理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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このブログを書き始めた頃から思っていたこと。

もっと前、ノーマルな人と、SMの話をした時から思っていたこと。

以前、twitterで、ある、とても経験豊富なSの方が、同じようなことを呟いておられたので、改めて認識しなおしたこと。


”S”というものの心理状態を、S以外の誰かに説明し、理解してもらうこと。

それは不可能なのではないか?ということだ。

私は”S”として起こした事象を、このブログに書き続けてきた。

そして、”S”としての気持ちも、想いも、書けるだけ書いてきた。

でも、たまにノーマルな方、特にノーマルな男性からのメールをいただいた時、やっぱり伝わらないのか…と、思うことがある。

最近だと、彼女が、いきなり、Mだからと言い出して、Sになっていてほしいと言われたというような、男性からのご相談も頂いたりする。

そういう時に、私自身のこと、私のSである部分のことを説明するのだが…。

真に理解されていないのだなと思えることがある。

それは、私の説明が悪いのかもしれないが、私に、それ以上の説明をすることができないことでもある。

私は、どうやって私のS性、奴隷に対している時の心理状態を説明すればいいのか、迷う。

男として、またSとして、私のことを理解してくださっている部分というのも、当然あったし、そういう共感を持ってブログを読んでいただけたのは嬉しかった。

でも、やっぱり、完全に理解して頂くのは、難しいのだろうな、とも思った。

まあ、他人を理解することなど、Sとか、そういうことを抜きにしても難しいものではあるが。

だが、”S”ということは、さらに理解し難いものであるということを昔から実感していたし、今も、それを思う。

そういう時に、出てくる、代表的なことの一つが、”良心”だ。

私は奴隷を奴隷として扱っているときに、良心の呵責を、感じていない。

罪悪感を持っていない。

奴隷の頭に足をのせてグリグリと床に顔を押し付けていることも、鞭で打つことも、縛って放置することも、性処理のためだけに使うことも、ただひたすらに奉仕をさせ続けることも、…。

その姿に興奮し、または冷静に見下ろし、可愛いとか、美しいとか、愛おしいとか、そういうことは思うのだが、自分の行為を悪いと思ったことは、無い。

正確に言えば、最初の頃を除いて。

最初の頃は、戸惑い、考え、S性のことを、どう扱えばいいのか?と思い、これは悪いことではないのか?と思ったりもしたのだが、御主人様としての経験を積んでいったあとでは、S的な行為について、悪いと思わなくなった。

というよりも、その行為を善悪で、評価することをしていない。

普通に、食事をする時、それが良いことか?悪いことか?考えないのと同じように。

以前、ノーマルな方だったと思うのだが、調教時の心理状態について、「罪悪感があっても、それを欲望が上回るから、そういうことができるのか?」というようなことを質問されたことがある。

良心と、S的欲求のせめぎあいの結果として、S的欲求が強いので、罪悪感を持ちつつも、それを乗り越えてしまうのではないか?と。

S性が強い人は、S的欲求が勝つ確率が高くなるから、そういう行為をすることが、より、容易にできるのではないか?

