理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


※パソコン以外で見ていて、何故かここしか表示されずに困った方は、以下のボタンを。

 ▼スマホの場合▼
スマホ版へのボタン

 ▼携帯の場合▼
携帯版へのボタン


私は奴隷を何匹か飼育したが、その中に、私が初めての御主人様だった奴隷が居る。

つまり、私が1から奴隷にした女ということ。

そのとき、私が何をしたのだろうと、その過程を考えていた。

何をした?といっても、具体的な調教のことではない。

調教自体は、私は多分、そんなに突飛なことはしていないだろう。

至ってノーマル?なSMだと思うし、普通?の主従関係だったと考えている。

プレイとしては、少し前に書いた静かな調教や、緊縛を中心にした、支配。

苦痛や屈辱、快楽、恥辱などを織り交ぜ、その奴隷に一番効果的だと思われることを見極めつつ、私がやりたいことをやりたいように施した。

多少特徴があるとすれば、スカトロとか、露出などの調教が少ないことくらいだろう。

でも、これ以外の有名なSMプレイというのは、それなりにやっていると思う。

そして主従という意味では、私は奴隷の前では殆どの場合、御主人様という立場を崩さなかった。支配の手を緩めることはほとんどなかった。

だから奴隷はずっと私に敬語を使ったし、不備があれば土下座をして謝るし、私の足元に跪いて、頭に足を乗せられたりして過ごすことも多かった。

そういう意味で、私の奴隷への対応というのは、オーソドックス?なものだと思う。

だから、具体的なプレイ内容をたくさん紹介して、これが効果的だとか、これはあまり意味が無いとか、そういうことを書きたいわけではない。

”女”というものから、”奴隷”というものになる(する)ということは、どういうことなのか?ということを、常識という観点からつらつらと考えた、ということ。


多分、通常の状態で”女”が持っている常識というのは、普通に”人”として扱われることに何の疑問も抱かないもの。

もう少し具体的に言えば、恋人同士でするのは、抱擁であったり、キスであったり、セックスであったり、そのくらいまでということ。

そして、相手との関係も対等なもの。

カップルによって、多少のパワーバランスの違いはあるかも知れないが、どちらかがどちらかを支配するという状態にまでなることは、それほどないと思う。

そういう意味での、常識が”女”には備わっている。

そして、”女”を”奴隷”にするとき。

何をしているのか?を考えていたら、この”女”の常識の部分に働きかけをしていたのだなと、思い至った。

その手段が、調教であり、主従として過ごすこと、なのだと。

もちろん、調教や、主従として過ごすことには、別の意味もある。

例えば、お互いを知ること、性癖を見せ合うこと、信頼関係を作ること、など色々あるのだが、今回は、常識の部分での話についてのみ、書くことにする。


奴隷にしたばかりの時、調教をすることで、”女”の常識を少し変化させる。

例えば、縄で縛る。

これを”女”の常識で考えるなら、不自由であり、苦痛であり、非人道的であり、”あり得ないこと”の部類に入るだろう。

縄で縛られる経験なんて、普通に生活していたら、まず一生ないことだ。

あり得ない。

多分、奴隷になりたての女には、そういう気持ちというのは少なからず残っていると思う。

でも、一度縛られ、それが”あり得る”のだと認識した時、常識が少し変わる。

また、その縛られることに、M性から、快感を感じたとすれば、やっぱり常識が少し変わる。

多分、一度でも縛られて、それが”あり得ること”であり”快感”であると感じたならば、その時点で、その女の常識は、普通の常識からずれたと言っていいだろう。

そして、奴隷には、調教のたびに、それが繰り返される。

その繰り返しによって、”女”の常識が”奴隷”の常識に段々と近づいていく。

縛られることに全く問題を感じなくなってくる。

不自由であり、苦痛であり、非人道的であるという事実は変わらなくても、それが”あり得る”ことになり、さらには、”求める”ことになっていく。

確実に、ここで常識が変わっている。


主従関係ということでも同様のことが言えるだろう。

例えば、最初の挨拶を、土下座をし、頭を床にこすりつけて敬語で言う。さらには、その頭や顔に足を乗せられたりする。

手の位置が悪い、頭の下げ方が悪い、挨拶の言い方が悪い… そんな理由で、やり直しをさせられたりもする。

”女”の常識で考えれば、挨拶なんて普通に言えばいい。

目上の人に対しても、丁寧な言葉と共に、会釈くらいしておけば問題ない。

恋人同士で、かなり重大なことをやってしまったとしても、土下座してまで、彼氏に謝る機会というのは、まず無いと思っているだろう。

だから、ただの挨拶程度で、跪いて、手をつき、頭を床につくまで下げ、最大限の敬語を使って、御主人様を敬い、自分を貶める。しかも御主人様の都合で何回もさせられたりする。

なんて、これ以上の屈辱はおそらく無い。

でも、奴隷になった時、それをやる。

御主人様の前でそんな姿をさらす。

頭の上に足を乗せられても、そのままに耐え続ける。

一度でもそれを受け入れたなら、そこで、それでいいと思えたなら、それだけで、もう常識はずれている。

主従関係において、それが、特別なことではないのだと気づかされる。

また、御主人様に組み敷かれ、頭を下げることにM性を刺激され、そんな立場として扱われている自分に快感を感じたなら、そこでも常識が少し変わる。

それが、御主人様と会うたびに、何度も積み重なる。

そういう挨拶を屈辱だと思う気持ちは変わらないかもしれないが、抵抗感が消えていき、御主人様に従っていること、飼われていることを実感し、快感や、安心感につながるようになってくる。

