理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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主従関係を結び、奴隷と色々なプレイをするようになると、必然的に、御主人様は奴隷の自由を奪うことが多くなる。

「奴隷の自由を奪うことが、主従関係だ」と言うと、過言ではあるが、あながち間違いでもないと思う。

奴隷というか、奴隷にする寸前、話をしていたときのM女にも言われたことがある。

「どんな、主従関係を想像しているか?」

という私の質問に対して、

「私の自由を徹底的に奪ってほしいです。御主人様の良いようにして欲しいです」

なんてことを言っていた奴隷もいる。

だから、御主人様が、奴隷の自由を奪うことというのは、主従関係においては重要な部分であるのだろうと思う。

自由を奪われることに、M性を満たされる奴隷がいて、自由を奪うことに、S性を満たされる御主人様がいる。

それは、紛れも無い事実だろうと思う。

そして、奪う自由というのも、多岐に渡る。

一番わかりやすいのは、多分、緊縛だろう。

縄や、拘束具で、あからさまに奴隷を動けなくして、自由を奪っている。

SMで、緊縛がよく出てくるのは、圧倒的なわかりやすさ、ある意味、自由を奪う、SMというのものを体現した姿がそこに見えるからじゃないか?なんてことも思う。

でも、奪う自由というのは、それだけではない。

調教のはじめにする、奴隷の挨拶にしてもそう。

自由に、自分のしたいように、普段しているように、挨拶をする事はできない。

私の場合に多かったのは、私の前に、正座し、手をついて、頭を床につけて、自分を貶めるような言葉を言うようなこと。

下げた頭に足を載せられ、床にグリグリと押し付けられたりもする。奴隷は、そこに、顔を上げる自由は無い。

調教の時に付けられる首輪にしてもそう。

家畜と同等に扱われることを暗示するそれを拒否する自由はない。

他にも、

言葉の自由。

態度の自由。

キスの自由。

セックスの自由。

SMプレイの自由。

快感を感じる自由。

絶頂を迎える自由。

…。

普通の男女関係なら、女性が自由に、もしくはお互いの合意の上でできていることで、奴隷が、御主人様に奪われるものをあげたらきりがない。

これらは、主従によっては、奴隷から奪わない場合もあるかも知れないが、御主人様が奪うことのある自由だと思う。

私も、奴隷から奪った自由だ。

しかも、奴隷に了解を得ること無く、平然と奪った自由。

そして、その自由を御主人様が”自由”に行使する。

色々な自由を奪われ、翻弄されている奴隷の姿は、私にはとても儚く、そして、なにより美しく映った。

自由を奪われているからこそ、奴隷だとも言えると思う。

最も奴隷らしい状況だと思う。

自由を奪われた奴隷の姿は、本当に綺麗だ。

そんな奴隷が私は好きだ。その表情に、ゾクゾクし、またもっと奪ってやりたいという、気持ちがどんどん湧いてくる。

それは、確実に思えたことだったし、それがSMなのだろうと、考えていた。

でも、そのうちに、私は、それでは、足りないと思うようになった。

私が奪いたいのは、もっと別の自由だと。

もちろん、ここまでに書いたような自由を奪うことは、当然として、さらに貪欲に、私のS性は、奴隷から奪うものを求めたように思う。

主従関係であることに価値を見ているとき、本質的に必要な部分というのは、多分これではないように、思うようになっていった。

次に、どんな自由を奪うのか?

奴隷から散々に自由を奪っておいて、さらに何がほしいのか?