そういうことを言われた。

普通(ノーマルな方)はそう考えないと、理解しがたいのかもしれないのだろうが…。

多分、こういう認識が違うんだと思う。

少なくとも、私の認識ではない。

罪悪感がそもそも無いのだと思う。

上で書いた通り、御主人様初期の頃はあった気がするのだが、それが薄れて、その内に感じなくなった。

私は自分が偉い人間だとは思わないが、自分に罪悪感があることは、あまりしたいと思わない。良心というのは、大事にしたいと思う。

それに、私は欲求を押さえる傾向もあるから、もしも、罪悪感があり、良心に背くことなら、多分、S性が強くても、それを押さえる方向に気持ちが働くと思う。

実際、普段の生活や仕事面では、良心とか、道徳とか、そういうものをないがしろにしたくはないと思って暮らしている。

そして、それに背くことをしてしまった時には、やっぱり後悔するし、相手があることなら、謝りたいと思う。

でも、SMや主従に関して、そういうことは思わない。

もちろん、自分のしていた行為が、一般常識に照らし合わせて非道なことだというのは、認識している。

でも、奴隷以外にそれを行使することはないという節度というか、社会を普通に生きていくための術としてのストッパーや、表と裏の線引きは持っているというだけで、

奴隷に対するSM行為について、罪悪感と闘いながら、良心を押さえつけて、悩みの末に、調教しているということはない。

別の意味で思い悩んでいたことはある。

例えば、奴隷の様子がいつもと違うということなら、何かあったのか?ということは考えるし、それについて、私が解決の助けになるなら何かしようとも思う。

でも、実際に、”調教”として奴隷に施す、数々の非道な行為や、奴隷に示す、一般的尺度で言えば、理不尽で横柄な態度などには、そういうものを自覚してはいない。

奴隷の段階によって、できること、できないことは出てくるから、調教の加減などは、実際にはしていたのだが、それはあくまでも奴隷を壊さないという意味であって、S性を抑えるという意味とはまた違うものとして、私の中にはある。

調教の強度を考えるのは、奴隷に悪いと思っているから、ではない。

でも、それは、なかなか、説明しても理解されないもののようだ。

S性があまりない人と、私や、世の御主人様をしている人たちの違いというのは、たぶんこのあたりにあるのだと私は思う。


やるべきではないことを、やるべきではないことだと認識し、やってはいけないし、躊躇もあるけれど、その葛藤の中でやる。

「やってもいいのだろうか?」

ノーマルだったり、S性が弱かったりする人は、例えば、土下座させた女の頭に、足を載せるとき、こんなことを思うのではないだろうか?

でも、私は、そもそも、やってはいけないことだという認識が欠如している。と言ったほうがいいと思う。

もちろん、一般的ではないし、表の世界ではやらない、ということは、知っているのだが、それでも、奴隷に対しては、問題なくできる。

奴隷の頭に、足を載せることを、躊躇することはないし、なんの葛藤もない。

「やってもいいのだろうか?」ということは、頭に浮かんでこない。

というふうに書いても、やっぱりわからないのかもしれない。

これまでにも、何度か、ノーマルな方に、説明したことがあるが、大抵は、「本当に、そうなんですか…」と、不思議な顔をされ、「やっぱり、良心は傷まないのですか?」なんて質問をされる。

傷まない。

でも、もしも、Sに、裏の世界での良心があるなら、それは、目の前の奴隷のM性を満たしてやることだろうと思う。

そのために、躊躇せず、頭に足を載せてやることのほうが、Sの良心に沿った行動なのではないか?なんてことを普通に思っているのだが、これは、私だけなのだろうか。


テーマ:SM - ジャンル:アダルト

もう、今日になったのだが、過去にあることがあった日。

あるメールを貰った日。

そのことが、未だに気になる自分の姿が少し不思議だった。

前日なのに、メールボックスを開ける回数が少し増え、今日もきっと増えることに苦笑しつつ、このエントリーを書いている。

エントリーの内容とは、全く関係ないが。




SMや主従の世界には、色々な呪文がある。

その一つが、

「御主人様が使いたい時に使えるのが奴隷の役割」

という、呪文。

こんなことを思う奴隷が多い、というのは、私が過去に出会ってきた、奴隷の方や、奴隷ではないけれども、奴隷になろうと思って考えているM女性とお話をさせていただいた時に、聞いているから、その思いは分かる。

そして、御主人様の中にも、「奴隷は、使いたいときに、呼び出して使うものだ」ということを、公言している人がいる。

実際、そのようにしている人も、いる。

本当に、その時の気分というか、S性や、性欲の高まりで、奴隷を呼び、使って、それだけで、帰す。

そんなことを、本当に頻繁にしていた、御主人様もいるし、その奴隷は、いつ御主人様に呼ばれてもいいように、用意していたという話も聞いている。

私も、奴隷を、自分の都合だけで呼びつけたことはある。

あるが、それは、奴隷が休みだと知っていた時などに限られていた。

仕事のある日とか、事前に用事があると聞いていた時に、呼びつけたことはない。

表の世界と裏の世界を分けるというのが、私のルールだから、表の世界に影響のあることは、極力しないようにしていた。

また、逆もある。

御主人様が呼ぶまでは、奴隷からは会いたいとは言えないような状況になっている主従もいる。

御主人様に呼ばれるまでじっと待つ。

ひたすらに、使ってもらえる時を待ち続ける。

そんな関係を持っている人もいた。

どちらにしても、あくまでも、御主人様が、関係の主体であり、それに奴隷が合わせるということを貫いている。

御主人様と奴隷という関係には、こういう部分というのも、純然と存在する。

この言葉は、それを、端的に表したものの一つだと思う。

”奴隷”、というのは、そういう役割なのだ、と。


そして、これは、実際にこうするかどうか?ということとは別に、奴隷に、このくらいの覚悟は持っていろ、お前の体は御主人様に捧げたものなのだという、主従の雰囲気を保つために、使われる、”呪文”でもあると私は思う。