挨拶をして、顔をあげた時、奴隷が心底嬉しそうに、ニッコリと微笑むようになったりもする。

もう、そこに”女”の常識の影はあまり見えなくなっている。


奴隷に調教を課し、主従関係を続けることで、私は、”女”の常識を少しづつ、変質させていったのだと思う。

私が、ということもあるが、奴隷自身が、そのように自ら変わっていったのかもしれない。

どちらなのか?というのは、明確に区別するのは難しいが、とにかく変わっていった。

それを繰り返すうちに、”女”の常識は薄れ、”奴隷”の常識が濃くなっていく。

そして、私が、このエントリーのはじめのほうで、ノーマル?だとか、普通?だとか、オーソドックス?だとか書いていたことが、自然にそうだと思えるようになってしまう。

それを受け入れてしまう。

そんな認識を持つに至った時、常識が、”女”の常識から、”奴隷”の常識に変わったのだろうと思う。


調教、そして、主従関係というのは、こういう側面も持っている。

私は、それを使って、”女”を”奴隷”にした。

もちろん、「常識を変えた」といっても、奴隷が表の世界で生活しているときには、”女”の常識はしっかりと持っているし、それがなければ、かなり困ったことになるのは目に見えている。

常に”奴隷”の常識で生きたなら、おそらく確実に、表の人生が壊れることになる。

それは避けさせる。

だから、私は”奴隷”の常識に染めるのと同時に、それを”女”の常識ときちんと切り替えられる範囲で留めていた。

それに、奴隷としても、当然ながら自己防衛していたのだと思う。

表の世界からも、完全に”女”の常識を奪ったわけではない。というよりも、そう簡単に奪えるものではない。

でも、私の中には、そういう欲求もあったことは確かだ。

全てを奴隷に染めてしまいたい。

完全に支配したい。

Sとしてのある種の目指す目標かもしれない。

とはいえ、実際上、それはできないし、そこまでやらないところで留めるのが御主人様に要求される自制だと思う。

少なくとも私は、奴隷が社会的な信用を失うことを望んではいなかったから。

普段の生活は普段の生活として、つつがなく存在しているべきだと思っていたから。

”奴隷”の常識と、”女”の常識を、私と会っているときと、会っていない時で、明確に切り替える術だけは、きちんと与えていたつもりだ。


”女”と”奴隷”それは、常識という面だけから見ても違う。

また、この社会の中で生きていくならば、”女”の常識と、”奴隷”の常識は両方備えていなければならない。

元からある”女”の常識と、あとから作り上げられる”奴隷”の常識。

そして、そんな2面性を、奴隷が持つようになることを、しっかりとわかっていること、それをきちんと切り替えられるようにしてやることが、御主人様がなすべきことだろう。

自分でしっかりと分けられる奴隷も居るのだが、どちらかに偏る奴隷もいる。

特に、女の常識を、奴隷の常識が、侵食していく場合が多いように思う。

そうなったとき、それを止められるのは、おそらく御主人様だけだ。

だから、それは御主人様の義務だと私は思う。

そして、それがしっかりとできていたのか?というのをやはり考えてしまう。

ちゃんとやったつもりではいるのだが…。


テーマ:支配と服従 - ジャンル:アダルト



奴隷を飼っていた時、私は東京で一人暮らしをしていた。

学生時代は、部屋で自炊をしていたこともある。

だが、社会人になってから、外食やコンビニ弁当が増えた。

仕事を終えて帰ってきて、食事を作る気にはあまりならなかったし、遅い時間だとスーパーも開いてないから、食材を揃えるのが、そもそも難しかったりする。

かと言って、一週間分の食材を休日に買っておいて、計画的に調理をするということもあまり考えなかった。

ちゃんと、自炊をしたいと思える時間に帰宅できるかどうかが、まずわからないからだ。

でも、私は料理を作ることというのは、別に嫌いなわけではない。

特にうまくはないし、レパートリーも少ないが、作るときには作る。

凝った料理も作ることもある。

だが、料理をするかどうかは、私の帰宅時間とその時の体力と気分で、決まっていたから、食材があっても、料理をせずに、時間が経ってしまうこともある。

また、お菓子なんかも、自分で買ってくることは少なかったのだが、職場で、もらってくることなどもある。

ただ、私はそれほど頻繁に食べる方ではないから、せっかくもらっても、そのままにしてしまったことも多い。

友達や奴隷が来れば、その時に消費されるという感じだった。

こんな状況だったから、私の部屋には、賞味期限を過ぎてしまった食べ物、というのが結構あった。

でも、私は、食べ物の賞味期限については、それほどシビアに考えない。

生鮮ものに関してはさすがに嫌なので、ある程度は守るが、加工食品などは、賞味期限が多少切れていても、見た目と匂いがおかしくなければ、問題なく食べる。

さらに、真空パックだとか、缶詰だとか、冷凍物だとか、明らかに保存が効くものであれば、賞味期限を見ずに食べていたりもする。

さすがに、確実に数年過ぎているものが発掘されたとか、買ったことすら忘れたものが見つかったとか、そんなときには食べないが、私の許容範囲は多分、かなり広いと思う。

そんな感じで、今までずっとやってきたが、それが原因で腹を壊したとか、そういう経験はない。

もちろん、賞味期限切れのものを食べることを、推奨しているわけではないので、それは間違わないで欲しい。

あくまでも私の場合ということ。

それに、私の部屋の台所は、奴隷が使うことも多かったし、冷蔵庫の中身も、奴隷のほうが知っているような感じだったから、適度にそこで、調整(廃棄処分)されていたということもあるのだと思う。

