理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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何度も書いているが、御主人様だった頃、よく書き込みをしていた掲示板のオフ会に参加するのが私の楽しみの一つだった。

そこでいろいろな人に会ったし、大切な友人もできた。

そして何よりも、性癖を隠さずに話ができたから、私もすごく楽だったと思う。

もちろん、表の世界の友達と比べられるものではないのだが、そういう付き合いというのは、私にとっては重要なものだった。

今、結構な数のメールやコメントを頂くようになったが、住んでいるところという話になると、やっぱり首都圏という方が多いし、本州の方がほとんどだ。

北海道という方は、今までに、数人しか居ないし、函館という方からメールを頂いたことはない。

だから、私が今、このブログのオフ会を開こう!、なんて思っても、多分、一人で、どこかで食事をするという、猛烈に寂しいオフ会になると思う。

もちろん、そんなオフ会、開かないが。

もしも、東京などに私が住んでいたなら、同じようにSMや主従関係のことを語れる方と、直接、お話もできるのだろうな、なんてことも思う。

御主人様だけで集まる飲み会なんて、それこそ”牝奴隷には言えない”苦労話や失敗談だの、絶対”牝奴隷には言ってはいけない”話が聞けて、かなり面白かったし、

奴隷と向き合う上での真剣な話も出来たからそれも有意義に思っていた。

M女や奴隷も交えた話のときには、S側、M側、両方の意見が飛び交って楽しかった。

SMとも関係ない人も含めて、変わった性的嗜好の持ち主の集まりなんていうのにも出たことがあるが、それはそれですごかったなと思い出す。

前に、裸エプロンフェチの話なんかも書いたことがあるが、別の性癖でも、そういうレベルの人はたくさんいた。そのうち、そんな話も書こうと思うが。

世の中、いろいろな人がいるものだ。私も、自分のことは、変態だとは思っているが、そんな会に参加すると、私なんて本当に平凡なんだなと思わせてくれた。

以前していたように、そういう人たちにも会ってみたいものだなと、ふと思ったりもする。

話がそれた。

それで、私は、オフ会に、奴隷と一緒に行くこともあった。

その時は、奴隷を連れて集まろうということで、御主人様と奴隷のカップルで、総勢6人くらいで集まった時だったと思う。

皆で、食事をしながら、SMのことを話したし、それ以外の話もしていた。

その場では、何を話しても、誰も驚いたりしないので、変わった性癖の話とかも、普通に話されていた。

ただ、御主人様が、奴隷を連れて集まろうという会合だったので、基本的に話をしているのは御主人様がメインで、それぞれの奴隷は、それに乗っかって話をするとか、話題を振られたときに応えるとか、そんな感じだった。

奴隷たちは、御主人様や他の人にお酌をしたり、料理の注文をしたり、そんなことをしていることが多かった。

奴隷も普通に話に参加する会というのもあったのだが、この時はそういう感じではなかったのだった。

それは、参加していた奴隷もわかっていたので、あまり積極的には話をしなかったのだろうと思う。

イメージとしては、犬の飼い主同士が、散歩の途中で出会って立ち話をしているようなもの。

つまりメインは飼い主(御主人様)で、犬(奴隷)のことを話題にはするのだが、犬(奴隷)自身は、話に参加することはあまりないという状態。

そして、そんなオフ会のあと、奴隷と二人になった帰り道、奴隷に言われたことがある。

「私は、ダメな奴隷でしょうか?」

と。

特に、色々と気にしやすい奴隷だったから、こういう言葉が出たのだと思う。

「あの奴隷さんみたいには、なれていないです、私…」

そう言って、うつむいたりする。

オフ会で、他の御主人様の奴隷を見たり、御主人様が奴隷について話をしているのを聞いたりして、それと自分を比較し、奴隷として、未熟なのではないか?と思ったということ。

