理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


※パソコン以外で見ていて、何故かここしか表示されずに困った方は、以下のボタンを。

 ▼スマホの場合▼
スマホ版へのボタン

 ▼携帯の場合▼
携帯版へのボタン


SMプレイの中で好きなのは何か?と言われたら、私は、緊縛を挙げる。

王道のプレイだと思う。

だから、それが好きだというのは、珍しい訳ではないと思うが、王道だけに、緊縛というのは、奥が深い。

縛り方は、星の数ほどあるし、縛る目的も、いろいろだ。

奴隷の動きを抑えるために縛ることもあれば、綺麗に見える(鑑賞する)ように縛ることもあるし、”縛られている”、”御主人様の支配下にある”、”自分では何も出来ない”という精神的な拘束感を与えるために縛ることもある。

それは、その時の奴隷の状況と、私のやりたいことで決まる。

そして、何よりも、緊縛には、リスクが伴う。

吊りなどは、かなり危険な部類になると思うし、普通にただ、縛るだけでも、その時間や強さ、縛り方によって、奴隷の体にダメージを与えることもある。

奴隷によって、肉付きが違うから、縛る強さも違う。

血管の場所(皮膚表面からの距離?)も違うので、普通に腕を縛っても、いきなりそこから先の色が、まずい感じに変わってきたりすることもある。

肌に跡が残りやすい奴隷も居るので、個々の奴隷の体をしっかり知るということも必要になる。

奴隷のことをちゃんと知っていなければ緊縛は出来ない。

そして、知っていなければならないことというのは、他にもある。

奴隷の服装。

しかも、必ずそれを着なければならないという服装。

それを知ることもその一つ。


私には、仕事で制服に着替える必要がある奴隷が居た。

そして、冬はまだいいのだが、夏。

厄介なことに、制服が半袖だったりする。

腕が隠しにくい。

鞭の痕などであれば、なんとかごまかす事もできる。

鞭の痕を見て、それが鞭によるものだと断定できる人は、まず居ない。

無数にあれば別だが、1つ2つ見えても、転んで何処かに擦ってしまったとか、そういって誤魔化すことはできる。

でも、縄の痕は無理だ。縄目の模様は鮮明に肌に描かれる。

しかも、腕の場合には、一本ではなく、数本で締め付けることが多いから、縄の痕が帯状につく。

明らかに縛られたことがわかる。

これを見られて、「ちょっと擦りました」では、通らない。

奴隷が職場で、白い目で見られるようなことになるかもしれない。

それだけは絶対に駄目だと、私は思っていた。

だから、奴隷が仕事に行くときに、そういう痕が見えることがないようにしないといけないのだが…。

私が、そういう配慮をして縛っているということを、奴隷に悟られるのも嫌だった。

奴隷にしても、手加減されていると思いながら縛られるのはおそらくあまり入り込めないだろうと思う。

それに、あくまでも、私は、やりたいようにやっている、「お前の仕事なんて気にもしていない」という風に、私が思っていると、思わせておきたい。

これが、私の、御主人様としての意地だ。

奴隷に言ってしまえば、それで楽になるのだが、それは私には出来なかった。

だから、奴隷に言わずにやることを考える。

奴隷に真意を悟らせず、かつ、夏服の袖の長さをちゃんと確認したい。

そして、考えた末に、こんなふうにした事があった。


一緒に食事をしている時、

「お前、そろそろ、夏服になるんだろ?」

なんて、何気なく聞こえるように、会話に混ぜた。

こうやって書いてみると、全然、何気なくない…。

まあ、いい。

私は、当時、こうやって話しかけてしまったのだ。それが最良だと思っていたのだ。

「はい。6月からですけれど…」

といって、奴隷が首を傾げる。

普段、奴隷の側から言わなければ、仕事について、口出しをすることのない私が、仕事に関係することを言ったので、意図が分からなかったのだと思う。

でも、そんな奴隷の頭の中など、気にしている余裕は私にはないのだ。

とにかく、私は、夏服の袖の長さを知るべく、私の話を進める。

「どんな服なんだ?半袖なんだろ?」

「はい。水色のベストに白のブラウスですけれど…」

違う。そうじゃない。

私は、袖の長さが知りたいのだ。

半袖とまで、指定したのに、なぜそれを言わない?

