理系Sの牝奴隷には言えない話
元、”御主人様”だったvetのSMに関するいろんな話。
はじめに

 いらっしゃいませ、とでも書くべきだろうか。とにかく、あなたが見に来てくれたことは素直に嬉しい。ありがとう。

 このブログはSM、男女の主従関係に関することを主に取り上げて書いている。なので少しアブノーマルだ。だから、初めてこのブログを訪れた人は、右側の欄の”このブログについて”をまずは読んで、それに同意できた場合のみ、読み進めて欲しい。

 また、このブログ、少々ややこしい構成になっている。そのあたりも説明してあるので、それも理解してから読んでもらえればと思う。説明を読んで問題がなければ、二度目以降からは以下のエントリーを好きなように読んでもらえればそれでOK。

 AVや他の本格的なSM系サイトなどとは、多少違った視点からのSMの世界を知ってもらえれば、幸いだ。特に読者を指定するつもりはないが、御主人様を探しているM女などにはSMの実態を知るということで、参考になるのではないかと思うので、御主人様を選ぶ前に、SMの世界に飛び込む前に読んでもらえれば嬉しく思う。

 私への意見や質問、相談、その他の話などがある場合には、右側の欄の中段あたりにある”管理人、vet宛メール”のところのリンクから、メールフォームにいき、メールを送っていただければと思う。メールフォームは2つ用意してあるが、どちらから送ってくださっても構わない。また、各エントリーのコメント欄に書いてくださってもいいので、気軽に話しかけてくれればと思う。