奴隷は、おそらくだが、賞味期限が切れたものを調理して、私に出すような事はしなかったのではないかと思う。

そんな感じで、私は、自分が食べるものに関しては、賞味期限を真剣に気にすることは、あまりない。

食べ物というのは、実際、見て、匂いを嗅いでみれば、大抵大丈夫かどうかはわかるものだ。

なんてことを思っている。

だが、これが、違うものがある。


先日。

私は、飼育している、熱帯魚に餌をやろうとしていた。

熱帯魚を飼育したことがある方はご存知かと思うが、餌によっては、消費期限が書いてあることがある(多分、ペットの餌に関しては、法律で決まっているわけではないと思われるので、書いてないものもかなりある)。

私が与えている餌も、消費期限が書いてあった。

また、私は消費期限が書いていないものに関しても、開封してから、一定期間で使い切ることにしている。

それは、餌のせいで、魚を病気にするようなことはしたくないからだ。

餌をやる時、私は、大抵、消費期限を確認する。

先日も、餌をやろうとして、確認したら、消費期限を過ぎていた。

一日。

でも、その餌を私は廃棄した。

魚の餌に関しては、一日でも、私は妥協できない。

前の日に問題なく食べていた餌を、次の日にやったところで、多分問題ないのだ。

特に、生き餌(人間で言えば、生鮮食品のようなもの)ではなく、乾燥させて作られた粒状の餌などは、1、2ヶ月過ぎたところで、おそらく、殆ど変わらないだろう。

だから、同じように熱帯魚を飼っている人の中には、消費期限など無視して、使い切るまで、餌を与え続ける人もいる。

それを思うと、私の対応というのは、少し、神経質ではあるかもしれない。

でも、万が一が嫌なのだ。

それに、熱帯魚に古い餌を長期間にわたって与え続けることで、徐々に悪いものが溜まって、寿命が縮むようなこともしたくない。

飼った以上、最低でも、平均寿命よりも長く、健康に飼育してやりたい。

そう思っている。

だから、餌の消費期限はきっちりと守る。

餌を捨て、そして、新しい餌を買いに行った。

その時に、ふと思い出した。

奴隷に、犬食いの調教をした時のことを。


かなり前だが、ドッグフードというエントリーを書いたことがあるが、

私は、奴隷に、犬として食事をさせる調教をする時には、主に、ドッグフードを食べさせていた。

そのドッグフード。

私が、お店に買いに行く時は、なるべく調教日に近い日。当日に買うことも多かった。

そして、その時に店頭に並んでいる中で、一番、消費期限の新しいものを選んでいた。

それこそ、スーパーで、冷蔵庫の後ろの方に隠されている、新しい牛乳を掘り出すようにして買ってくる人がいるのと同じように、

そこに置いてある、全ての餌を見て、その中から、最も新しいものを買ってきていたし、消費期限が書いてないものは、そもそも買わない。

徹底して、新しいものを選び出していた。

だが、そんなことをしているとは、奴隷には言えない。

”牝奴隷には言えない話”だ。

部屋に帰ると、すぐにそのパッケージを開け、少し、餌を取り出して減らし、さもさも、前回使ったドッグフードの残りを今回も使っているのだと、奴隷が思うように、置いておくという、念の入れよう。

もちろん、前回使った(一度開封した)ドッグフードなど、残っていても、すでに廃棄してある。

そんなものを、大切な奴隷に使えるわけがない。

こんな私のことを、気を使いすぎだと思われるかもしれない。

実際、そんなことを気にしては、S性が満たされないという人もいるだろうと思う。

でも、私がS性を刺激されるのは、あくまでも、奴隷に犬のような屈辱的な方法で、人間用の”食事”ではなく、ペット用の”餌”を食べさせるという、その行為自体であり、その餌の質の良し悪しというのは、関係無いのだった。

だから、そういう面でのリスクはできるだけ低いほうが良いと思っていた。

でも、奴隷は、そういう私の考えには気がついていなかっただろうと思う。

パッケージは同じだし、すでに開封されて、中身も少し減っている袋から、犬用の皿に、盛られるのだから。

そして、私は、偉そうに、

「ほら、餌だ」

と言って、皿を、床に這いつくばる奴隷の顔の前に、乱暴に置く。

「ありがとうございます」

奴隷は、そういって、口だけでその餌を食べる。皿からこぼれたりもするが、それも食べさせる。

さらに、少しでも犬食いを躊躇するようなら、奴隷の頭を足で、ドッグフードの中に押し付けて、食べさせる。

そこから、私は、S性という快感を大いに得ていた。

そんな私なのだが…。


自分の食べるものに関しては、賞味期限は無頓着といってもいいと思うが、ペットに関してはそんなことは思えない。

絶対に妥協しない。

熱帯魚にしても、奴隷にしても…。

私は、そういう飼い主だ。

多分、私のほうがペットよりも先に死ぬんじゃないかと思う。

でも、それならそれで本望だろう。


テーマ:SM - ジャンル:アダルト


今回は、SMや主従関係を経験したことがないM女性に向けたお話になるかと思う。

私が、メールでご相談を頂く中で一番多いのが、M女性からのもので、さらに、奴隷になりたてとか、奴隷になる前の方の割合が、大きい。

そんな中で、最近、特に多くなったと感じることがある。

それは、「SMの世界に入ろうかどうか迷っている」というもの。

「御主人様になってほしい人が見つかったけれど、奴隷にして欲しいとなかなか言えない」とか、

「御主人様探しをしようかどうか迷っている」とか、

そもそも、「誰かの奴隷になってしまっていいのだろうか?」という疑問。

ここのところ、こういうご相談が増えた。

近頃、私が書いているエントリーが、そういうM女の方にとって、多少なりとも気になる話だったのか?とも思うのだが、そのあたりは、よくわからない。

時期的なものもあるのかもしれない。

3月末から、4月、5月というのは、人の気持ちの変化が大きい時期のように思う。

去年も、この時期にご相談が増えたから。

3月から4月というのは、就職や進学で、環境が変わる人が多いのだろうし、5月になると、新しい環境にも慣れ、GWもあり、少し考える余裕ができて、充実感を感じたり、逆に物足りなさを感じたり、何かをやろうと思ったりする人が多いのではないか。