ここまでで、私のプランはあっさりと崩れ去っていた。

奴隷に、

「このくらいまでの半袖ですよ」

なんて感じで、手で示しながら言わせたかったのだが、なぜ、色しか出てこない?

なんて、思っていた。

「そうか…」

といって、私は失敗したことを顔に出さないように、平静を装う。そして、次になんと言おうか、考える。

だが、奴隷も考えている。私が、奴隷の仕事関連のことに興味を持っている理由を。

「御主人様、どうされたのですか? 制服がなにか…」

こうやって突っ込まれると、辛い。

本当なら、袖の長さ、またその上に何か羽織れるのかどうか、を言わせたいのだが、それを直接的に聞いてしまうと、私が何をしようとしているのか?というのが、奴隷にバレるかもしれない。

それは、絶対に避けたい。

私はやっぱり考える。

「もうすぐ、そんな季節だなと思っただけだ」

とりあえず、時間を稼ぎたいから、あまりちゃんとしたことを言わずに、伸ばそうとするのだが、奴隷はそうはさせてくれたなかった。

こういう時、憎たらしいことに、奴隷のほうが頭が回る。

「あ、もしかして、御主人様、私の夏服、見ていただける(真意としては、”見たい”)のですか?」

なんて言い出した。

見たいは、見たいのだ。見れば一目瞭然なのだから。

でも、ここで、見せてくれとは言えない。

そんなことを言ったら、私の意図がバレそうだ。

だから、

「いや、別に」

なんて返していたのだが、このとき奴隷が考えていたのは、私の考えの更に向こう側だった。

幸いにも、意図はバレていなかった。

だが…。

「大丈夫です、御主人様。ちゃんとスカートですから!」

いきなり、こんなことを言い出す。

私は袖の長さが知りたいのに、スカートって…。さっきよりも、離れてる。そっちじゃない。

「だから、なんだ?」

「御主人様のお好きな格好だと思います」

「…」

つまり奴隷は、暗に(あからさまに?)、夏服が、私のフェチな部分を満たしていることを、アピールしていた。

そして、この話題を私がわざわざ振ったのは、それを確かめたいと私が思っているのだと、勝手に勘違いしている。

「仕事の時、お前の腕に縄痕が見えたら、まずいだろうが!」

と、叫びたい気分なのだが、もちろん、それを叫ぶことは出来ない。

そうしているうちに、奴隷の勘違いは確信へと変わっていく。

「今度、ちゃんと着てきます。見ていただけますか?」

嬉しそうに言う。

私が好きな格好をすることができるというのが、奴隷にとっては嬉しかったのかもしれない。

でも、それは、違うんだ…。


ただ、話としては悪くない。奴隷が着て見せるというのは、私には都合がいい。

袖の長さを自分の目で確認できるのだから。

でも、奴隷の提案にそのまま頷いたら、私がフェチのために、奴隷にわざわざ、会社から制服を持ってこいと言ったことになる。

それはそれで、かなり恥ずかしい。

奴隷にそういうふうには思われたくない。

一応、フェチは隠していることにしているのだ(バレてはいるのだが…)。

出来れば避けたい。

でも、背に腹は代えられない。

私の恥ずかしさよりも、職場で奴隷が、SMをしている女であることが露見することのほうが、圧倒的に問題なのだ。

という、まっとうな判断を下せたことは、自分を褒めてやってもいいと思うのだが、奴隷に、

「見せたいなら、そうすればいい」

なんて、さも、「私はそんなことはどうでもいい」かのような態度をとってしまったことは、今思うと、恥ずかしい。

それに答える奴隷が、

「はい」

と、嬉しそうに微笑む顔は、絶対に、

「御主人様の好みはお見通しですよ」

と言っているのと同じなのだから。

そして、次に会った時、奴隷は制服姿を私の前で披露してくれた…。

しっかりと、袖の長さは分かった。

この時、私のフェチは役に立ったのだ。奴隷に真意を知らせること無く、袖の長さを知ることができたのは、ひとえにその効能。

でも、やっぱり、奴隷に、勘違いされたままになっているのは、どうも釈然としなかった。