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幸一の部屋で、理沙が私に譲渡されることが決まった。

美佳に押し切られたような感じではあったが、私としても別に不愉快だったわけではない。

結果的に、美佳は、私がすべきことを、かなりやりやすくしてくれたと思う。

そういう意味で、美佳には感謝しなければならないのだが、もちろん、感謝の言葉を美佳にかけてやるような私ではない。

御主人様として、それは意地でもできなかった。

それでも、美佳には私の気持ちが伝わっていたようだった。それだけが救いだと思った。


理沙の処遇が決まり、少しホッとしたとき、私が考えたのは、美佳が理沙を受け入れた本当の理由だった。

私がそれまで、他の奴隷を入れることや、他の女を抱くことを考えなかったのは、美佳が居たからだ。

というか、美佳が好きだったからだ。

だから、他の御主人様からスワップなどに誘われても行かなかったし、もちろん風俗などにも興味が向かなかった。

美佳がいればそれで満足だった。

そういう意味では、一匹の奴隷に縛られている、情けないご主人様だったかもしれないが、私はそれを誇りにすら思っていた。

だから、私は、理沙の処遇をめぐる話の中での、美佳の意外すぎる言動に驚き、戸惑うばかりで、美佳の気持ちや秘めた思いには気がつかなかった。

一応、前もって話をし、美佳としての気持ちを聞いていたとはいえ、美佳が積極的に理沙を受け入れようとしたのは予想外だった。

奴隷となる前からそうだったが、美佳は自分の意思をあまりはっきりと前には出さないタイプだ。

そして、奴隷になったらなおさら、御主人様である私の意図を尊重するような姿勢になっていた。

だから余計に、美佳の行動、そしてその原動力となっている、気持ちの切り替えに驚かされたのだった。

ただ単に、同じ奴隷として理沙の気持ちがわかるからだとか、私のことを信じているからだとか、そういうことだけで、ここまで割り切れるものなのか?と私は思った。

でも、しばらく考えるうちに、美佳の真意を理解出来たような気がする。

美佳は、私の美佳に対する気持ちもわかった上で、私に他の女を抱く機会を与えようとしたのではないか?そう思った。

私が性欲が強い男であることを、美佳は理解していたから、それが満足されることを、望んでくれていたのではないかと、私は譲渡が決まった後から気がついたのだった。

美佳がよく言っていた言葉がある。

「御主人様の満足(快感)が私の満足(快感)なんです」

この言葉を言う奴隷は、よく居るだろうと思う、ある意味、定番の奴隷の発言なのだが、それを美佳は実践したのだろうと思った。

美佳は奴隷として、御主人様が一番気持ちよくなる方法は何か?ということを最優先で考えたのだろうと。

その後の言動などから考えても、他の女に対する嫉妬や劣等感、比べられ、捨てられるのではないか?という美佳自身の気持ちが無くなっていたわけではないと思う。

でも、それよりも、御主人様の快感を優先するのが奴隷なのだと、そういう気持ちから、理沙を受け入れることに同意したのではないか?そう私は推察したのだった。

美佳にそれを確かめたことはなかったが、多分そういう理由だったのだろうと私は思う。

奴隷として、御主人様にとって何が満足で快感なのか?それを美佳なりに考えた結果なのだと、私の中では納得させていたのだった。


結局、このような顛末で、美佳が理沙を受け入れることに積極的だったことが私の気持ちを決定づけた。

美佳に背中を押されるようにして、理沙を受け入れることを承諾していた。

そして、私は、晴れて、幸一から理沙を譲渡されることになったのだった。



その日、幸一の部屋からの帰り道、美佳が私に言った。

「今日は、でしゃばってしまって申し訳ございません」

と。

そして、道端に座って土下座をしようとした。だが、それはやめさせて、美佳を立たせ一緒に歩き出した。

その時、私が思ったのは、結局、こういう結果になるのであれば、美佳が理沙を受け入れると言った時点で、私も腹をくくるべきだったのだ。

それができなかったから、こんな面倒な事になったのだと、私は、自分の優柔不断さにあきれ返っていた。

だから、この日の美佳の行動は、私にしては、ありがたかったと言える。そのことに、すでに私は気がついていた。

だが、私は、やっぱり御主人様だった。

だから、奴隷に対して、素直に”ありがとう”などとは言えず、

「奴隷のくせに、本当にでしゃばりだな…」

と、不機嫌そうに言うだけだった。

それでも美佳は、私の気持ちを察してくれたのか、ニッコリと微笑んだ。

でも、口に出しては、

「申し訳ございません」

と、謝っている。

だから、私は、美佳のことを歩きながら抱きよせ、頭を軽く撫でてやった。

普段はあまりしないことだが、そうしてやることが、私にとっては精一杯の感謝の表現だった。


テーマ:支配と服従 - ジャンル:アダルト


とてもとても感動しました。
「御主人様」の気持ちが分かって・・・いつも読んでいて笑ったり勉強になったりしていますが、このエントリーは、ただ感動で泣いてしまいました。
[2010/02/18 20:27] URL | カナタ♀ [ 編集 ]

奴隷の気持ち、と言うのはときに、ご主人様の想像を超えている場合もあって、良く考えないとわからないことなども多く、私などはあまりその場で気が付いてやれなかったような部分もあるので、このときはまだまだ未熟なご主人様だったかもしれません。

奴隷がご主人様のことを必死で考え、それにご主人様も応える。それがうまくいくと、やはり調教などをしていてもスムーズに、かつ、お互いに満足感のあるものになるように思いますね。なかなか、難しいことですが。
[2010/02/23 10:14] URL | vet [ 編集 ]
なんかわかります…
御主人様に前前前の彼女とまたメールしているのを聞いてよりを戻されたら?

