしても、鏡というのは、調教において、魔力と言って良いほどの力を発揮するものだと思う。


女の部屋には、大抵、鏡がある。

洗面所だけではなく、リビングや寝室に。

私が見た中で、部屋に鏡を置いていなかった奴隷は居ない。

一匹だけ、部屋を見たことがない奴隷がいるので、それだけは知らないのだが、それ以外は全員の部屋に鏡があった。

そして、手鏡だけということもなくて、姿見があることが多く、それより小さくても、上半身くらいは確実に写る大きさのものを持っていた。

また、ホテルに行くと、大体は鏡が設置してある。

ラブホテルなんかだと、鏡張りの部屋なんかがあるところもあるし、ベッドサイドの壁だとか、天井だとかが、鏡になっているところも結構ある。

普通のホテルや旅館でも、洗面所以外に部屋に一つくらいは鏡がある。

こういう状況、というのが私には非常に都合が良かった。

なんで、鏡の話を書いているかというと、私は調教の最中に奴隷に自分の姿を見せるということをよくやっていたから。

鏡調教とでも言えばいいか。

その中でも、一番よくやったのは、緊縛した奴隷を鏡の前に立たせて、自分の姿を見るように命令したこと。

これは、いろいろな反応が見られるので、私は好んでやった。

鏡に写る、縛られた自分の姿。

普通では絶対にありえない姿がそこには写る。

縄が体を這い、自由を奪われ、御主人様の言いなりになるしか無いことが、肌の感覚だけではなく、視覚的にも認識できる。

目で見て、自分が縛られていることを確認できる。

それを見て、

「嫌です、恥ずかしいです…」

と、鏡の前から逃れようとする奴隷。

この反応が多分一番多かったと思う。

だが、私はそういう奴隷の反応にSの部分が刺激されるのだった。

奴隷が嫌がれば嫌がるほど、それをやってやりたくなる。

本当に、Sというのは、意地の悪い性癖だ。

だから、嫌がって逃げようとするときには、奴隷の首輪についているリードを引っ張って、強制的に鏡の前に立たせ続けた。

そうすると、奴隷は、体をよじったりして、なんとか鏡に写らないようにと、無駄な努力をしたりする。

それを見るのもまた楽しく、そして、そういう風に恥ずかしがって体を動かしている姿が、色っぽくも思えて、それが私の欲情やS性をさらに誘うことになっていた。

それが、鏡の魔力だと思う。

また、どうしても見たくないと、奴隷が目を瞑ったりもするので、

「目を開けて、ちゃんと立って、哀れな自分の姿を見るんだ」

と、命じたりしていた。

「御主人様、お許しください…」

と奴隷が懇願しても、しばらくは鏡の前に立たせておくこともあった。

Sというか、サディスティックな調教というと、ムチで叩いたり、蝋燭を垂らしたりという、直接的な苦痛を与えることというのを想像する方が多いかと思うが、

私の場合には、そういうものよりも、どちらかというと精神的に奴隷を追い詰める方が多かったように思う。

鏡調教も多分それに当たる。

縛られ、私の言いなりになるしか無い自分の姿を、鏡を通して強制的に見せられることは奴隷の精神に大きな影響を与えたと思う。

だから、鏡というのは、私にとってはかなり重要なアイテムだった。

ただ、奴隷によっては、鏡の前に立たせても、違う反応を示す場合もある。

例えば、緊縛された自分の姿を見て、

「嬉しいです。こんなふうに綺麗に縛っていただけるなんて」

と言って、うっとりと見入る奴隷も居る。

それはそれで、私としては別の満足感があった。

奴隷が縛られた自分を嬉しいと思うように縛ってやることができたということだから。

そういうときには、

「本当にお前は縄が似合うな。奴隷になるために生まれてきたようなものだ」

などと言って、褒めてやっていた。

「はい。ありがとうございます」

奴隷もそれで喜んでいた。

また、鏡を使うのは、緊縛の時だけではない。

首輪のリードを持って、4つんばいで部屋の中を引き回されている最中に、鏡の前を通らせて、犬のように扱われている姿を見せたりもした。

鏡の前で犬食いをさせて、その姿を自分で見るようなこともさせた。

「ああ、恥ずかしいです…」

奴隷のその言葉が、私を興奮させた。

鏡の前の床に転がして、その頭を私に踏みつけにされているところを、見るようにと命じたこともあった。

「屈辱的です…」

なんて言った奴隷もいる。でも、その屈辱感が、M性を刺激していたのだと思う。

また、鏡に向かって、足を開かせて、オナニーをさせたこともある。

「もう、出来ません」

と、何度も手を止めては、私にやめてくれるようにと懇願してきたが、私は奴隷がイクまでやらせた。

本当に、色々な痴態を奴隷に見せるのに、鏡はかなり役に立った。

同じような用途で、カメラを使ったこともある。

鏡のない場所で調教している時などは、わざわざ鏡を持ってくるのが大変なので、写真を撮って、その場でそれを奴隷に見せたりもした。

「これがお前の姿だ。ちゃんと見ろ」

と、カメラの画面から目を背けようとする奴隷に言って。

ただ、カメラの場合には、あまり大きく見られないし、機械を通してしまうことで、なんとなく雰囲気が弱くなるような気がしたので、私としてはちょっと不満が残るところだった。

とはいえ、鏡が部屋の壁に固定されていたりすれば、それ以外の場所での調教では使えないから、そういう手段もとっていた。

とにかく、奴隷として調教されている自らの姿を見せて確認させる。

それが、奴隷の心を刺激し、奴隷に堕ちたのだということを強く自覚させていたと思う。

そして、鏡に写るときの奴隷というのは、本当に綺麗だと私は思っていた。

鏡に写ること、それを自分で見て、奴隷として扱われていること、淫らで、いやらしいことをしているという事実をはっきりと認識することで、恥ずかしさや、被虐感、屈辱感、M性への刺激が増し、それが表情や仕草に如実に現れる。

鏡の前から逃れたくて体をよじったりしているところなどは、本当に色っぽい。

恥ずかしく、いやらしい自分の姿を見ることで、顔や体が火照って肌がピンクに色づくようなこともある。そんな姿は、奴隷を数段綺麗に見せる。

鏡に写った自分を見つめる表情は、一層切なげで、さらなる憂いと儚さを帯びて、大きな輝きを放つ。

Mとしての素晴らしい輝きを。

だから、鏡には、奴隷を美しくさせる魔力があるように私は思う。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」という有名な問い。

私がもしも魔法の鏡なら、多分、こう答えるだろう。

「それは、俺の奴隷だ」

と。

この答えには、絶対の自信がある。

私は、私の全ての奴隷について、本当に美しい姿だったと、胸を張って言えるから。

本当に世界一だと思えるから。




テーマ:SM - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

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