この時は、他の御主人様が連れていた奴隷が、アナルの拡張などもかなりされていて、色々な事ができるということが話題に上っていた。

私の奴隷はそれほどのことが出来る状態ではなかったから、そのことを指して言っている。

でも、これを言われるのは、正直なところ、かなり困るのだ。

理由は簡単。

奴隷を比較することは無意味だ。私は、そう思っているから。

でも、同時に、奴隷の違いを認識することは不可欠だ。とも思っているから。

だから困る。

これは矛盾しているのかも知れないが私が思っていたこと。

他人の奴隷については、その大部分がわからないから、本当に比較するのは意味が無いし、わかっている自分の奴隷だけで考えてもそうだ。

後から飼った奴隷と前の奴隷ということでの比較がなされる。

後から飼った奴隷に、

「御主人様の前の奴隷さんは、私よりも良かったのでしょうか?」

なんて聞かれると、やはり困る。

私には、たとえ過去の自分の奴隷とであっても、比較するつもりはないから。

その奴隷には、その奴隷の良さがあるし、また欠点もある。

それに、奴隷として過ごした期間も違う。

だから、別の奴隷と比較して、良し悪しを決めることなどできるわけがない。

そんなことに意味はない。

私にとっては、どの奴隷も、それぞれに大切な奴隷なのだから。

でも、奴隷はそれがとても気になるようだった。

前の奴隷よりも良い奴隷になりたい…。

そんな気持ちがあったのだと思う。

オフ会の時の奴隷もそうだ。

あの奴隷よりも、使える奴隷になりたい…。

そんな望み。

そう思うに至る、奴隷の気持ちの流れは私も理解できるし、そんな風に、必死で望むところは健気で可愛らしくも思う。

また、奴隷らしい向上心がとても愛おしかった。

だが、私としては、比較する必要性を全く感じないものだったから、「前の奴隷よりも劣っているのか?」という類の質問には基本的に答えなかった。

「お前に言う必要はない」

そう突っぱねたことも多いし、本気で悩んでいるときには、

「お前はお前だ。それでいい」

という風に、比較することが必要ないと言ったこともある。

それでも奴隷は前の奴隷のことを知りたがる時があった。

例えばフェラチオで私を射精に導けなかった時などに、

「前の奴隷さんなら、きっとちゃんとできたのですよね…」

なんて、言って落ち込むことがあった。

後になればなるほど、前の奴隷の数は増える。

そして、奴隷が比較したくなる対象も増える。

さらには、前の奴隷の、良いところだけを並べて比較する事ができるようになってしまう。

つまり、フェラチオがうまかった奴隷、鞭によく耐えられた奴隷、長時間の奉仕ができた奴隷…。

それぞれに違う奴隷の特徴だったりするのだが、それら全てを相手に比較して、一匹の奴隷が対抗するような気持ちになる。

何度も書くように、比較することに意味はないし、百歩譲って比較したとしても、この比較の仕方は、間違っている。

一匹の奴隷と比較するなら、別の一匹の奴隷と比較するべきなのに、過去の奴隷全ての良いところだけを抽出した、ある種の”理想奴隷”と比較したりする。

勝てるわけがない。

そんな勝ち目のない比較をして、その結果として落ち込んでしまうことが、私には困るのだ。

でも、奴隷にそういう論理的?なことを言ったとしても、やっぱりなかなか納得できないのだった。

御主人様(私)を満たしきれていない。そういう思いが払拭できない場合、奴隷に理屈が通じないことが多い。

そして、私の中の矛盾。

奴隷を比較することは避けると言いつつ、奴隷の違いは認識している。

それは、奴隷によってできることが違う。性格も違うし、私への想いも違う。それをある程度でも、認識していないと調教も出来ないし、M性を満たすこともできない。普段、奴隷と接するだけでも、それは必要な情報だ。

だから、奴隷ごとに、何が違うのか?というのは、私は把握する。

把握しないと、奴隷を必要以上に追い詰めたり、逆に足りなかったりする。

「あいつにはこの調教ができた、でもこいつには、これをやるのはまだ早い」

そういう判断。

でも、それが、比較していることと何が違うのか?