とはいえ、奴隷の表の世界を守ることは、私の責任だ。

私は奴隷の、社会的な信用を失わせるようなこと、周囲との人間関係が難しくなるようなことを、望んだわけではない。

奴隷の表の世界での、成功、そこまで行かなくても、最低限、平穏であることは、私の強い願いだ。

表の世界での、”人”としての奴隷のことも、私は大切だった。

それは、私の奴隷を構成する重要な部分だから。

奴隷が涙を流す顔は、私のS性を強く刺激してくれるが、それは表の世界での不幸によってもたらされるものであってはならない。

泣くのなら、私の調教でだけ泣け、と思う。

それ以外のことで、奴隷の泣き顔は見たくない。

だから、私はフェチを奴隷に見透かされていることにしたとしても、これで良かったのだと思う。


ちなみに、腕に縄痕が残り、それを袖や羽織るもので隠すということを、考えたのは比較的初期の頃だ。

そのうち、奴隷の肉体的な特徴も把握していく。

その奴隷をどんな風に縛れば、縄痕がどのくらいの時間、残るのか?なんてことも、ある程度予測できるようになってくる。

また、緊縛に慣れて行くと、縛り加減を調整できるようになる。多分、緊縛をする人なら、大抵はできるのだろうが、私は、最初、出来なかったことだ。

また、土日が休みの金曜なら、きっちり緊縛し、日曜の夜だったら、腕は縛らないで、枷での拘束に切り替えるとか、そういう工夫も駆使するようになっていった。

だから、後になると、奴隷の制服の袖の長さなど、気にしなくても良くはなったのだが…。

それでも、気持ちとしては変わっていない。

奴隷には、裏でも表でも、幸せで居てほしい。

もちろん、こんなことを考えてやっていたなんてことは、奴隷には一度も言わなかった話だ。

テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト



直樹と、彼のホームページのリニューアルに関する話をするため、という名目でのオフ会が、メールのやり取りをしてから、程なく開催された。

といっても、参加したのは、私と直樹、そして、直樹の奴隷の3人。

オフ会というよりも、ただの打ち合わせというか、飲み。

そして、飲んでしまう前に、まずは、ホームページの話をした。

直樹が、そこに持ってきたのは、新しいホームページの設計図…、というには、あまりにもな一枚のスケッチというよりも、メモ書きに近い。

それを見せながら、直樹は熱心に私に説明する。

「こんな感じで、ここは華やかに!」

とか、

「この辺は、なんか、柔らかいイメージ?」

なんて言っている。

絶対に「ここ、○○ピクセルの画像入れて、右詰めで、文字は回り込み」なんてことは言わない。

私の普段の仕事相手とは違う。

といっても、私はホームページ制作の仕事をしていたわけではないのだが、そういう、技術的な話になると、専門用語が飛び交う職場に居た。

それを、なんの疑問もなく、当たり前に使う。

技術者同士、もしくは、デザイナーとの話。

そのころは、顧客といっても、私のところに降りてくる段階では、大抵は技術的知識を持った人が相手だった。

直樹は、それなりに大きなSMサイト(ホームページ)を運営していたが、サイトを作ることに関して、特別に詳しいわけではない。

直樹の仕事は詳しくは知らなかったが、旅行関係の会社の役員だったと思う。

私のような技術者、そして、コンピュータやネットの技術とは、無縁の世界で仕事をしている人だ。

彼を見ているとわかる。

サイトを大きくするというか、そこに人を呼び、皆がまた来たくなる場所を作るのに、ホームページを作る技術的な知識なんてそんなに要らない。集客のための検索エンジン最適化とか、そういうノウハウも必要ない。

人を惹きつけるのは人だ。

それはリアルでも、ネットでも、同じ。

直樹を見ているとそれがすごくよくわかった。

アダルトサイトだから、手っ取り早くアクセスを稼ぎたければ、過激な画像でも、動画でも、掲載すればいいのだが、私が言いたいのはそういうことではなく、そこに、人が自然に交わる良質のコミュニティを作るという意味だ。