春だから。というのもあるのかもしれない。

私はどちらかと言えば、冬に色々な出来事が多かったから、気持ちが動くのだが、春は春で、福寿草や、梅や、桜を見て、感じるものもある。

看護師をしている知り合いが、ぼやいていたが、この時期は、精神的なことを発端にした症状で病院に来る人が増えて、忙しくなるのだそうだ。

みんな、ソワソワする時期、なのだと思う。

少し話が逸れた。


この世界に入ろうとする全てのM女が、多分、一度くらいはちゃんと考えたほうがいいと私が思っていて、そういうご相談のメールをいただくと、大抵のお返事に書く事柄(表現の仕方は違うのだが)があるので、それを今回は書こうということだ。

ただ、主従関係に対する思いは、メールを送って下さった方、それぞれに違うので、それぞれについて考えて、お返事はお返している。

だから、すべての方のご相談に、画一的なお返事をしているわけではないし、これからも、同じようなご相談をいただいたとしても、やっぱり別々にちゃんと考えてお返事は書く。

でも、そのお返事の中で、私が根幹に据えて考えていることがあるから、それを、私っぽく書いてみる。

そういう、エントリー。


SMや主従の世界に入ることで、”得られるもの”と、”失うもの”を挙げて、天秤にかけてみる。

もしも、この世界に入るかどうかの判断に迷うなら、こういう考え方も、一つあるのではないか?と私は思う。

もちろん他にもあるが、今回はこの視点で見てみることにする。

それから、”御主人様との関係”というのがあるから、一概にこれから書くことが全て当たるとは言わないが、私が見てきた主従の多くで見られたもの、そして、私がやったこと、ということで、書いてみる。

とはいえ、この世界には、極端な人も結構居るので、全部をくくるのはなかなか難しい。そこは勘案して読んで欲しい。


まず、得られるもの。

一番大きなものは、M性を満たされるという、快感。満足感。幸福感。

これは、SMや主従の世界に入りたいと思う動機そのものだと思うから、これが得られないなら、入る意味が無い。

これを満たしてくれない御主人様の奴隷になると、かなり悲惨なことになるので、それは気を付けたいところだ。

実際、全然、M性を満たされなくて、辛いだけで、別れたという人も見ているから、これはある話。

だから、前から書いているが、相性を見極めることというのが、大事だと思う。

ただ、まともな御主人様なら、M女のM性は、把握できるはずなので、ある程度は満たすことができるだろうと思う。

最初からぴったりと、御主人様のS性と、M女のM性の、方向や強さが合うというのは難しいというか、ほとんど不可能だと思うが、

それが、主従関係を始めてから、擦り合わせて行ける範囲(御主人様に開発されたり、気持ちの変化があったり、御主人様の方からの歩み寄りなど)におさまるなら、それはうまくいっている方だと思う。

主従関係といっても、時間をかけて作っていくものでもあると思うから。

”すぐに”というわけではなく、”そのうちに”ということも含めて、M性が満たされる快感というのは、得られるだろうと思う。


それから、M性以外の性的快感。

例えば、アナルセックスなどは、普通の男女関係ではあまりやらないだろうと思うが、SMでは、普通にアナルを使うことがある。

そして、アナルセックスにかなりの快感を得るまでに開発されている奴隷もいる。

アナルのほうがいいなんて言う人までいる。

だから、こういう、一般的には、アブノーマルとされる性行為も、普通に行われることがあるので、そういう部分からの快感というのも、得られる場合がある。

また、器具を使った性行為というのも、よく行われる。

SMとは無縁の女性でも持っている人は持っていると思うのだが、ローターやバイブ、電マなどは、恥ずかしくて、なかなか手を出しにくい人もいるように思う。

でも、これらは、御主人様が持っていたりもするので、そういうものを使った快感が、得られる機会になるかもしれない。

私も奴隷に使っていた。

ただ、私は、こういうもので、責めることはそれほど多くなかった。

使用頻度は、御主人様にもよるとは思うが、奴隷に渡して、自慰をするように命じるような使い方もするので、こういうものに興味があれば、使いやすい環境になることが多いかと思う。

また、縄で縛られることによる”縄酔い”なんていう、普通のセックスとは違う(と思われる)快感も得られる可能性がある。

感情表現も、ある程度の激しさというのは、許容される事が多いだろう。

ノーマルなセックスの場合、女性に大声で泣かれたり、叫んだり、よがり狂ったりされると、男性がかなり困ってしまって、そこから喧嘩になるなんてこともあるのかもしれないが、

SMの場合には、奴隷が大きな声を出すことに、あまり抵抗感を感じない御主人様が多いと思う。

奴隷に苦痛を与えることなんかは普通にされているので、それに対して奴隷が悲鳴をあげ、泣いたりするのも、やっぱり、特に驚くようなことでもないので、許容されることが多いだろう。

そして、たまに、大声で泣いたり、叫んだり、思いっきり気持ちよさを表現したりすることで、すっきりする女性というのも、結構いると思う。

そういう部分に関して我慢しなくていい開放感というのも、得られるようにも思う。


それから、愛情、信頼、心のつながり。

これは、普通の男女関係でも得られるものだが、主従関係でも得られると思う。

普通の男女関係と、その良し悪し、大小を比較することはナンセンスだと思うのだが、主従関係の場合、お互いに普通は見せない性癖を見せ合っているということがあるから、自然に、深くつながることができる場合もある。