と言ったくらいです

前の彼女はわがままで御主人様を都合のいい人扱いにしかうつらなかったので(背が高くとてもキレイな人でしたが)、それならその前の前の彼女の方が本当に御主人様の事を考えてくれるだろう…

一人の女で満足するかたじゃないしそれならまだその人の方がマシかと…

彼女ができても隷裸が奴隷でいるかぎりそばに置いていただけるのだから…

御主人様がたのしければ隷裸はうれしい…
御主人様がしあわせなら満足と思えるようになりました。


未だによりは戻っていないようですが恋愛ゴッコしてるみたいです

[2011/03/11 18:23] URL | 隷裸 [ 編集 ]

他の女性が入ってきているにも関わらず、それでも御主人様が気持ちよければ嬉しいとか、御主人様の満足が自分の満足という心境が芽生えるということは、本当にすごいことだなと思いますし、最初は理解できませんでした。
私も、この時、美佳の様子を見たり、あとで言われたりして、考えて、やっとそういう奴隷の心境を理解というか、なんとか把握していった気がします。
男女関係では、そういう事ってまずありえないと思いますので、主従関係特有の精神状態なのかも知れませんが、奴隷がそこまで御主人様に心酔するという状況、一番最初に経験したときは私はすごく驚きました。
隷裸さんも、そういう心境になられているのですね。本当にすごいことだなと思います。
[2011/03/12 17:02] URL | vet [ 編集 ]

これまで読んで思うのは美佳さんは人的依存症のように感じました。
それに対して管理人さんが勘違いをしてしまっている。
Sさんやご主人様はたまに自分が能力が高くなったって錯覚してしまうことがあるんですが、管理人さんも一時的にこれに陥っているように見えました。
これまで心理学者のキプニスや、リー・ロス、あるいはジンバルドーの実験を通して、こういう罠は誰でもはまってしまうわけですが。
だからこそご主人様は自己を客観的に見られないとできません。
[2014/12/24 21:35] URL | まりさ [ 編集 ]

>まりささん
はじめまして。ブログ、読んでくださってありがとうございます。
心理学的な観点から、私の文章を読んでくださっているようですし、そういう方面にもお詳しそうですね。
私も、美佳との付き合いの時に、かなり悩み、心理学の本を読みあさったり、そういった勉強会なんかに参加したり、大学にいた頃は、心理学の講師のところに、質問攻めに行って、多分迷惑がられていたようにも思いますが、そういうことをしておりました。とはいえ、私は、心理学をちゃんと専攻したわけではないので、素人です。なので、そういう側面から、自分や、美佳を考察することというのは、できません。というよりも、そもそも、考察が目的ではなく、如何に美佳と楽しく過ごすか?が目的でしたので、心理学をどう使うのか?は、かなり違いますよね。
なので、まりささんが、書いてくださったこと、とても参考になります。そういう風に考えたことはあまり無いですので。
私は、美佳との関係が必ずしも、スムーズに行っていたとは思っていません。私の悪い部分、美佳についての認識を間違えていた部分というのは、かなりあったと思います。あの頃思っていたことと、今、ブログを書きながら、考える事で、違う考えに至ることも、ちょくちょく出てきていますので。
なので、まりささんが、おっしゃるようなことも、一つの可能性として、あの頃の私にあったのかもしれませんね。そういうことをご指摘くださって、とても参考になります。

ただ、1つ、私の感情的な話ですが、美佳を人的依存症と言われたことです。それが事実かどうかはわかりません。まりささんがそのように感じられたのであれば、それはそうなのかもしれませんが、これは論理的な反論ではなく、私の感情として、自分が愛した奴隷であり、今でも大切に思い出す人を、そのように言われることは、正直、不快でした。なので、その部分は、とても嫌な気持ちで読みました。私のことをどのように言われても、私は、あまり不快にならないのですが、過去の奴隷のことを、そのように言われると、論理的な思考を抜きにして、とても不快です。
だから書かないでほしいとは言いませんが、私はそのように感じます。
[2015/01/12 00:16] URL | vet [ 編集 ]
返信ありがとうございます。少し遅いですが、新年明けましておめでとうございます。
vetさんを不快にさせるつもりはありませんでした。申し訳ありません。
ただ、話をさせてもらえば、依存性人格障害や人的依存は本人ではなくパートナーさんが、
相手をそういう風にさせてしまう場合もあります。
パートナーさんが気づいているか、いないかに関わらず。
逆にSさんはMさんに従わせつづけることで、自己愛性人格障害に陥る人も多いです。
どこかでパートナーさんを見下したりしてしまうんです。
主従関係である前に相手が人格を持った人間であることを忘れてしまうんです。
本当にSさんに対して心を込めて仕えてくれるMさんって相手に必死で何でもするから、
そこでSさんが万能感を持ってしまったりするわけです。
そしてMさんはSさんに注意はしません。主従関係であり、
奴隷という思いがあるからです。
そして悪い場合はそこから共依存に発展していきます。
どちらもコミュニケーションを取れずに悪い面に気付かないからです。
これも怖いですよ。