そのためには、技術よりも、人だと私は思っている。

もっと言えば、同じように過激な画像や動画を置いていても、個人でやっているならそこに、人柄は必ず出てくる。

同じようなコンテンツがあるのなら、人として惹かれる方に行く。

でも、私は、技術が好きだし、知っているものだから、つい技術偏重になりがち。

このとき、直樹と話しながら、それを実感していた。

直樹がメモ書き一枚で熱心に語る姿に、少し苦笑しつつ、とても羨ましく思っていた。

また、そんな直樹の姿を、直樹の奴隷がうっとりと見つめているのも、印象的だった。

こんな感じで、しばらく、ホームページの話をして、イメージは伝わったので、あとはメールでも大丈夫ということになり、本格的に飲み始めた。

その、最初に、直樹が私に言った。

「彼女も、連れてくればよかったのに」

と。

直樹は、他人の奴隷を”奴隷”とは呼ばなかった。必ず、”彼女”とか、”お相手”、”パートナー”と言っていた。

それも、直樹なりの配慮なのだろう。

ちなみに、自分の奴隷のことは、”奴隷”はもちろん、”犬”、”豚”、”牝穴”、”おもちゃ”など、そこは、御主人様らしい。

でも、そんな直樹の何気ない一言は、私には痛かった。

「え、あぁ、あいつは…」

とっさに答えられなかった。

誤魔化すことも出来なかった。やっぱり、奴隷と別れたことを、私は、吹っ切れていなかったのだと思う。

そして、そんな私の様子から、直樹は察してくれた。私が掲示板に来なくなった理由も。

「そうだったんだ…。申し訳ない。悪いことを頼んでしまったみたいで」

「いえ、それは、大丈夫ですよ。そういう作業をしている方が、気が紛れるかもしれませんし」

「そう言ってもらえるとありがたいけど…」

「それに、嫌になったら放り出しますから」

そう言って、私は笑った。

「それでいいよ。ホントに、そうして」

「ええ。そうします」

そんな話をしたのだが…。

私が、こういうお願いを放り出すなどということができるわけもなく…。

頼ってもらえたことを、光栄に思うと、頑張ってしまうわけで…。

その飲み会から、程なくして、つつがなく、直樹のサイトの移転とリニューアルは完了したのだった。

そして、私は、それが最後だと思っていた。

直樹のサイトに関わったとはいえ、私がSM関連の掲示板で話をするのが、あまり気が進まないのは同じだったから。

実際、私は新しい直樹の掲示板に、設置時のテスト書き込み以外の書き込みをしていない。

もちろん、リニューアルオープンのときには、私のテスト書き込みは綺麗に消されている。だから、参加者には、見られていない。

ただ、その新しい掲示板に、一回だけ、私の名前が出たのだった。

それは、直樹の、リニューアルの挨拶のような書き込みの中。

「ホームページも、掲示板も、無事に移転できたのは、vetさんのおかげです。感謝」

という一文だった。

テーマ:SM - ジャンル:アダルト



私は、写真を撮るのが好きだ。

といっても、それほど上手いわけではないのだが、ひと通りの装備は持っている。

携帯のカメラもそうだが、コンパクトデジカメも、一眼レフもある。


奴隷がいた時には調教写真も撮った。

でも、調教写真というのは、結構難しい。

部屋が暗めのことが多いから、シャッタースピードが稼げないとか、フラッシュ(ストロボ、スピードライト)を使うと、首輪の金属が反射して困るとか、そういう、カメラの技術的な意味もあるのだが、それは、ただ単に、私が下手だというだけのこと。

ネットを見ていると、本当に芸術的なSM写真というのは、よく見かける。

私がtwitterでたまにお話をさせていただいている、Sの方のお写真なども、いつも、感心しながら、見せていただいている。

見事にSMな写真なのだが、それがすごく綺麗。

そこには、その方の独特の世界観が感じられる。

他にも、ネットを見ていると、それぞれにカラーがあって、限りなく卑猥な感じもあれば、ほのぼのしたものもあるし、調教の記録という意味で、しっかりと撮られたもの、まさに奴隷らしく惨めなものもあるので、そういうのを見て回るのは、楽しい。