そこから、より強い愛情を感じられることもあると思う。

もちろん、愛情など関係なく、プレイにのみ重点をおく御主人様もいるから、これも選んだ御主人様次第ということにはなる。

でも、ノーマルな男女関係では、女性がセックスに積極的だったり、少し変わった性癖を出したりすると、恥ずかしいとか、退かれてしまうとか、そういうことを考えてしまって、見せないこともあると思うが、M性も含めて、そういうことも、主従では、慣れている御主人様も多いから、素直な欲求を見せられるようにも思う。

素直になれるのであれば、相手をより理解できるから、本当に深い愛情につながっていくことにもなるかもしれない。

また、他の御主人様がどうだったか?は良くわからないが、私は奴隷のコンプレックスなども、聞きたいと思っていた。それも受け入れていきたいと考えていた。

それが、良かったかどうかも分からないが、奴隷には、私の前でそのコンプレックスを晒すことをためらう必要はないと伝えてあった。

こういったようなことが、愛情や、信頼や、心のつながりに、寄与していたのであれば、良かったと思う。

ただ、何度も書くようだが、これは、一般的な男女関係から発生する愛情や心のつながりと直接比較することはできないものだ。どちらが上とか、幸せとか、そういうことはわからない。

でも、こういう形で、あまり人に言えないことも見せて、その上でなお、つながっていたいという欲求に応える愛情というのは、得られる場合があると思うし、

それをノーマルな男女関係では得られない、至高の愛情と感じ、幸せに思っている奴隷も居ることは確かだ。

また、そういう愛情を注いでいたいと思って、奴隷に接している御主人様も居る。

私も、自惚れかも知れないが、こういう思いで居たつもりだ。

主従関係から、得られる可能性のあるものとしては、主に、こんな感じではないだろうか。

他にもたくさんあるが、個々の特殊な例ではなく、それなりに多くの場合に考えられるものとするなら、このくらいが代表的なものかと思う。



次に、SMや主従関係を持つことで、失うもの。

まず、人としての尊厳。

これをある程度、もしくは全て、失う場合がある。その匙加減は、御主人様によるが、”奴隷”になることで、真っ先に失うものは多分これだろうと思う。

人としての扱いをしてもらえなくなる、ということ。

物であったり、ペットであったり、それ以下であったり…。

ただ、これには二種類ある。

本気で御主人様がそう思っている場合と、御主人様としてはそういう風に扱うし、そのように言うが、実際には、ちゃんと人として見ている場合。

どちらになるか、またその中間的な存在になる場合もあるが、接し方としては、御主人様よりも下の位置を強いられることがほとんどだろう。

対等な付き合いではない事が多い。

”奴隷になる”ということなのだから、こうして人としての尊厳を失うことは、M女の方もわかっていることとは思うが、それにも、程度があり、それは御主人様が決めている場合が多いということは、認識しておいたほうがいいと思う。


そして、自由。

奴隷の自由を制限することは、普通にされることだ。

緊縛なんかで、実際に体の動きの自由を制限されることもあれば、こんな風に生活しろとか、そういう、もっと大きな制限を課される場合もある。

御主人様と会っている時だけのこともあるし、会わない時も全て含まれることもある。

どんな自由を制限されるか?というのは、本当に御主人様次第だ。

と、これだけでは、あまりにも漠然としていて、説明になってないので、比較的あると思われる例を書く。

まずは、性的なことに関する制限を課す場合は多いと思う。

御主人様と会っている時、調教の最中の、抱擁、キス、愛撫、セックス、SM的なプレイ、それらは大抵が、御主人様がやるかどうかを決めるだろう。

恋人同士なら、お互いの雰囲気や、女性が決めることもあると思うが、それと同じようになると思っていると、それは多分、裏切られる。

もっと簡単に書いてしまえば、調教中には、奴隷に自由はないと言ったほうが早いと思う。

また、普段の生活に関することであれば、自慰の禁止とか、逆に自慰の習慣化とか、そういうこともある。

あとは、性的な能力を鍛えるという意味で、性器周辺の筋肉を鍛える体操?のようなものを毎日させられるとか、そういうこともある。

張形(ディルド)やバイブを愛撫することで、フェラチオの練習を毎日するとか、アナルを拡張するためのプラグを入れて生活することを命令する人もいる。

これ以外にも、色々あるが、例を挙げるならこんな感じだろう。

御主人様が、奴隷に対して、なんらかの束縛を課すことが多いと思う。


人の尊厳と自由。

この2つを失う、制限される。それだけでも、かなり甚大な気がする。

私なら、絶対に受け入れがたいのだが、これを奪われることが、M性を満たされることと繋がっている部分もあるので、M女の場合には、失うというよりは、進んで差し出しているものなのかもしれない。

この辺りに関しては奴隷になることを考えるM女はすでにわかっていることではないかと思う。

ただ、SMのプレイを純粋に楽しみたい、つまり主従関係ということではない、対等なパートナーとしての、性?行為の一つの形としてやっている人達もいるので、そういう場合には、この限りではない。

奴隷というか、その場合には奴隷とすら言わないかも知れないから、受け手側とするが、その尊厳も自由も確保した上で、プレイをしてお互いに楽しくやるというスタイルもあるし、実際そういうカップルにお会いしたこともある。

主従関係のように、受け手側に対して、攻め手側が、命令形で話すこともなく、その逆を敬語で話すこともなく、対等に話もしていたし、雰囲気も普通の恋人同士とあまり変わらない。