vetさんは心理学を学ばれたことがあるのですね。
では、心理学者でカウンセラーだったローラ・シュレンジャーやスコット・ペックとかは読まれますか?
私は好きで読んでますね。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」も良い本です。
ちょっと内容を紹介させてください。そして興味が出てきたら、ぜひ読んでみてください。

<愛について二番目によくある誤解は、依存性を愛とする考え方である。 
これは、心理治療家が日々ぶつからねばならぬ問題である。
配偶者や恋人に拒否されると、自殺を企てたり、その恰好(かっこう)をしたり、またはそれで脅かしたり、
何もできないほど落ち込んでしまう人に、劇的な形でその影響が見られる。
「生きていたくない。主人(妻、恋人)がいなければ生きていけない。それほど彼(彼女)を愛しているんです」 
と彼らは言う。
『あなたは間違っていますね。あなたは夫(妻、恋人)を愛してなどいやしませんよ』 
と、私が言葉を返す---そうすることが多い---と、彼らは怒って言う。
「なんですって?彼(彼女)なしでは生きていられないって今言ったでしょう!」
そこで私は次のように説明する。
『あなたが言うのは寄生であって、愛ではないんです。生きるのに他人が必要なら、あなたはその人の寄生虫なんだ。
それじゃ愛というよりは必要性の問題だ。愛とは自由に選択することなんですよ。
一人でも充分やってゆける人が、一緒に生きることを選んだ場合に限って、
二人は愛し合っているといえるんですよその関係には選択も自由もありませんね。>
スコット・ペックの『愛と心理療法』から抜粋しました。

 
ここまでの話を読んでvetさんはいま、物凄く不愉快な気分だと思います。
もし、私のコメントが気に入らなければ、削除してアク禁にしてください。
ただ、私もvetさんの悩みや苦しみはわかります。
私も経験したことがあるからです。
もし、これらの著書がvetさんの苦悩を少しでも軽減できるのであれば、
私はとても嬉しいです。
[2015/01/14 18:36] URL | まりさ [ 編集 ]
SM愛好者って、やっぱり・・・
SM愛好者と、人格的障害との因果関係は明確に証明されたものではないと思います。
でも、やはりSM愛好者というのは、それ以外の人から観ると、人格的に障害がありそうとか、思われてしまうものなのでしょうか・・・。

vet様も美佳さんも、理沙さんも光一さんも、きちんと自立されていますし、独立して立派に社会生活を営まれているようですので、「共依存」というような事は無いと、私は思います。

vet様と美佳さんは、深く強い愛情で結ばれていて、とても素敵だなと感じます。
vet様と美佳さんの主従関係が「愛ではない」とは、全く、少しも思いません。

けれど、私もSM愛好者だから、そんな風に感じるというだけなのでしょうか。
私は、ご主人様のお幸せのために、奴隷として愛情をもって頑張っていきたいです。ご主人様とは愛情で結ばれていると信じています。
[2015/01/15 02:13] URL | 蕎麦にゃん [ 編集 ]