それに、その撮影技術がすごいなと思う。

だが、私が、難しいといって、今回書きたいのは、そういうことではなく。

調教の流れという意味での話だ。


奴隷を責めている時に、私が、カメラを手に取ると、そこで、流れが変わる気がしていた。

私の中でも、そして、多分、奴隷の方も。

私の中での話になると、カメラを持ったとき、奴隷は、”調教対象”から、一時的に、”被写体”になる。

カメラを構えてしまうと、やはり、綺麗に撮りたいと思ってしまって、奴隷に、責めるのとは別のものを要求する。

「こっちを向け」

とか、

「もっと、股を開け」

といって、開かせたりなどの、直接的なもの、

「情けない格好をしてみせろ」

とか、

「浅ましい姿を隠すな」

などと言いながら、首輪のリードや、縛った縄の端や、髪の毛なんかを少し強く引くような、普段と変わらないもので、奴隷らしい姿をするようにとの命令のときもあるが、

「首をもう少し、傾けろ」

とか、

「目をもっと見開いてみろ」

とか…。カメラを持つと、明らかに撮影用の命令を出していたりもする。

でも、このくらいなら、まだいいほうで、

「もっと、濡らせ。その程度じゃ、カメラに写らない」

なんて、命令。

こうなると、命令の中で撮影することを言ってしまっている。

これも、命令だから、奴隷に遠慮していたわけではないし、私もなんとも思わないのだが、本来の流れの中では、多分言わなかったことだ。

それが、調教の流れを一時的に止めることがある。

”流れ”と書いているが、調教を始めてから盛り上げてきた、雰囲気という方がいいかもしれない。

お互いに、”御主人様”と”奴隷”という役割の中にきっちりと入っている、私はS的なものを強く出し、奴隷はMとして私に使われる覚悟をし、それに期待している、その精神的な高揚感。

もっと簡単に言えば、性欲や、S的、M的欲求に、お互いに欲情してきている、興奮してきているという状況。

うまく、その流れに乗せて撮れることもあるのだが、それに失敗することもあった。

特に、初期の頃はそうだった。

S的欲求や性的欲求を押しのけて、「ちゃんと、記録しておきたい」という、カメラマン的欲求が先行する。

例えば、緊縛が綺麗にできた時などは、この傾向が顕著だった。

奴隷を撮っているのではなく、縄を撮っているかのような時があった。

奴隷を無視して、写真撮影にのめり込む。

これも、放置といえば、放置調教の一つだし、私がやりたいことをしているので、それはそれで、別に問題はないのだが、私の中で、調教中に高まってきた性欲やS的欲求が、一時的に冷却されたりする。