そんな人達も居る。

でも、このエントリーで、そういう場合のことも含めて書き始めると、ややこしくなるので、今回は割愛する。


他に失うもの。

肉体というのもあるかと思う。御主人様によっては、奴隷に対して不可逆な事をする場合がある。

ピアス、タトゥーなど、そういうもの。

前に、”調教の分類”という話を書いたが、そこでの、肉体の改造に当たるもの。

そういうことで、肉体の本来の姿を失うこともある。


表の人生というのも、失う場合がある。

これは、私は全力で守ったもので絶対に失わせてはいけないと思っていたし、御主人様の多くは奪うつもりはないのではないかと思うのだが…。

これも失わせてしまう御主人様というのが居る。

表の世界の友人との会食に、下着が丸見えの短いスカートで行かせるとか、会社でSM行為をした写真をばらまくように言われたりとか…。

奴隷も御主人様もそれでいいのであれば、私がとやかくいう事ではないのだろうが、はっきり言って、私はそれはやり過ぎだと思う。少なくとも私はやらない。

でも、そういうことを実際にしてしまった話も聞いたことがあるから、それをさせる御主人様が存在することは確かだ。

本当に、裏も表も人生を御主人様(と言うよりも主従の世界)に捧げてしまうというのであれば、これもありなのかも知れない。

私は、表の世界は守ったほうがいいと思うが…。

他にも、奴隷になることで、失うものはあるかと思うが、やはり最初に書いた2つ。

人としての尊厳と自由。

それが本当に大きいと思う。


それから、得られるのか、失うのか、よくわからないものもある。

例えば、心の安定。

主従になることで、誰にも打ち明けられない気持ちを受け止めてくれる相手を見つけ、心がすごく安定する人もいる。

逆に主従になることで、御主人様に、色々な気を使うようになり、捨てられるのではないか?というような心配をするようになり、それがストレスとなって、不安定になる人もいる。

これは、やってみないとわからないだろうと私は思う。

というよりも、安定させてくれる人を選べればいいなと、とても強く思う。

また、失うと認識するのか?、得られると認識するのか?という違いもあるだろう。

自由を失うと思う人もいれば、制限を与えてもらえると思う人もいる。

そういう意味では、私が失うと書いたことも、得られると書いたことも、M女の考え方で、変わるものでもあるのかもしれない。

ただ、少なくとも、世間一般的に多分認められるであろう価値観で考えた時に、得られると判断されるもの、失うと判断されるものということで書いたということだ。


色々と書いてきたが、得られるものにしても、失うものにしても、御主人様によって、かなり変わってくる。

つまり、M女が最初に、御主人様を選ぶ時に、ある程度決まると言ってもいい。

どこまでのものを与えてくれて、どこまでのものを奪われるのか?

それは、御主人様に拠るところが大きい。

だから、それが自分に合っているのかどうか、自分が耐えられるのかどうか、をちゃんと考えて欲しいと思う。

何度も書いているが、御主人様を慎重に選んで欲しいと思う、というのは、こういうことでもある。

事前の話をしたとしても、わからないことは多いと思うし、徐々に変わっていくものでもある。

だが、それでも話をしないよりは絶対に良いだろう。



「SMの世界に入ろうかどうか迷っている」という方は、ここで、得られるものへの魅力が、失うものへの後悔を上回るなら、踏み出す。

失うものが大きすぎて、得られるものが小さいと思うなら、やめる。

という風に考えてみても良いと思う。

人によって、何に大きな価値を置くかが違うので、自分にとってはどれが大きいのか?ということを、しっかり考えてみるべきだと思うし、

御主人様にするかどうかと考えている相手が、何を与え、何を奪うのか?というのも、出来る限り、知ってから判断したいところだと思う。

また、私が書いていないこと、書いたことでもさらに詳細な話なんかも、あると思うから、そういうことも含め、何かあれば、メールしてくださってもいいので、それは遠慮しないでいただければと思う。


私は、奴隷になるなら、幸せな奴隷になるべきだと思う。

その”幸せ”というのは、もちろん一般的な意味ではなく、”奴隷として幸せ”という意味ではあるが、M女は、幸せと感じることの出来る関係になるべきだ。

わざわざ奴隷になどなるのだから、確実に幸せにならないといけない。

私はそう思っている。

奴隷になることが幸せだと思えないなら、少しでもそれに疑問があるなら、踏み出してはいけない。

絶対に、奴隷になど、なってはいけない。

でも、ちゃんと考えた上でなお、”奴隷になること”が幸せだと思えて、それを一緒に作っていけそうな人が見つかったのなら、胸を張って踏み出せばいい。その人に捧げてみればいい。

かなり勇気のいることだと思うが、踏み出さないと何も変わらないこともまた事実だから。

どちらの判断をするにしても、貴女が、幸せになれるようにと私は願っている。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト


拍手コメントでご質問を頂いた。

公開しない設定にされておられるので、お名前は書かないが、5月24日 13:38に、拍手コメントをくださった方。

そのご質問へのお返事は、私の中には、しっかりあるのだが、エントリーにするとなると、きちんと考えてから書きたいので、少しお待ちいただければと思う。

必ず書くつもりなので。


それで、このエントリーは、ブログに付いている”拍手”機能について、説明をしておこうと思って書いている。

各エントリーの文章の下に、拍手ボタンというものがある(スマホだとなかったような…)。

拍手ボタンは、そのエントリーを読んで、良いと思ったら、押していただければという、ボタンなのだが、これを押していただけること、また、その時に拍手コメントを頂くのは、私は、とても嬉しい。