それが私の中の矛盾。

私がそういうことを考えているから、それを奴隷が敏感に感じるのではないか?とも思ったりもする。

また、他の奴隷ができることで、その奴隷にもさせたいと思ったこともある。

その時に、「あんなふうにできるようになれ」と言ったことがある。あまり深く考えずに。

これも私の迂闊な部分なのだが、そういうことを言われれば、比較されているように奴隷は思っただろう。

あの奴隷にはできているのに、私にはできないのだ…。と。

だから、奴隷が、自分を他の奴隷と比較したのは、私の矛盾した思考や、不用意な態度も大きく影響していたように思う。

でも、私は、奴隷を他の奴隷と比較することには、意味が無いと思っていた。それは確かなことだ。


最初の、オフ会帰りの奴隷の話に戻るが、奴隷が、他の奴隷のようにはできないと、嘆いた時、私は、どう答えてやれば良いのか、困った。

だから、とりあえず、受け止めた。

「確かに、あの奴隷のようには、なれてないな」

と。

「そうですよね。私は、やっぱり、ダメですよね…」

奴隷が肩を落とす。

でも、そうやって落ち込むことにも、やっぱり私は、意味を感じない。

落ち込まなくてもいいことで落ち込んでいる。

それを見ているのが、嫌だ。

他の御主人様なら、もしかしたら、そういう時には、思いっきり落ち込ませて、放置するのかもしれない。

それが、普通の対応かもしれないとも思うのだが…。

私はどうもそれはできない。

奴隷がかわいそう、という風に思っているのとも違う。

奴隷をいたわる、という事でもないのだと思う。

意味が無いことを奴隷がしている、しかも、それは他の御主人様の奴隷と比較してのことだ。

それが、なんだか、不愉快なのだ。

だから、

「お前は、あの人(他の御主人様)の奴隷なのか?」

そう言った。

他の御主人様の奴隷なら、その御主人様に合うようにすればいい。

でも、私の奴隷なのだ。だったら、私に合わせればいい。私だけに合わせればいい。他の御主人様なんてどうでもいい。

だから比較する意味は無い。ましてや、それで落ち込む必要なんて全くない。

でも、そう思えない奴隷が目の前に居る。それが歯がゆい。

「いいえ、そんなことは…」

何を言われているのかわからないという顔で、奴隷は私を見る。

「お前は誰の奴隷だ?」

「vet様の奴隷です」

「本当にそう思っているのか?」

「はい。もちろんです。でも、もっと使っていただけるようにって思うんです。あの、奴隷さんみたいになったらって…」

「じゃあ、あの人(他の御主人様)の好みに合わせた奴隷になるつもりなんだな?」

「そんなことは無いです!私は、御主人様好みの奴隷になりたいです」

「他の御主人様の奴隷みたいになりたいと言うお前は、俺好みなのか?」

「…」

「俺だけに合わせろ。それでいい」

「はい…」

とは言うものの、やはり奴隷としては、求めるものがあったのだと思う。

やはり、自分よりも色々なことができる奴隷と、比較することは続いていたのだと思う。

本当は、それを何とかできたら良かったのだが…。

きっとできていなかった。

本当に、悔しいことだ。


テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト


このブログを借りている、FC2の仕様変更があったようで、今までスマートフォンでの閲覧は、普通にできていたようなのですが、いきなり真っ白画面が出るようになったようです。

ようで、ようで、ようで…なんて書いているのは、私が、スマートフォンを使っていないので全くわからなかったから。

でも、親切な方に、ご指摘をいただきまして、やっと気がついたのです。とりあえず、見られるようにはしてみました。

ただ、暫定的にやってみたという程度でして、はっきり言って、あまり納得していませんが、

真っ白画面は嫌ですし、せっかく見に来てくださった方に、かなり失礼なので、それだけとにかく何とかしたということです。

パソコン用の、スマートフォンをシミュレートするソフトでしか確認していないので、実機でどう見えているのか、動作がちゃんとしてるのか、かなり不安な部分もありますし、

やたらと、広告(しかもやっぱりアダルト広告…)が多いようで、それもちょっと何とかならないのかな?と、思っていたりもするのですが、

FC2の仕様との兼ね合いなんかもあるみたいで、どうすれば良いのか、少し考えているところです。

でも、とりあえず、閲覧とコメントの書き込みはできるように思いますので、本格的に設定をするまでのつなぎくらいにはなるかと思います。

もしも、表示がおかしいとか、コメントできないとか、リンクが変とか、そういうことがありましたら、教えていただけると幸いです。

twitterで、ご指摘下さった、すみれさん、ありがとうございます。

私の女性と奴隷の好みについて、コメント欄で、かなり以前に、好実さんにご質問を頂いたので、そのお返事として、エントリーを書いてみることにする。

かなり遅れてしまって、申し訳ない。お許しいただければと思う。

私の、女性や奴隷の好みということなので、今回はちょっと我侭なことを書かせていただく。

変態で変態なvetのくせに何を贅沢なことを言ってるんだ!なんて思われる方もいらっしゃるかもしれないが、今回は優しく見守って欲しい。

とは思ってみたものの、どう書けばいいのか、かなり悩んだ。


まずは奴隷ではなく、女性の好みについて、考えてみたのだが、好みが無いわけではない。

なんとなく、ぼんやりとした、理想像みたいなものは浮かんでくるし、メディアや街中で、女性を見て、いいなと思うことなんかももちろんあるから、やっぱり好みはあるのだ。

だったらそれを書け。とも思うのだが…。

その好みの通りでなければいけないか?と言われると、そうも思わない。

学生時代くらいまでは、もっと明確に女性の好みのタイプ(性格とか、顔とか、体型とか)を言えた気がするが、それを過ぎた頃からは、そういう事はあまり考えなくなったように思う。