でも、そうは言ったものの、
後に理沙さんの事で頭が一杯なご主人様に、
「私ではダメですか」と自縛した美佳さんの事を思うと
涙が出そうになる。
彼女がこの関係に苦しんでないわけじゃない。
[2015/01/23 22:30] URL | るるぶ [ 編集 ]
状況によって変わる事だと思います
この記事の当時、理沙さんを受け入れた美佳さん、この時にはきちんと、ご自分で覚悟を決めたのだろうと思います。

・独りぼっちになるかもしれない理沙さんを、助けたい美佳さんの気持ち
・多頭飼いになっても、vet様に、自分が棄てられることはないという美佳さんの強い気持ち

というのを私は感じます。
美佳さんは心優しい女性だと私は思います。

それから一年以上経過して
”後に”「私ではダメですか」と言った美佳さん

1年以上先の状況を正確に予想する事は、誰であっても難しいと思います。

社会生活を送る大人であれば、刻一刻変化する周囲の人間関係の変化に対応しなければならないと思います。
予想外の事に戸惑うことだってあります。
愛情をもつ、ご主人様相手とのことであれば、なおさらです。

正確な未来予測が可能なら、世界から離婚というものが、もっと減ると思います。

”後に”「私ではダメですか」と言った美佳さん

美佳さんのこの時の言葉は、苦しんでいるvet様を見ていたから、出た言葉と、私は思います。
理沙さんも、この時とても苦しんでいることを知っての言葉だったと思います。
美佳さんのこの言葉は、vet様を含めて、周囲の人たちへの想いから出た言葉と、私は想います。
悩んでいるご主人様の役に立ちたいという、奴隷の素直な言葉だと感じます。
[2015/01/24 22:16] URL | 蕎麦にゃん [ 編集 ]

蕎麦にゃん さんの「SM愛好者って、やっぱり」という書き込みですが、
私宛の返信であれば、論点が全く別ですよ。
サディストとエゴイストも本来であれば全く別ものです。
私もSM愛好者の一人だし、でも人格傷害で苦しんでる人たちも見てきました。
反対にお聞きしますが性癖がマイノリティーであることを盾に本当に苦しんでいる患者さんを見下していませんか?
[2015/01/24 22:41] URL | まりさ [ 編集 ]

障害のあるなしを、「区別する事」と、障害がある人を「見下す」というのは、違うと思います。
障害がある人、無い人を同一に扱うことだけが、平等ではないですし、正義でもないと思います。
大切なのは障害がある人、無い人ともに、助け合う事だと思います。

私は、障害がある、なしの「区別」について、言及したつもりです。

SM愛好者には、精神的に障害を持った人が全くいないと思っていませんし、そんなことは書いていません。
[2015/01/24 23:45] URL | 蕎麦にゃん [ 編集 ]

そうですね。お互いに助け合うという蕎麦にゃんさんの意見には同意します。
それはとても素晴らしいことだからです。
ただ、蕎麦にゃんさんがコメントでおっしゃった自立という言葉には二種類があります。
社会的自立の場合は経済的な自立と精神的な自立があります。
そしてどちらかが欠けていると共依存に進んでしまう場合がある。
ところで蕎麦にゃんさんは愛情と依存の違いについてどう思われますか?

恋愛カウンセラーで心理学者のローラ・シュレンジャーは自身の著書の中でこういいます。
「多くの女性が「愛情」と呼んでいるものの実態は、醜く、
彼女たちの「愛情」は、 情熱や将来の期待や幻想や依存心や、
自分ひとりで生きることにたいする恐れの裏返しであることが多い。
本物の愛情とは、尊敬や、感謝や、認めあいや、
愛着や、協力や、名誉などが、時間を掛けて形作っていくものであると」

SM愛好者はただ、純粋にSMプレイを楽しみたいというのであれば、
それは趣味の範疇です。
そしてプレイ時にプレイヤーとしてS役やM役を決める。
それだけの話です。