だが、このブログの拍手コメントというのは、お話をするには少し使いにくいものでもある。

特に、”公開しない”設定で拍手コメントを頂いてしまうと、それに対して私がお返事を書く場所がないという、ちょっと困った仕様になっている。

だから、拍手コメントには、基本的にお返事を書いていない(というか、書けない)。

なので、私に、エントリーを読んだことを伝えたいとか、特に返事の必要がない、感想だけを書いておきたいとか、そういう場合に拍手コメントを使っていただければと思う。

逆に私と話がしたいとか、質問がある(返信が欲しい)場合には、できれば拍手コメントではなく、普通のコメント欄とか、コメントボード、またはメールで書いていただければありがたい。

そうすると、そのお返事として、ご質問にもお答えできるから。

今回いただいたご質問が、エントリーとして書いて欲しいということなのであれば、これでいいのだろうとも思うが、そうではなく、個人的に聞きたいということなのであれば、以降はそのようにお願いしたいと思う。

ややこしくて、申し訳ない。

今まで、こういう事情を説明してこなかったし、今回予定しているように、ご質問のお返事をエントリーにすればいいだけだから、私が困っているわけではないので、ご質問くださった方は、気にしないでいただきたい。大丈夫だ。

だが、とりあえず、上記のようになっているということだけは、わかっていていただけると幸いに思う。



ある時、私が仕事から帰ると、部屋の前に奴隷が立っていた。

奴隷も仕事帰りの格好。

私の帰りを待っていた。

その姿を最初に見たとき、いつもと違うことには気がついた。

悲壮感が漂っている。

捨てられた子猫とか子犬っていうのは、あまり見たことがないが、多分そんなイメージだ。

俯いていて、私が近づく足音で、顔を上げ、こちらを向く。

やっぱりと思った。

その表情が、いつもと違う。

暗い。

今にも泣きそうな顔。

調教中に奴隷を泣かせたことは何度もあるから、泣きそうな顔というのは、よく分かる。

ただ、その時の顔というのは、私が意図的に泣かせるときの顔とは微妙に違っていた。

それでも、足音の主が私だとわかった瞬間、奴隷の表情は少し、ホッとしたような、和んだような、そんな風に見えた。

私の思い込みかも知れないが。

「そこで何してる?」

その日、奴隷と会う約束はなかった。

でも、会えたことというのは、私は嬉しかったのだが、そんな気持ちを顔に出すこともなく、声に載せることもなく、言った。

「御主人様のお帰りをお待ちしてました」

「お前は、ストーカーか?」

少し場を和ませようかと思って冗談のつもりで言ったのだが…。

「あ、いえ、そんなつもりじゃ…。申し訳ありません」

と、本気でそれを受け止められてしまい、奴隷がうつむく。

「冗談だ。とりあえず、顔あげろ」

「はい…」

そう言って、あげた顔は、やっぱり、浮かない。

「はぁ。来るなら、連絡くらい入れろ」

「はい、いきなり来てしまって、すみません」

「そういうことじゃない。お前、いつからいたんだ?」

「1時間くらい前です」

「それがまずい」

「そうなのですか?」

「俺の部屋の前に、お前がずっと立ってたら不審だろ。俺がお前を締め出してるみたいだ。駅前のファミレスにでもいられたんだ。連絡してれば、それで良かっただろ」

とは、言ったのだが、私としては、すでに暗くなっているのに、奴隷を一人で、人通りもほとんどない、外に居させることになっていたことが心配だったのだが、それは言えない。

「来るなら、連絡は入れろ」

「はい…」

とは言うものの、多分、連絡を入れるということも思いつかないくらいの心境だったのだと思う。

私は部屋の鍵をあけ、奴隷を中に入れた。

部屋の明かりの下で見た奴隷の顔は、外で見たときよりもさらに悪い。

明らかに泣いた後の顔だ。何かあったのは確実だ。

奴隷は、部屋に上がると、すぐさま正座をして、手をついて頭を下げる。

それは、いつもと変わらない。

「御主人様、いきなり押しかけてしまってすみません」

と言ってから、あとはやっぱりいつもように挨拶をする。私は、それを聞きながらも、何があったのか?ということの方に気が向いていた。

奴隷の挨拶なんてしてる場合じゃないだろう。そう思っていた。そのくらい、私を心配させる雰囲気を奴隷は放っていたから。

でも、奴隷はさらに、普段通りのことを続ける。

「首輪をお願いします」

といって、首を差し出した。いつもなら、私はそれで、首輪をつけてやるのだが、その時は、付けるのをためらった。

奴隷に何かあったのは確実なのだ。

その話をまずは聞いてやりたい。多分、奴隷はそれを聞いて欲しくて、予定もなく、連絡もせずに、ここに来たのだ。おそらく、とても大変なことだ。

だから、首輪を付ける前に言った。

「泣いてたんだろ?何があった?」

首輪をつけてしまえば、奴隷は、奴隷としての態度を完全にとるようになる。奴隷が泣いていた理由は、おそらく表の世界の事柄だと思った。

だから、付ける前に話を聞いてやるべきだと思ったのだが…。

「あの、首輪を…。首輪をお願いします」

奴隷は頭を下げて言った。

「お願いです。どうか、私に首輪を…」

と。

奴隷はそれしか言わない。その声は、必死だった。まさに懇願という感じで、首輪を求めていた。

もう、首輪をつけてやらない限り、進まない。

私は、ため息をつきながら、奴隷の首に、首輪をはめた。

御主人様、としては、甘い対応かもしれない。

でも、その時の私は、奴隷に何があったのか?を一刻も早く知りたかった。心配でたまらなかった。

「ありがとうございます」

そう言って、奴隷は、その日、初めて、少しだけ微笑んだ。

「俺に言いたいこと、あるんだろ?付けてやったんだ。ちゃんと言え」

「はい」

そう言って、奴隷が話した内容は、奴隷の表の世界の友人に関することだった。

奴隷は話をする間も、涙を流していた。

具体的には書かないが、とにかく、大変なことになったのだった。

奴隷が泣くのもわかる。というより、泣くだけで済んでいるのだから、この奴隷はまだ強いのだと思った。

でも、ものすごく辛くて、どうしようもなくて、おそらくその気持ちのやり場がなくて、私のところに来たのだ。

ひと通り、話をし、奴隷の涙もなんとか止まって、少し落ち着いた時、言った。

「お前な。これは、首輪をつけるとか、そういうことを先にするレベルの話じゃないだろう。そういう話も、ちゃんと聞いてやると言ってあるんだから、こういうときは、先に話せ」