最終的に、私が、一番奪いたかったのは、心の自由ではないかと思う。

奴隷が心を動かすのも、心惹かれるのも、心乱すのも、心が落ち着くのも…。

全て。

でも、それは、多分、奪ってはいけないものだ。

それに、奪ったら、面白くないものでもある。

奴隷の心をもしも自由に動かせるなら、私のもう一つのS性が満たされなくなる。

自由な心を、壊してやりたいという欲求が。

だから、奴隷の心の自由は奪えない。いや、奪わない。

それに、実際問題、御主人様とはいえ、奴隷の心の自由まで奪い去るのは、難しい。

私は、心理学者でも、宗教家でも、ペテン師でもなく、ただの御主人様であって、人を導いたり、洗脳できたりするわけではないから。

ただ、奴隷がいつも、心を向けていたいと思うような存在でありたいとは願っていた。

奴隷の心は完全には奪えないし、奪わないけれど、奴隷が自分から、心奪われたと思うような存在でありたいとは思っていた。

私に心を開いていたい、心の奥底を見せていたい、心を捧げていたい、と常に思っていられるようになりたかった。

実際、奴隷にとっての私が、どうだったかは、確かなことはわからない。

そして、私が奴隷から奪ったたくさんの自由。

その代わりに、私は奴隷に何を与えることができたのだろう?と考える。

奪う以上、それと等価か、勝るくらいの何かを、与えられなければ、主従関係の意味はないと、今の私は考える。

私が奴隷の自由と引換えに与えたもの。

というよりも、奴隷が私から奪ったものは、何だったんだろう?

私は何かを奪われたという、意識はない。

でも、何かを奪っていってくれていたらいいなと思う。

私のところから持っていった何か。

私にはわからないものだが、それで奴隷の心が満たされていたなら、私は嬉しく思う。

奴隷が、私から幸せに思う気持ちを持っていけたのであれば、良かったなと思う。

私が奪いたいけど奪わない、奪えないと思った心で、私に様々な自由を差し出した価値があると感じられたなら、それが一番嬉しい。


テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト



これは、ご連絡のエントリー。

先ほど、普段のエントリーを書いたので、コメントやメールを私に送っていない方は、このエントリーは無視して、そちらを読んでいただければと思う。


3月末に、”メールやコメントへのお返事に関して”というエントリーを書いて、お返事が遅くなっている事情説明(というよりも言い訳)をさせていただいたのだが、

やっと、このGWの前くらいに、仕事の忙しさが、一段落してきたので、これから、メールやコメントのお返事をしっかりと、していこうと思う。

だが…。

メールなど、頂いてから、かなり、時間が経ってしまったものもある。

「今更、返事をもらっても…」と、思われる方も、多いかもしれない。

すでに、メールを私に出したことすら、忘れておられる方もいらっしゃるかもしれない。

それくらい、お待たせしてしまった。

申し訳ない。

とはいえ、私は、頂いたメールが、スパムや、イタズラなどでない限り、きちんとお返事をしたいと思っている。

”過去の整理”という厄介なことをしている私と繋がってくださったことに、とても感謝しているから。

本当に遅くなっているが、これから、コツコツと、お返事を書かせていただこうと思っている。

でも、今更と思う方もいらっしゃるかもしれないし、忘れている方もいらっしゃるかもしれない。

それは、そうだろうと思う。

だから、私からの返信をどう思ってくださっても構わないし、そもそも、読むか、読まないかも、お任せするが、一つ一つ、真剣にお返事は書くので、受け取っていただけると嬉しい。