ですが、それがプレイの範疇を超えて、相手や自分を苦しめるようになれば、
それはSMとはまた異なるんです。
SM自体はただの性癖です。そこを分けて考えないとわからなくなってしまう。

アルフレッド・アドラーは著書である「人間知の心理学」の中でこう述べます。

「すでに幼児期からわれわれは他者とわずかなつながりしか持ってない。家族もわれわれを孤立させている。
われわれの生活様式全体も、人間知や芸術の展開のために絶対に必要な人間の親密な接触を与えてはいない。
それらは、相互に依存しあう二つの契機である。
なぜならばわれわれが他の人間との接触をふたたび見出すことができないでいるからである。
というのも、彼らもよりよい理解が欠けているために、
あまりにも長い間われわれに疎遠感を抱いているからである。
このような知(人間知)の欠如がもたらす重大な結果は、
われわれが隣人への対処や彼らとの共同生活において、たいていは失敗しているということである
人間たちが互いにすれ違い、話がかみ合わず、一致点を見つけられないということは、往々にして際立った、そして厳しい事実である。
というのも、人間たちが、社会という広い枠内だけでなく、家族というきわめて狭い輪においてさえも、互いに疎遠になっているからである
われわれは実にしばしば、親が自分の子を理解できないといった嘆きや、子供たちが親に理解されていないといった嘆きに出会う。
しかしそれでも、お互いが理解し合いたいという非常に強い衝動を感じるということは、人間が共同生活をする際の基本条件に属することである。」

人間というものはアドラー、フロム、フランクルがいうように孤独な存在です。
だから他者とのつながりを持ちたいと願うし、理解したいと願う。

エーリッヒ・フロムは『愛するということ』の中でこう言います。

「人間は自分を、仲間を、自分の過去を、そして未来の可能性を意識している。
そう、人間はたえず意識している-人は一つの独立した存在であり、確かなのは過去についてだけで、
将来について確かなことと言えば、死ぬことだけだ。
人生は短い。人は自分の意志とはかかわりなく生まれ、自分の意志に反して死んでゆく。
愛する人より先に死ぬかもしれないし、愛する人のほうが先に死ぬかもしれない。
人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ。
こうしたことすべてのために、人間の統一のない孤立した生活は、絶えがたい牢獄と化す。
この牢獄から抜け出して外界にいる他の人々となんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう
孤立しているという意識から不安が生まれる。実際、孤立こそがあらゆる不安の源なのだ。
孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮できないということである。」

[2015/01/25 01:29] URL | まりさ [ 編集 ]

まず、私が書きました、1月15日のコメントにおけます趣旨は
私は、美佳さんが人的依存症に該当しないと思っています。
ということです。

理由は

①美佳さんは、ご自身の勤労によって、経済的自立を維持できている
②美佳さんは、大人しい女性であっても、自分の気持ちや考えを、
vet様や自分の友人と、きちんと話し合っている記述が多数ある

上記①②から、美佳さんが人的依存症とは言えないと考えました。

私の考えは、以下(1)(2)(3)の、自分の経験から考えた意見です。

(1)心から幸せだと思える主従関係を経験した
(2)主従関係で挫折した経験もある
(3)障害者(精神を含む)自立支援に関わったことがある

上記(1)(2)(3)の経験が、私の考えの基礎となっています。
私の考えは、医学的、学術的根拠に基づいた意見ではありません。


次に、「愛と依存についてどう考えるか」ということについて
ある対象者が、依存に陥っているかどうか?を判断する、明確な
万能公式のようなものが存在するとは思えません。

ある対象者が依存に陥っているかどうか?を判断するには、
対象者の環境や状況、対象者がどのような立場か、など、対象者に関し、
あらゆる情報を色々な方向から分析検討しないと、判断できないのでは
ないかと思います。
ある対象者が依存に陥っているか判断する、医学的または、学術的な分析法
については、私は知りません。

まりささんが記述している、フロムなどの著書の抜粋についてですが、
私の感想は、至極当然の事が書かれているなと思いました。
私の考えや思想に、特別な影響を与える内容とは、感じませんでした。

まりささんは、ご自身が抜粋している心理学者の著書の内容から、
やはり美佳さんが依存に陥っているという結論なのですか?