また、奴隷も、気持ちが高ぶって、調教の世界に入りかけていたり、体が熱く、敏感になったりしていたのに、それが落ち着いてしまったこともあったと思う。

そういう意味で、調教写真というのは、撮影のタイミングや、やり方が、とても難しいと私は思う。

でも、必ずしも良くないというわけではない。


カメラも、使い方次第で、逆に、良い流れを作ることもできる。

奴隷の羞恥心を煽るために使ったりすることもある。

奴隷が乱れているところなど、撮った写真を見せながら、

「淫乱な自分をちゃんと見てみろ」

なんて言いながら、嫌がる奴隷に写真を見せてやると、奴隷は羞恥に震える。

そこから、さらに、そういう姿を要求したりすることで、奴隷の気持ちを高めることができたりする。

一気にはじけて、私の前で恥ずかしい姿を晒すことに、陶酔してしまうようなこともあった。

もう、まともな思考を捨てたような状態にまでなることもある。

「御主人様、見てください、見てください、見てください…」

なんて、うわ言のように呟きながら、私に写真を撮られていたことなんかもある。

カメラを通した私の目というのが、奴隷を、さらによく観察している目であると、認識してしまって、それによって、大きな快感を得ていたようだった。

「こんな私を見ていただけて、嬉しいです…」

本当に、卑猥な姿を晒しながら、そう言って、奴隷が絶頂をむかえるような場合には、カメラの使い方が、うまくいった時ということだと思う。


また、それとは逆に、ただ単に、被写体、それも、物体として、私に撮られているのだと思った時の奴隷というのも良かったと思う。

「動くな」

「はい…」

そう言って、奴隷に、ただの物体であると、認識させる。

初めの頃は、それが、悲しいという意味での涙を流したりもしていた。

私は、奴隷に触ることもない。

動くなと言ったあとは、ポーズの指定以外、話しかけることもしない。

ただ、淡々と、写真を撮り続ける。

何もしてもらえず、恥ずかしい格好のまま、ただの置物として撮られていることに、屈辱感を感じていたのかもしれない。

でも、私との付き合いが長くなると、また、奴隷としての意味を理解してくると、そういう時の私は、カメラで楽しんでいる、遊んでいるのだとわかるようになってくる。

そして、そのネタとして、遊び道具、おもちゃとしての自分の価値を、奴隷は見つける。

触られてもいない、まともな言葉もかけてもらえない。ただ撮られているだけ。遊ばれているだけ。

「今日も、私なんかで、御主人様に楽しんでいただけたなら、幸せです」

私がカメラを置いた時にそう言って、微笑んだりする。

私のおもちゃになっていることだけで、喜び、価値を見出し、そのことに、快感を感じていたりする。

奴隷が、このような心境に達するようになったときには、カメラを調教の中で使うのも、抵抗感がなくなってくる。

こんな使い方が、カメラにはある。

だから、調教道具としても、カメラというのは、面白いものだ。


そして、カメラ本来の意味としても、もちろん使った。

何よりも私が好きだったのは、奴隷の表情を撮ることだ。

奴隷が、奴隷として、馴染んできた時、私が構えたカメラに向ける顔は、本当に美しかった。

私に撮られているという気持ちが、適度な緊張感と、適度な安心感を奴隷に与えたのではないかと思っていた。

はかなげな笑みを浮べていたり、切なそうな顔をしてたり、苦痛に歪んでいたり、快感にあえいでいたり…。そんな中に、妖艶な雰囲気を漂わせたりもする。涙や、よだれや、私の精液で、汚れた顔もあった。