奴隷というのは、私にとっては、S性を向け、虐げる対象ではあるのだが、同時に最も大切なものだ。

その奴隷が、泣く。

私が調教で泣かせるのではなく、なにか他のことで泣く。

そんな状況は嫌だった。悔しかった。

私の奴隷を勝手に泣かせるな。と、本気で思った。

だから、奴隷としての形式を、優先させる時ではないだろうと思った。

表の世界の話で、さらに私では、具体的な助力は、何もできないことだったのだが、先に話を聞いてやって、少しでも気が紛れるように、させてやりたかった。

首輪を付けなくても、奴隷は奴隷だ。変わらない。

でも、首輪をつけたら、それは否応なく奴隷であることを自覚させる。また、調教へと繋がる雰囲気にもなる。

話をするのではなく、調教をするほうに、傾きかねない。

だから、こういう話は、首輪を付ける前に、聞いてやるべきだと、この時の私は思っていた。

「でも、私は御主人様の奴隷ですから…」

「だから、それよりも、話をしたかったんじゃないのか?そのために来たんだろ」

「そうですけれど…。首輪をつけていただくと、落ち着くんです。早くそうしていただきたくて…」

奴隷はそう言った。

「はぁ…」

「このほうが、話しやすいですから…」

そう言って、奴隷は首輪に軽く触れた。

「そうか。わかった」

この奴隷は、かたくななところがあった。

なんでも、すぐに話をするとか、誰かに相談したりする感じではなく、自分の中で処理しようと、頑張ってしまう。

あまり人に、弱みを見せない。

人を信じていないというわけではないのだが、多分、心配をかけたくないとか、そういうことを思っていたのだと思う。

だから、普段は、誰かの前で泣くということも出来ないで、気を張っている事が多い。

辛くても、それを出さずに、何とかしようとする性格。

それは、付き合ってしばらくしたらわかったから、なんでも言えと、この奴隷には他の奴隷の時よりも多く伝えるようにしていた。

そんな奴隷だった。

でも、やっぱり、すぐには言えなかった。

完全に奴隷になった時、つまり首輪を付けられ、どんな調教でも受けられるような状態になって、言える。

深く奴隷になることで、やっと、私に言ってもいいのだと、自分に許可を出せる。

だから、とにかく早く首輪をつけて欲しかったのだろう。

そのことに、私は、あとで気がついた。

素直になんでも話せる状況、それが、私の”奴隷”であるということだったのだと。


優しい言葉をかけるより、抱きしめるより、”奴隷”という場所を与えることが、この奴隷にとっては、一番、自分の気持ちを素直に言葉に出せることだったのだろう。

奴隷で居ることが、自分をそのままにさらけ出せる条件だったのだと思う。奴隷になることで、普段、気を張っている、その殻から出てこられる。

そんな奴隷がいた。

他の奴隷でもそういう傾向があるのもいた。

また、別のことがさらけ出せる条件だった奴隷もいた。


こういうことを思い出すたび、私は、奴隷に、ちゃんと自分をさらけ出すことができる条件を整えてやれたのだろうか?ということを思う。

Mという性癖を出せるのはもちろんだが、性に関することもそうだし、それ以外のことも素直になんでも言える、そして、気兼ねなく、躊躇せず、泣ける。

そんな相手になってやれていたのなら嬉しい、そうなりたいと思っていたのだが…。

御主人様だから、なんでも話せ、というのは、傲慢なのかもしれないし、多分、すべてを話せたわけではないとは思うのだが、せめて、泣きたいことがあったときくらいは、それを、最後には、受け止める相手がいるんだと、思わせてやりたかったと思う。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
 短い話を気軽に読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
 ●SM技術
にまとめておいた。技術的なことに興味のある場合には、こちらを読んでもらえればと思う。

 カテゴリの記事は古い順に並べてあるので、カテゴリ名をクリックしてもらえれば、続き物の記事でも最初から順番に読めるようになっている。


  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

最新記事
カテゴリ
管理人、vet宛メール

当ブログの管理人、vetへのメールは以下のリンク先のメールフォームから送っていただければと思う。2つあるが、どちらのメールフォームからでも、良いので、都合の良い方を使ってもらえればと思う。

メールフォーム1
メールフォーム2

月別アーカイブ
twitter

ブログよりも、短い話題はこちら。 こちらの方がブログよりも気軽に書いている。また、チャットみたいな感じで誰かと会話をしていることも多いので、ブログでの私のイメージと少し?だいぶ?違うかもしれない。あまり遠慮せず、気楽に話しかけてくれると嬉しい。

最新コメント
コメントボード

掲示板形式で話ができる場所。ブログにコメントできない時のための非常用に作ったが、それ以外でも、私と参加者、また、参加者同士などで、話をするのにも気軽に使っていただければと思う。

コメントボードへ

検索フォーム

RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード

QRコード

アルバイト情報