ぼんやりとは思うのだが、ぼんやりしたまま。明確なものがないように思う。

自分がモテないから、誰でもいいと諦めたとか、選び方が適当になったとか、そういういい加減な気持ちを持っているということではない。

女性と付き合う以上はちゃんと相手のことを見極めるというのは、自分にとっても必要なことだし、相手にとっても大切な事だと思う。

それをしないで誰でもいい、なんて言うのは、無責任だし、相手にも失礼だ。

だから、そういうことではない。

学生時代の終わりごろから、今にかけて思うようになったことは、女性にはそれぞれに、それぞれの魅力があるということ。

最初にそう思わせてくれたのは美佳だった。

美佳と付き合うようになってから、私の女性に対する考え方はかなり変わった。

美佳は、よく言われるところの美人というわけではなかったし、性格も明るくて愛嬌があるような感じでもなかった。

優しかったし、女らしいところは結構あったのだが、それも、自信がなく、怖がりで、オドオドしていて、どちらかというとネガティブ思考をするという、簡単に言ってしまえば暗い性格に隠されて、あまり目立たなかった。

一般的な基準に照らしてみれば、男にモテる女の部類には入らなかったと思う。

でも、美佳と付き合い始めてから、美佳のことが私にはかけがえのないものになっていった。

美佳の欠点とも思える部分まで、私は好きになっていたし、魅力的に感じていた。

暗い性格の部分も慎ましくて、可愛いと思えるようになっていたし、外見的なものに関しても、とても美しいと思えるようになった。

美佳のコンプレックス”のところでも書いたが、小さい胸なんかも可愛らしく思えるようになって、私はとても好きだった。

学生の頃なんかは友だちと一緒に、グラビアの胸を強調した女性の写真なんかを見ては喜んでいたりもしたものだが…。

そういうのも興味がなくなった。

胸が大きな奴隷も居たから、もちろん、胸の大きな女性が嫌いになったというわけではない。

胸が大きかろうが小さかろうが関係なく、それぞれに、持っているものを、素直に好きになれるようになったということ。

それも無理矢理にそう思おうと思ったのではなく、いつのまにか、自然にそう感じるようになっていた。

美佳は、私がそれまでに思っていた好きな女性のタイプとは、全く違っていた。

そして、その後、何匹かの奴隷を飼ったりするのだが、そこでも、彼女たちに感じた魅力的な部分というのは、私がそれまでに持っていた、好きな女性のタイプとは違ったところが多々あった。