というよりも、”呪文”としての、使い道のほうが多いと、個人的には思っている。

これは、普通の男女のカップルでは、あまりないことだろう。

”女”が、そんな役割を担っていることは、そうそうないと思う。

もちろん、主従でも、こんなことはなく、「次に会うのは、○月○日に」と、お互いのスケジュールを調整して、約束していたり、メールや電話をする中で、お互いに今、会いたいね、ということになって、会うことを決める人達もいる。

ちゃんと、両方の都合が合うことを、確認して。

どちらが多いか?というのは、私には分からないが、奴隷や、M女の中に、「御主人様が使いたい時に使えるのが奴隷の役割」だと、頑なに思っている人がいる。

そして、それが満たせないならば、奴隷になる(でいる)資格はないと思っている人がいる。

そうなってしまったら、これは”呪文”ではなく、”呪い”になる。

はっきりと書いてしまうが、現代の日本社会において、この言葉を忠実に実行するのは、実質的に不可能なことだ。

一つ、これを可能にする方法があるとするならば、奴隷を文字通り、御主人様の家で、”飼う”ことだろう。

そうしない限り、この条件を満たすことはできない。

だから、これは、私は”呪文”だと思っている。

主従ということの雰囲気を作るための呪文。

でも、「御主人様が使いたい時に使えるのが奴隷の役割」という呪文を、とても重要な事として思っている、奴隷や、M女性というのは、結構多く、また、それをなんとかしたいと思っている人もいるし、それが、できない状況になることに悩んでいる人もいる。

そういう人たちであっても、この呪文が、本当に可能であると、考えているとは私も思っていない。

社会生活をしていれば、実際にこれを忠実に確実に実行することが限りなく不可能なことくらいは、絶対に、わかっていると、思う。

それでも、この呪文をとても大切に思う。

この呪文が、頭の中から、離れない。

それは、何故か?