やっと、仕事に少し余裕ができてきたのだから、これから、なんとか、返信をそれなりに早く返せるくらい、前と同じくらいの状態に、戻していこうと思う。

ということで、これから、やっとメールを普通に書けることに、ホッとしていたりする。

基本的に、頂いた順番に返信を書くので、最近、メールやコメントをくださった方には、少し遅くなるかもしれないが、ここ数ヶ月ほどにお待たせすることは無いと思う。

そんな私の現状報告。

ご理解いただけると、幸いだ。




私は、奴隷との主従関係のことを、私から見た場合には、”奴隷を飼っている”と表現する事が多い。

たまに、”持っている”とも言う。

ノーマル男女の付き合いで言えば、”彼女と付き合っている”、”好きな人がいる”とでも言うのだろうが、私は、こういう表現をしたことがあまりない。

私の主従関係を知っている、裏の世界の知り合いと話をする場合には「今、飼ってる奴隷は…」というような、言い方をしていた事が多い。

そして、表の世界に対しては、「今、付き合っている彼女は…」と言って紹介すればいいのだろうが、私は、そもそも、奴隷のことを、表の世界の人にあまり言っていない。

つまり、私が奴隷を飼っていた時期、”彼女”として、紹介した、表の世界の友人は、本当に、数えるほどだったし、家族には、一度も言ったことがない。

結婚するとか、そういうところまで話が進めば、また別なのだろうが、そこまでは行けなかった。

だから、私はこんな感じだった。

でも、他の御主人様と話をすると、奴隷のことを、”彼女”として、表の世界の人にも、普通に会わせ、交流を持つようにしていたという人も、結構いた。

それに、奴隷と結婚した人もいたから、そうなると、表向きには、”奴隷”ではなく、”妻”として、友達にも、家族にも、親戚一同にも、紹介しているのだろうと思う。

表の世界と裏の世界の接点というのが、ちゃんと存在する人は、いる。むしろ、そのほうが多いかもしれない。

だから、私も、親に、「彼女でもできないの?」なんてことを聞かれたとき、「居るよ」とでも言っても良かったのかもしれないが、そういうことは、しなかった。

「居ない」と答えていたし、これからも、そう答えるだろう。

いまだに奴隷がいた事は、言っていないから、親は、「うちの息子は女性と縁がないのではないか?」と、思っているのかもしれない。

それは、わからないが…。

少し話がそれた。


私が、奴隷のことを、表の世界の人に、言わないことには、理由がある。

それは、まず、精神的な意味での必要性が無いということが、一つ。

彼女が居ないと思われることに、特に屈辱感とか、劣等感とか、そういうものを感じなくなったからだ。

最初の奴隷(その初期は彼女だったが)ができるまでは、自分に彼女ができないこと、モテないことに、強烈な劣等感があった。

正直、恥ずかしいと思っていたし、周りの友人に彼女ができて、その話を聞いたり、紹介されたりするのが、何よりも苦痛だった。

だから、私も、早く彼女を作りたかったし、虚栄心なのだろうが、友達に自慢したいと思っていた。

実際、美佳が彼女として、できた時、私は、彼女ができたことを、友達に言って、優越感に浸っていたりもした。

劣等感の裏返し。自慢したくて仕方がなかった。


でも、奴隷を飼ってから、私は、それを言わなくなった。

その頃には、もう、”彼女が居る”ということを他人に言うことに、何らの価値も感じなくなっていた。

”彼女”の価値というのは、他人に自慢するものではなく、私にとって、幸せな存在であるかどうか?というものに変わっていたのだろうと思う。そう思うように自然になっていたのだろう。

というよりも、美佳が、私がそのように思えるような存在であってくれたのだと思う。自然に、隣にいるだけで、幸せに思う。それだけで満たされる。そんな体験をさせてくれた。