こんな感じで、女性にはそれぞれにそれぞれの魅力があるのだということを、実感を持ってわかった気がするので、

その魅力を見つけることが幸せであり、その人を好きになるということなのだろうと思うようになったのだと思う。

相手の良い所、魅力を見つけるのがすごく楽しく感じるようになった。

だから、女性の好みということに関しては、それほどこだわらなくなったのだろうと思う。

ということは、それは好みでもなんでもないような気がする…。

なんてことを、堂々巡り的に考えてしまっていたので、ご質問をいただいてから、このエントリーを書くまで、かなりかかってしまった。

多分これは、このまま考え続けても結論は出ないんだろうということで、考えるのを止めることにした。

そして、逆のことを考えようと思った。

それは、「最低限、これだけは押さえていて欲しい」ということ。

つまり、私として、この条件がクリアされないと、ちょっと困ること、というのを考えてみようということ。

そして、それ以外なら、きっと、好きになることができる、つまり何か魅力を見つけて、それがいいなと思えるようになるのだろうと思った。



まず、私が最も大事だなと思う部分、そしてこれができてないと確実に困ると思う部分だが、それは、

「まともに話が出来ること」

これができてないと一番困る。

まあ、女性に限らず、これができないと普段の生活や仕事なんかでも、相手をしたくない人と思ってしまう部分なのだが、話ができないとどうしようもない。

意思の疎通がまともにできないことになるので、相手のことを知ることすらできなくなるのだから、本当に困る。

大部分の人は普通に話ができるので問題ない。

でも、きちんとした話ができない人というのが、たまにいらっしゃる。

例えば、ノリだけで話をするというか、その場の雰囲気に合わせるだけで話をしている人。

もちろん楽しむ時とかは、そういう話をしてもいいし、場の雰囲気を壊さないような配慮でもあると思うので、それ自体はいいのだが、常にそれだけだと困る。

真面目に話をするべきときに、それができない人がいる。

また、真面目に話をするのを面倒臭がる人というものいる。それも苦手だ。

私も、ややこしくて長い話をされるのは、好きではないのだが、それでもある程度の話はしないといけない時がある。

でも、必要なときでさえ、それを放棄する人がいるが、それは困るなと思う。

もちろん、特別なことを要求しているわけではない。普通に話せる人なら問題ない。

話術に長けている必要なんて全くないし、口ベタでも、引っ込み思案だとか、人見知りだとかで、自分から話を積極的にできないタイプであっても構わない。

それこそ、上で書いた美佳の性格のように、オドオドしていて、自己主張するのが苦手なタイプでもいい。

そういう場合でも、話をしようと真剣に努力してくれさえすれば問題ないし、私との話を嫌がらずに、面倒臭がらずにいてくれればそれでいい。

緊張したりして上手く話せなくても、話そうとしてくれてさえいれば、私はそれを待つし、ゆっくりでも話をするので、時間がかかっても、最後まで話はできると思う。

という感じで、まずは、ちゃんと話ができる(しようと頑張れる)人というのが、第一条件だと思う。


次に、常識を(普段は)わきまえている人。

アブノーマルで、非常識な私に言われたくないとは思うが、私も、一応社会人として生きているわけで、そういう意味では、普段は常識の中で、生活している。

そういう意味での常識。性癖とか性欲とか、そういう意味ではなくて。

それに、常識と言っても、完璧なテーブルマナーが身についているとか、お茶の作法がわかりますだとか、そんなところまではいらないから、最低限、大人として、特に問題なく社会生活を送れるだけのものが身についていればそれでいい。

挨拶ができるとか、敬語が使えるとか、TPOをわきまえて行動できるとか、大人が普通にやっていること。

多分、大部分の人が備えているものだと思うので、これも特別なことじゃないと私は思っている。

ただ、仕事なんかでいろいろな人に会っていると、ごくたまにこれがない人を見かけたりするので、そういう人は苦手な私だ。

だから、そういう人は多分、女性としても、奴隷としても、パートナーとしては受け入れがたいと思う。

性癖や、特殊な趣味とか、興味とか、そういう部分は、アブノーマルでも、私はそれほど問題ないと思う。

私がそうだから、相手のそういう部分は、当然受け入れる。

とにかく、大人として、普通に社会生活を送ることが出来る人。

”常識”というと、ちょっと硬い書き方になるかもしれないが、不器用でもいいから、人の間で普通に生きていける人ならいいということ。


次に、ちゃんと、考えられる人というのがあるかなと思う。

と言っても、勉強ができるとか、仕事が出来るとか、そういうことではなく。

頭の回転が早いとか、賢いとか、知的とか、そういうのとも違う。

考えることを安易に放棄しない人、といったほうが正確か。

私はこの通り、考えすぎるタイプの人間だ。

だから、私と同程度まで考えてくれとは言わないし、私は自分の考えすぎる部分は、ちょっとやり過ぎっぽく思っているので、そんな要求はしないが、考えるのを面倒臭がって、どうでもいいと、すぐに言ってしまったり、もういいやと、諦めてしまう人がいる。

それをされるのが、私は嫌だ。

もちろん、何かショックなことなどがあって、そういう風に投げやりな気持ちになることもある。

それはそれでいい。人間だからそんな時もある。

でも、いつもそんな感じで、すぐに考えるのを放棄されるのが嫌だ。

考えればなんとかなるかもしれない。もちろん、考えても何とかならないかもしれないのだが、それでも、ちゃんと考えて、解決策を見つけようとする姿勢がない人は、私は苦手だ。

実際に、なにかの問題を解決できた(できる)かどうかは気にしない。それは、その人自身だけではなく、他の要素もあるだろうから。

それに、考えている途中で、混乱してきて、余計に迷ってしまうような人でも構わない。すぐに結論がちゃんと出せなくてもいい。時間がかかってもいい。それでも、考えようとしていることには変わりはないから。