この呪文の厄介なところでもあるのだが、ある程度までなら、可能であるからだ。

これが、実現できることを、錯覚させる力がある。

だから、”呪文”。

御主人様が使いたい時に使えるということ。

もしも、二人の家がそれなりに近くて、車なり、電車なりで、結構すぐに行ける。

そして、お互いに昼間は、仕事をしている。休みも、土日祝で同じ。なんて場合。

結構、この呪文の通りにできてしまう。

というよりも、できるのではないか?という可能性が、M女性の頭に浮かぶのではないか?と思う。

実際、ここまでの条件なら揃っている主従は、それなりにいると思う。

勤務時間が特殊な仕事をしている人以外、普通の会社員同士の主従なら、あり得ることだ。

というよりも、御主人様よりも、奴隷のほうが、自由な時間が多ければ、可能になるということだ。

私も、過去の奴隷とは、それなりに近い距離に住んでいたこともある。

そのときは、電車などで、30分くらいもあれば、お互いの家に行けたし、仕事の休みも、ほぼ重なっていた。

そうなると、この呪文が、現実的な気がしてくる。

可能なんじゃないか?と思えてくる。

また、上で書いたように、”飼う”ということに近くする方法もある。

同棲する、もしくは結婚することで、住居を同じにしても、この呪文を実現する可能性は高くなる。

そして、そんな人が、実際にいる。

今は、ブログなんかでも、夫婦での主従について書かれたものがあったりする。

近所に住んでいて、よく会っている主従なんかの話もある。

御主人様に呼ばれれば、必ず行くという、奴隷の話も見ることができる。

そこには、この呪文を実現しているかのように見える姿が、たくさん、書かれている。

そんなものを読んでいたりすると、

「御主人様が使いたい時に使えるのが奴隷の役割」

この言葉が、どんどん大きく、重くなり、奴隷が実現すべき必須条件になってしまうことがあるのだろうと思う。

そうなると、これができないのは、自分が悪いのではないか?という、疑問が、奴隷(や、そうなりたいM女)の中に生まれる。

タチが悪いな、と思う。

こうなった時、この言葉は、”呪文”ではなく、”呪い”になる。

誰かがやっている、できるかもしれないという可能性。

それが、呪いとなって、M女性や、奴隷の不安をかき立てているような気がする。

「私は、御主人様を満足させられていないのではないか?」と。

「御主人様にとって、私はふさわしくないのではないか?」と。

「私のような女では、奴隷にはなれないのではないか?」と。

以前から、こういう内容でのご相談は、結構、頂いていた。

私が想像する以上に、この言葉が呪いになってしまっているM女というのは、多いのかもしれない。

そして、私。

この言葉を、奴隷に対して使ったことがある。

「お前は、俺が使いたい時に使う」

と。

これを言われた奴隷はたくさんいるのではないか?

私は、奴隷に呪文をかけようとしたのだと思う。

お前は、私の奴隷である。

自由など無いのだという意味で、私はこの言葉を奴隷に使った。

例えば、奴隷が会社で働いている時にまで呼び出して、性処理に使おうなんてこと、全く思っていなかったし、奴隷もそこまでのことをされると考えているとは、思わずに、私はその言葉を奴隷に言った。

でも、それが良かったのかどうか、今になると、疑問に思う。

こうして、ブログを始めてみて、こういう御主人様からの言葉一つに悩んでいる方からのメールを頂いた時、ハッとする事がある。

その一つがこれだ。

幸いというか、不幸にもというか、私の奴隷は、まじめに私の言葉を受け取るタイプが多かった気がするから、なおさらだ。

だから、もしかしたら、私の言葉は、彼女たちにとって、呪いになっていたのかもしれない。

私は、もちろん、そんなつもりはない。

遠距離になった奴隷もいたし、何かの都合で、時間がとれなくなった奴隷もいた。

私が、「使いたい」と思った時に、すぐに、会えないことなど、たくさんあったし、それは、当然のこととして受け止めていた。

また、奴隷が、自分の表の世界に、影響が出てしまうような無理をしないでくれたほうが私は、嬉しかった。

奴隷の生活が守られていることに、私は安堵したのだから。

私は、私が使いたい時に必ず使えたわけではない奴隷たちでも、十分に満足していたし、これからも満足できるだろう。

それで幸せだったのだから。

だから、この言葉が、奴隷たちにとって、奴隷であることを、自覚するための”呪文”であれば、良かったと思うが、それが、行き過ぎて、”呪い”になっていなかったことを、私は願いたい。

そして、私にご相談をくださる中で、今、奴隷になっている方、これから奴隷になりたいと思っている方も、そうだが、こういう、主従の世界を盛り上げるための言葉というのは、この世界にはたくさん存在する。

呪文だらけだ。

そのことを知っていて欲しいと思う。

それを、呪文として聞くならいい。それで、自分の中の奴隷の心が盛り上がり、M性が刺激され、幸せに思えるならいい。

でも、それを呪いの言葉にしてしまってはいけない。表の世界を考えた時に、絶対に無理なことがあり、それができない自分を、ダメなのだと、奴隷失格なのだと、思ってはいけないと、私は思う。

また、奴隷になりたいと思うM女が、その気持ちを諦める必要も無いと思う。

多くの御主人様は、「御主人様が使いたい時に使えるのが奴隷の役割」だと言ったとしても、いつ、奴隷が使えるのか?というのは、考慮する良識は持っていると思う。

持っていなくて、本当に、この言葉通りに実行しようとする人も、いることはいるので、厄介ではあるが、あなたが出来る範囲に収まる良識を持っている人を見つけてほしいと思う。

少なくとも、私には、それはあるつもりだ。呪文としては、使っても、呪いにはしない。こんな非常識な、私にもそのくらいの良識はあるくらいなのだから、大抵の人は、持っているんじゃないかと思うのだが…。

だから、そういう意味では、安心して、いいと思うし、もしも心配なら、そういうことを、相手とちゃんと話をしたほうがいいと思う。

主従を盛り上げるための”呪文”を、あなたを悩ませるだけの”呪い”に変えてしまう前に。

この世界に蔓延する呪文や、御主人様の命令の、本当の意味を、わかってほしいと私は思う。

テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
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 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
 ●SM技術
にまとめておいた。技術的なことに興味のある場合には、こちらを読んでもらえればと思う。

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  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

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