でも、その表情は、どれも、本当に、美しかったと私は思っている。

やはり、奴隷の表情を撮った写真が私は一番好きだ。

最初の頃は、緊縛した状態とか、四つん這いや、首輪をして性器を晒した姿など、そういう、まさにSM的なものを撮りたかったのだが、

後になると、奴隷の顔、表情、を写し撮りたいと、私は思うようになっていった。

それが、私が一番好きであり、またS性や、性欲を刺激される部分だったから。

もちろん、普通に全身の写真も撮ったし、それはそれで、奴隷に見せたりして、使ったのだが、だんだんと、顔を中心にした写真が増えていったように思う。

心から、綺麗だと思っていたから。


そんな奴隷の調教写真だが、今は一枚もない。

私は、奴隷を手放した時、調教写真は全て消去している。

私の手元に、調教写真が残っていたら、奴隷が後から気にするのではないかと思ったから、全て消去して、そのことを奴隷にも告げた。

今思うと、とても綺麗に撮れて、勿体無いと思うものもたくさんあったのだが…。

あんな表情は、もう二度と見られない気がするから、すごく残念でもあるのだが…。

でも、別れたのに、その後も、私にそんな写真を握られているのはきっと嫌だと思ったから、全部消去した。

もちろん、私は悪用するつもりなど、全くないが、流出することを気にするようなことがあれば、その後の人生に奴隷が安心して向かえないと思った。

それを言ったら、私の意図通りに、ホッとした奴隷もいたのだが、「なんで捨てちゃうのですか?」と悲しまれたこともある。

私に持っていて欲しかった奴隷もいたようだった。

でも、そのけじめはきちんと付けたいと思っていたから、それで良かったのだろう。

とはいえ、あんな奴隷の顔は、芸術品だと思うから、勿体なかったなと、やっぱり、思う。

特に、奴隷の涙が頬を伝い落ちる様、その時の表情が、綺麗に撮れた写真などは、未だに頭に焼き付いている気がする。

まあ、デジタルデータとしてではなく、頭に焼き付いているなら、それはそれでいいのかもしれないが…。


ネットの個人サイトやブログ、twitterなどでは、顔を晒す人は、ほとんど居ないので、私が好きな、”奴隷の表情”というのは、まず、見ることができない。

モザイクをかけたり、塗りつぶしたり、最初から、顔が写らないアングルで撮られていたり、手や、アイマスクなんかで、隠されていたりする。

それは個人を特定されないためには、当然の配慮なのだが、ちょっと残念でもある。

ただ、表情が見えなくても、その奴隷の気持ちや、調教の緊張感が、ひしひしと伝わってくるような写真もよくあるから、そういうのを撮影できる人、またその雰囲気にしっかりと入っている奴隷は、やはり、すごいなと思う。