とにかく、何か気になることがあればそれを解決しようとする意思を捨てないでいてくれる人がいいなと思う。そのために最後まで考えることを放棄しない人。

私が、考え過ぎなタイプなので、そういう私の気持ちをわかってもらえる人がいいと思っているのかもしれない。


次に私の性癖の問題なのだが、私は、パンストフェチなので、スカートにパンストを履くのが嫌な人とは、合わないような気がする。

オチみたいに、一気に落として申し訳ないのだが、結構真面目に書いていたりする。

これは、理屈でどうこうという問題ではない。こういう性癖だからだ。

そういう格好が大好きな人ならベストだが、そこまでは望まない。

私のこの厄介な性癖を、広い心で笑って許してくれる女性ならそれでいい。

私に女性の好みがあるとすれば、もしかしたらここかもしれない。

スカートにパンスト姿が似合う女性が好き、楽しく履いてくれればなお良し。ということは言えるように思う。

でも、とりあえず、私の前だけでいいから、そういう格好をしても、嫌だと思わない人であってくれればそれでいい。

たとえ、嫌だと思っても、「仕方ないよね…」と諦めて(呆れて?)、苦笑いしながらでも、履いてくれる人なら構わない。


ということで、この4つくらいが、私が好きになれる女性の条件だと思う。


そして、奴隷に求めることで言えば、これに足して、「M性があり、主従関係を結ぶことができること」というのが追加される。

今思いつくのは、これくらいかと思う。

あとは、前に相性の話のところでも書いたが、奴隷にすることを考えるときに、しっかりと話をして、相性があうかどうかを考えるということだ。

そういう意味でも、最初に書いた、”話をする”ということとか、3番目に書いた、”ちゃんと考える”ことが、出来る人でないと困ると思っている。

しっかり話をして、しっかり考えて、奴隷になる決断をしてもらわないと困るから。

また、S的な考えとしては、奴隷が持つ、”普段の常識”を壊すことが、楽しいので、そういう意味でも、やっぱり、普段のことは、普段のこととして、できている人がいいと思っている。