だから、わざわざ、他人に言って優越感を得る必要もなくなったのではないかと思う。

そんなことをしなくても、幸せだったから。

そんな風に思うようになっていたから、奴隷を持つ頃には、精神的な意味でも、奴隷を表の世界の人に紹介する必要性というのは、なくなっていた。


そして、もう一つの理由は、表の世界に裏の世界が発覚するリスクがあるから、だと思う。

私は、奴隷のことを、一番良くて、”お前”もしくは、その奴隷の名前の呼び捨てで呼ぶ。

でも、”おい”といって呼びつけることもあるし、さらには、”犬”とか、”穴”とか、”牝”とか、そういう風に、奴隷を呼ぶことが、それなりにある。

表の世界で、これをやってしまうと、ちょっとまずいことになるのは、わかるだろう。

でも、私は、こういう呼び方に慣れてしまっている。

奴隷を呼ぶとき、注意していなければ、おそらく口をついて、ものすごく自然に出てくる。

そして、決定的なことは、私は「付き合っている」とか、「お付き合いしています」とか、そういうことを、あまり言ったことがない。

「付き合っている」という言葉に違和感を持ちそうなくらい、使っていない。

つまり、奴隷との関係を表す言葉として、「飼っている」を日常的(といっても、もちろん、話す相手は裏の世界の人だが)に使っていた。

私にとって、主従関係を結んだ奴隷というのは、「飼っている」もの。

その表現が、私には、しっくりきているし、染み付いている。

というよりも、主従と思っているから、”飼っている”のが、当たり前と、思考している。


だから、こんな場面を想像してみると、苦笑してしまう。

表の世界の誰かと、食事でもして、その席に”彼女”として、奴隷を伴い、紹介するような場面。

「彼女と付き合ってどのくらい経つの?」

なんて類の質問は、こういう席なら、多分、かなりの確率で、発せられるものだろうと思う。

それに対して、私は言ってしまいそうだ。

というか、多分、言ってしまう。

「半年くらい、飼ってるかなぁ」

と。

なんの躊躇もなく。

そして、おそらく、それを聞いた、表の世界の知り合いが、眉根を寄せて、

「飼ってるって?」

なんて、突っ込まれて、やっと気がつくのだ。自分が、言ってしまったことのアブノーマルさに。

そんな情景が、容易に想像できる。

そして、それを、穏便に収拾するするような話術、「ああ、冗談、冗談」なんて、余裕を見せた言葉で、笑って流すような機転は、私には、備わっていないような気がする。

突っ込まれたら、それに本気で、”しまった”という顔をしてしまうような気がする。

そんなことをしたら、勘がいい相手であれば、”彼女”として紹介した女と私の関係が、アブノーマルなものなのではないのか?というのを疑われると思う。

だから、私は、奴隷を表の世界の知り合いに紹介することを積極的にしたいとは思わない。

だったら、普段から、”飼っている”なんて思わずに、普通に”付き合っている”と、考えていればいいのだろうが、私にとって、”奴隷”というのは、やっぱり、”飼う”ものであって、”付き合う”ものではない。

奴隷は私の”所有物”であるという意識は抜けない。

もちろん、「奴隷との”付き合い”」という表現はする。ブログにもこれは書いているが、私自身が、自分の奴隷との”付き合い”を、考えるときに、一番最初に頭に浮かぶ言葉は、”飼う”だ。

それが、いつのころからか、私の中のスタンダードになっていた。

もう、これは、消せないものなのだろうと思う。

主従として、そして、パートナーにする女を、”奴隷”としてしか、見られなくなっている。

だから、私は、表の世界の人に、奴隷を紹介するようなことは、あまりしない。


それにしても、”飼う”という言葉は、非常に魅力的な表現であり、主従関係にとてもしっくり来る言葉だなと、私は思う。

私が、奴隷との間の言葉の中で、かなり気に入っているものの一つだ。

やはり、私にとって、奴隷は”飼う”ものであり、所有物という意識が高い時には”持つ”ものであり、”付き合う”ものではない。

その形が、周りから見て、明らかに、男女付き合いに見えたとしても、やはり、私は、他のどんな表現や、付き合う方法でもなく、奴隷を”飼いたい”と思う。

”飼う”以外に、奴隷というか、女(牝)と濃密な関係を持つすべを、私は知らない。


テーマ:主従関係 - ジャンル:アダルト

このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
 奴隷と私とのストーリーを読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムは、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
 ●四方山話(続き物):複数エントリーでひとつの話
 短い話を気軽に読みたい場合にはこちらを読んでもらえればと思う。

 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
 ●SM技術
にまとめておいた。技術的なことに興味のある場合には、こちらを読んでもらえればと思う。

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  当ブログ内に書くことは、私が実際にやってみたことや考えたことであって、それが正しいかどうかを完全に検証したわけではない。だから、もしも同じことを試す場合には自己責任で、細心の注意を払って実行して欲しいと思う。SMなので、体への損傷などの可能性もなくはないから。とにかく気をつけて欲しい。そして、このブログ内のことを試して、いかなる不利益が生じたとしても、私、vetは免責されることとする。そのことはしっかりと承知した上で読んでもらいたい。
 奴隷のためにも、そして御主人様のためにも、本当に無茶なことはしないで、幸せなSMを楽しんで欲しいと願っている。

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