自分がカメラをうまく使えなかった経験があるだけに、そういう写真のすごさというのはよく分かる。

そういうのを見ていると、また奴隷を使って、写真も撮ってみたいなと思う。

テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト



同じ場所に立って、同じ方向を向いて、同じ位置に視点を合わせたとしても、

あの時と同じものが見えるわけではなくて、

景色を変えるような工事があったわけでもなく、

同じような晴天で、

同じように水面が凍っていたとしても、

やっぱり、同じものは見えない。


あの時の私が見ていたのは、景色でも天気でもなくて、

私の斜めちょっと前をちょこちょこ歩く、後ろ姿だったのだろう。

奴隷と行った場所、どこでもいいが、そこを思い出せば、

私が、奴隷のことなんて、たいして見てないというのは、明らかに嘘だとわかる。

御主人様は奴隷のことを歯牙にもかけないというのは、少なくとも私の場合は違う。

そんな態度はとっていたのだが…。

思い出というのは、そういう事実を後からでも、確実に知らしめるものでもあると思う。

それが残酷だと思う日もあるし、とても嬉しいと思う日もある。

今日、つい書きたいと思ってしまったのは、こんなこと。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト


直樹のサイトのリニューアルから、1ヶ月くらいあとのこと。

そのときも、私には、奴隷も、彼女もいなかった。

かと言って、それを積極的に求める気にもならず、ただ、普通に生活していた。

それでも、S的欲求はでてきたから、何度か、SMの劇場や、今で言う、ハプニングバーのようなところ、緊縛の講習会みたいなものなど、色々と、行ってみた。

積極的に、女を抱きたいと思ったわけではないし、M女とSMをしたいと思ったわけでもない。

他人のSMを客観的に見てみるのもいいかと思った。

というよりも、なんとなく、ブラっと入ってみた。

というほうが、近いかもしれない。

奴隷が居た時には、そういう店にも、入る気にはならなかったから。

少しの興味と、奴隷と一緒に失った何かが見つかるかもしれないという、ほんの少しの期待があったのかもしれない。

だから、参加するのではなく、見ているだけでいいものを選んで行くことが多かった。

でも、結果を言うと、つまらなかった。

他人のSMを見ても、あまり興奮しなかった。

会場の椅子に座って、いつの間にか、ものすごく冷めた目で見ていた。

御主人様役が下手だったとか、奴隷役がダメだったとか、そういうことは多分、ないと思う。

そういうところに出るくらいだから、御主人様役の人は、私よりもうまく責めていたはずだ。

実際、縄をかける手際などは、私の及ぶところではないと思った。

でも、正直、のめり込めなかった。

緊縛の講習会的な意味でも、本当にわかりやすくやっていたから、理解はできていたのだが、私のモチベーションが低かった。

私には、縛る対象が居ないのだから、そうなるのも自然なのかもしれないが、とにかく、SMに対する、冷めた気持ちというのを、初めて感じた時期でもある。

ただ、それでも、性癖は消えなかった。

むしろ強く私の中にあることを主張して、S性を解放できる場所を求めて、蠢いていたようにも思う。

こういう部分は、今の私と同じだから、私のS性というのは、しっかりとあるのだろう。

奴隷が居たから、それに合わせて、否応なく発揮されたというのではなく、やっぱり、元々あるから、奴隷を求めたということなのだと思う。

そのことを自覚した時でもあった。

この頃、AVなんかを借りてくるにしても、SM系のものを選んでしまっていた。

つまらないと思いながらも、他人のSMを見に行くのも、やめなかった。

SMに対して、冷ややかな気持ちがあるのに、やっぱり、それに欲求を刺激されている。

あの時の感覚というのは、未だに良くわからない部分もある。

そんなにつまらなければ、やめればいいのに、やめるだけの決心もつかない。

むしろ、見たい。

でも、やっぱり、見ている時は、あまり乗り気になれない。

かなり、モヤモヤした状態。


直樹から、またメールが届いたのは、そんな時期のことだった。

そのメールには、まず、謝辞が書いてあった。

新しいサイトにしてから、容量に余裕ができて、写真をたくさん載せられるし、掲示板も写真投稿を受け付けられるので、楽しくなって、とてもありがたいと、丁寧なお礼が書いてあった。

その前にも、お礼のメールはもらっていたのだが、また書いてくるところは、直樹の律儀な性格からのものだ。

そして、ひと通りの謝辞のあと、そのメールの本題が書いてあった。

「kyoという女性が、vet君にお話したいというメールをくれたのですが、メールアドレスを教えても構いませんか?」

というもの。

”kyo”というハンドルネームに見覚えはなかった。

私が掲示板で話をしていた時には居なかった。

なんだか良くわからないので、首を傾げた。

直樹に詳しい事情を聞くと、kyoはリニューアル以前から直樹の掲示板を見ていた人だとのこと。

直樹とメールはしたことがあり、オフ会にも来たことがあるそうなのだが、私は記憶になかった。

本当は、掲示板で、私と話をしたかったらしいのだが、掲示板に書き込むことが、なかなかできず、そのままにしていたら、私が掲示板に出てこなくなったので、一旦諦めた。

でも、直樹が、リニューアルの時に私に手伝ってもらったと名前を書いたことで、直樹に連絡を取れば、私と話ができると思って、直樹に連絡をとったとのことだった。

事情はそれでわかったのだが、なぜ、私に話をしたいのか?というのが、わからなかった。

直樹にそれも聞いたら、

「相談したいことがある、としか聞いてないのです。内容がわからないと話せないなら、私から聞きますよ」

なんて、言ってくれたのだが、そこまで直樹にさせるのも、申し訳なかったので、その、kyoという人に、メールアドレスを教えてもいいと伝えたのだった。

そして、それから程なくして、kyoという女性から、メールが届いた。

テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
 短い話を気軽に読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
 ●SM技術
にまとめておいた。技術的なことに興味のある場合には、こちらを読んでもらえればと思う。

 カテゴリの記事は古い順に並べてあるので、カテゴリ名をクリックしてもらえれば、続き物の記事でも最初から順番に読めるようになっている。


  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

最新記事
カテゴリ
管理人、vet宛メール

当ブログの管理人、vetへのメールは以下のリンク先のメールフォームから送っていただければと思う。2つあるが、どちらのメールフォームからでも、良いので、都合の良い方を使ってもらえればと思う。

メールフォーム1
メールフォーム2

月別アーカイブ
twitter

ブログよりも、短い話題はこちら。 こちらの方がブログよりも気軽に書いている。また、チャットみたいな感じで誰かと会話をしていることも多いので、ブログでの私のイメージと少し?だいぶ?違うかもしれない。あまり遠慮せず、気楽に話しかけてくれると嬉しい。

最新コメント
コメントボード

掲示板形式で話ができる場所。ブログにコメントできない時のための非常用に作ったが、それ以外でも、私と参加者、また、参加者同士などで、話をするのにも気軽に使っていただければと思う。

コメントボードへ

検索フォーム

RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード

QRコード

アルバイト情報