それと、1つ、一番?重要なこと。

S女性は無理だ。私はMにはなれないので。

友達にはなれるし、なりたいし、実際、女王様の友達もいたのだが、自分のパートナーにはできない。


以上。

これで、私の、女性や奴隷の好みを書いたと胸をはるのはどうかと思うが、今の私はこういう感じで考えている。

女性の好みということで、すっきり、「こういう女性が好き!」って言えるほうが、清々しい気はするのだが、

私は、出会った女性の魅力を発見できることが楽しいと思ってしまうし、女性の魅力というのは、話をしたり一緒に居たりする中で見つけていくものだと、今の私は思っている。

そう思うようになって、前よりも女性のことをちゃんと見るようになれた気がする。

奴隷に関してもそれは同様。

さらに、奴隷の場合には、いろいろな調教や躾を課すことで、隠れていた魅力を引き出したり、新しい魅力を付加するような楽しみもある。

奴隷を魅力的に、奴隷としての品を高めるように調教して、私好みの奴隷に仕上げていく。

奴隷は磨いて光るものだと思う。

しかも、私に合うように、私にだけ合うように、カスタマイズする。

それは、御主人様の醍醐味の一つだと思っている。

だから、最初から、私の理想とする奴隷である必要はないと思うし、そんな奴隷と会うことは、そもそも無理だと思っている。

と、こんな感じだ。

ご質問くださった方には、あまりちゃんとした答えになってなくて申し訳ないような気もするのだが、

好きな女性や奴隷のタイプと言われても、今の私は、こういう風にしか書けないので、これで納得していただけるとありがたい。




最後に。

”奴隷の好み”ということで言えば、私の過去の奴隷はすべて私の好みだった。

というよりも、奴隷たちのような奴隷が、私の好みだと言える。

付き合いが長かった奴隷も、すごく短かった奴隷も。

すべて、本当に私の好みだった。私にとって、大切な奴隷だった。

だから”奴隷の好み”といえば、過去の奴隷たちのことが頭に浮かぶ。

そして、これから、もしも、誰かとまた主従関係を結べるなら、きっとその奴隷が、好みなのだと、好みになるように、なっていくのだと、していくのだと、私は思う。

これが、私の”奴隷の好み”だ。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:アダルト

「股を開け」

奴隷に命じる。

「はい…」

といって、奴隷は、股を開き、私の前に性器を晒す。

ごく普通にある光景だ。

もちろん、奴隷といっても、その行為には、多少の抵抗感がある。

憂いのような表情を浮かべながら、恥ずかしそうにしながら、そうする奴隷もいた。

躊躇し、時間をかけて決意し、その末にやっと股を開くことのできる奴隷もいた。

奴隷により、またその時期により、反応は違う。

だが、私の命令が絶対であることを理解した奴隷に、股を開かないという選択肢はない。

そんな命令。

それは、今の(御主人様になってしばらくして以降の)私にとっては、特別なことではない。

奴隷を目の前にして、何らかの命令を発することに、抵抗も、躊躇もない。

私が、思ったまま、命じる。

奴隷の頭を掴んて、「しゃぶれ」とか、

床に這いつくばる奴隷に足を出して、「なめろ」とか、



そういう命令を口にすることを、私は特に何とも思わない。

口にすることすらなく、黙ってさせることも多々あるが、そんな命令でも、同様。

命令という風に意識することもあまりなく、自然に口から出る言葉であったり、態度であったりする。

対奴隷のみ、ではあるが、日常会話とも言えるかもしれない。

例えば、恋人同士で、「あのお店に、今度、ご飯食べに行こう」とか、そういう言葉と、おそらく同じレベルで、発する事のできる言葉だ。

私の命令というのは、そういうものに”なった”。


でも、御主人様初期の頃、私は、このような命令をすることに違和感を覚えていた。

もちろん、嫌だったという意味ではない。

最初から、S性は、大いに刺激されたし、これを言うこと、そして従う奴隷に、愉悦を感じていた。

また、奴隷がそれを望んでいること、そんな私の命令に従うことで、M性を満たされる部分があることもわかった。

でも、私は、自分の発する命令というものに、自信がなかった。

一つは、奴隷を必要以上に追い詰めることを命じてしまうのではないか?という心配。

命令を奴隷はそのまま実行する。

たとえ、奴隷が尻込みしたとしても、一度出した命令は、実行させる。

退くことのないもの。

私はそう思っているし、そうさせる。

そして、奴隷が、奴隷として、私に気持ちを預ければ預けるほど、奴隷の中での、私の命令の強制力は、強くなる。

奴隷は自分に与えられた命令のリスクを無視するようになる。自己防衛をしなくなる。

だから、命令には奴隷に対する責任が伴う。

その責任の重さを感じていたように思う。

感じていたと言うよりも、戸惑っていたと言ったほうがいいかもしれない。

つまり、奴隷にとって、致命的な損傷(肉体的にも、精神的にも)を与えるような命令をしてしまうのではないか?という心配が、私の気持ちの中にあった。

それは、私の御主人様としての経験不足から来るものだ。

どの程度のことを命令すると、どうなるのか?

それが、初期の頃、経験がない私には、わかっていなかった。

”女”というものと付き合ったのも初めてだったし、女の体、そして心に深く触れたのも初めてだった。

もちろん、”奴隷”としての体、心は、未知のものだった。

だからそれに、直接触れることになる命令というのは、私には考えなしには発することが出来なかった。


もう一つは、奴隷に嫌われるかもしれないという危惧。

奴隷が嫌がる命令をしたとき、奴隷との信頼関係が崩れてしまうのではないか?

命令があまりにもおかしくて、主従の雰囲気を壊し、愛想をつかされるのではないか?

そんなことを考えていた。

奴隷の顔色を伺っていたようなところがある。

それが初期の私の命令だった。


こんなことを書くと、Sな方々には笑われるかもしれない。というか、笑っていただいて構わないのだが、私は、こんな感じで主従を始めた。

何度も書くようだが、あの頃のこんな命令でも、私のS性というのは、大いに刺激されていたのだ。

それは間違いないことだ。

決して、奴隷に命令することが嫌だったわけではない。

でも、同時に、こういう事を思っていた。

だから、命令に自信がなかった。

命令するのが怖かったと言ってもいいかもしれない。


でも、その内に気がついた。

私が自信なく、命令をしている時、奴隷はそれを敏感に察知することに。

ある時、奴隷が言った。

「御主人様、(その命令は)大丈夫ですよ」

と。

何気ないフォローだったのだろうが、私にしてみると、屈辱的なことでもあり、なにより、恥ずかしかった。

御主人様だ!なんて言っている自分が、命令一つ、まともにできず、奴隷に気を使わせている。

正直、かなり凹んだ。

だからといって、すぐに気持ちを切り替えて、自信を持って命令ができるようになったわけではない。

やはり、上記の心配はつきまとっていた。

それでも、私は奴隷に命令をする。

それを続けた。

やめることはなかった。

そうすると、そのうち、なんとなくわかりはじめた。

いつの間にか、奴隷の状況を把握し、それに私の欲求をしっかりと載せた形での命令を自然にするようになっていった。

色々な行為と、その時の奴隷の反応を見て、経験するにつれて、どこまでできるのか?どこまでやって良いのか?ということが、実感として理解できるようになっていった。

命令における、奴隷に対する責任。

それをちゃんと意識しながらも、自信を持って言える部分が増えていった。

これは、本当に、経験と共にあったことだから、経験に比例するように、できるようになった。

ただ、奴隷に嫌われるかもしれない、関係が崩れるかもしれない、という危惧については、残っていた。

これは、すぐに払拭できた気持ちではなかった。

やはり、命令を受ける奴隷の気持ちというのが、気になった。

とはいえ、これも、少しづつだが、変わっていった。

だんだんと奴隷の気持ちというのが、わかるようになってきた。

奴隷が、はっきりとした、そして、自信を持った命令を望んでいることを感じられるようになった。

命令の内容が問題なのではなくて、

その命令が、その時の私が真にしたいこと(奴隷にさせたいこと)であるのかどうか?

私が満たされるものであるのかどうか?

自信を持って発せられたものであるのかどうか?

ということの方が、重要なことなのだと、奴隷の様子を見ながら気がついた。

「股を開け」

なんていう命令は、奴隷が奴隷であれば、また私と奴隷だけがいる部屋の中であれば、拒否する理由が見当たらない。

それによって、奴隷の肉体や精神に致命的なものを与えるようなことはまずないし、奴隷がそれで私に愛想をつかすことも考えにくい。

だから、こういう命令は、比較的早い段階で、自信を持って言えるようになったものだった。

そして、その時の奴隷の反応が、自信のないことを命令するときに比べて、格段に、良いもの(M性を刺激されているようにみえるもの)であることに、気がつくようになる。

「私は、私のしたいようにすればいい」

そんなこと、主従になった時点でわかっていたはずなのだが…。

頭では、それは理解していたが、気持ちでは、そうではなかった事に気がついた。

でも、それに気持ちが追いついた。

しばらくたってから。

「したいようにすればいいって、こういうことなのか」と、心から理解した気がする。

そのあと、徐々に、躊躇や動揺がなくなっていった。

命令するときの、気構えというか、命令するぞという、一種の気合いのようなものは、しばらく残っていたのだが、それもだんだんと薄れていった。

そして、命令を、何の抵抗もなく発するようになっていった。

日常会話のレベルに近づいていった。

そして、最終的には、どんな命令でも、特に気負うこともなく、すっと口から出るようになっていた。

多分、私が”御主人様”というものに、ある意味でなったのは、この時のような気もする。

でも、初期の頃に思っていたことを考えなくなったわけではない。

命令が持つ意味、それが奴隷に与える影響、その責任、全てやはり考えている。

それでも、命令を躊躇なく出せるようになったのは、絶対にしてはいけない命令、したくない命令、そして、私が出したい命令というのが、頭の中できちんと整理されたのだと思う。

例えば、「どこかで他の男に犯されてこい」なんて命令は、私は出さないだろう。

それは、奴隷を自分の支配下においておきたいという私のS性を満たすことにならず、私の嫉妬心を自分で煽るだけであり、奴隷を他人の手に委ねることは、その責任を放棄していることと、私は認識しているから。

奴隷を深く知り、自分の気持ちやS性をちゃんと知った。

だから、私が出さない命令。

すっと出せる命令というのは、その逆のことを、すでに考えつくしたもの。奴隷と私の事を知った上で。

それが、私の命令。

今となっては、私は、本当に簡単に命令を出せる。しばらく出してはいないので、錆び付いているかもしれないが、おそらく出せる。

でも、こうなるまでには、こんなことを考えていた。

考え過ぎかもしれない。

もしも、”本物のS”というものがいるのなら、私のようなややこしいことは考えないのかもしれない。

だから、私は、自分が”本物のS”だと、主張する気は毛頭ないが、私は私の命令を、このようにして、ちゃんと考えた末に、持てたことには、誇りを持っている。

命令の一つ一つは、私のS性から生まれた意思の塊だと思う。

次に、もしも奴隷に命令をする機会があるなら、私は、純粋に私のS性や欲望に従って、私が私のしたいように、自信を持って言うだろう。

あっさりと、すんなりと、普通の会話をするかのごとくに。

揺るぎのない、絶対的な、私の命令を。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト

今日は、少し、いつもと違う気持ちで書いている。

気持ちが溢れると、こういうのを、今までも何度か書いてきたが、そういうエントリー。

続き物の話や四方山話のように、ちゃんと書くことは絶対にない話だから、意味がわからないと思うが、流してくれていい。

私の心が騒いだから書くだけだから。


ある奴隷から、最後に首輪を外した時のことを思い出していた。

赤い首輪。

それは最後の首輪だったと同時に、私が奴隷につけた首輪の中で、一番短い時間しか、奴隷のものではなかった首輪。

ほんの少しのためだけにあった首輪。

でも、その首輪に、私が感じた重さというのは、他の奴隷たちもあわせて、何十と使った首輪と同じ。

奴隷の想いが染み込んでいると思っている。

何年も使った首輪もあった。

でも、その首輪の意味、私の心にかかる重さは同じに思う。

想いが強かった分だけ、たとえ短い時間だったとしても、重くなったのかもしれない。

その奴隷に対して、私も本当に、真剣に向き合った。

誰にも言うことのないその想いを、その重さを、今でも、共有しているつもりで居る。


その首輪をつけていた奴隷のことを思う。

赤い首輪をして私の前に居たのは、本当に美しく美しく、そして何より、心から愛おしい、私の奴隷だった。


首輪によって象徴されるもの…。



今。

真に心が満たされていればいい。ちゃんと、満ち足りていればいい。

そう思うし、そうじゃなかったら、困る。

本当に、困るんだ…。


テーマ:ひとりごと - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
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 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
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