まりささんは、美佳さんが依存状態だと、どうしてもお考えなのでしたら、
私とまりささんでは、物事の捉え方が違うという事だと思います。

最後にvet様のブログ全体の印象についてです。
vet様のブログの登場人物は、皆さん、愛に悩んだり迷ったりしていますが、
それでも互いを思いやり、愛を育んでいると感じます。

フロムの著書「愛するということ」で提唱されている、「愛するための技術」に
照らし合わせるならば、vet様のブログの登場人物は、それぞれ悩みながらも、
自然と実践できている部分が多いと、私は感じます。

vet様のブログの文章の裏側には、愛情の基盤があると、私は読み取って
います。

「愛情と性癖が複雑に絡み合った関係」を読み取れるところが、vet様の
ブログの魅力なのではないかと、私は想います。
[2015/01/31 22:58] URL | 蕎麦にゃん [ 編集 ]

>まず、私が書きました、1月15日のコメントにおけます趣旨は
>私は、美佳さんが人的依存症に該当しないと思っています。
>ということです。


蕎麦にゃんさんの「SM愛好者って、やっぱり・・・」の書き込みであれば、
そういう趣旨は見えてきません。
だから私は論点が別だといったのです。
蕎麦にゃんさんはSMという性癖を特別視して、こちらの論点をすり替えているように見えました。
私は性癖と人格障害の話はしてません。むしろ立場の話をしてるんです。
プレイでS役とM役をするのはいいんですが、それが日常的な立場まで及ぶとおかしくなるという話なんです。
主従関係も同じなんです。それがプレイなのか、それともプレイ以外の全般にまで及ぶのかで違ってくるんです。
だから私は、キプニスの権力の堕落や、ジンバルドーの監獄実験の話をしたのです。
別にSM愛好者じゃなくても、こういうことは起こります。権力を持った上司と部下、囚人役と看守役、
ただ、SMというのは他の人間関係と比べると、やっぱりキプニスやジンバルドー実験の関係に陥りやすくもあるんです。
あるいは社会心理学者のリー・ロスの実験にも当てはまる。
後半の人的依存ではないという主張の書き込みは理解できますが、
前半のSM関係の話をその主張の根拠にしているのであれば、それはやっぱり論点が別です。


そして上記の1月31日のコメントの理由ですが、

>①美佳さんは、ご自身の勤労によって、経済的自立を維持できている

これは私が言っている精神的依存というものが抜けています。
1月25日のコメントで言ったように経済的自立以外にも精神的自立というものがある。

>②美佳さんは、大人しい女性であっても、自分の気持ちや考えを、
>vet様や自分の友人と、きちんと話し合っている記述が多数ある

これなんですが、逆に私から見れば主従関係だからという理由で、
vetさん自身が相手との会話を拒否してる記述も多々あります。
美佳さんも同じです。
あるいはご主人様だから、奴隷だから、だから言えないという部分もあるんだと思います。
そこで相手がちゃんと自己開示をして話してくれていると錯覚してしまう。
こういうのを行動経済学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンは「バイアス」と名づけました。

この場合は立場の違いによるバイアスです。人間は正しいと思い込む生き物です。
バイアスとは固執であり、執着であり、思い込みということです。
バイアスが掛かっていると表面的にコミュニケーションが取れているように見えても取れてないんです。
vetさんや他の皆さんのどうですか?過去の経験から思い当たることはありませんか?
勿論、私だってバイアスは掛かってます。あるいは美佳さんは実際には人的依存ではなかったかもしれない。
しかし、同時に人的依存に陥りそうなパターンの記述が多く見られるんですよ。
どちらかが、あるいはどちらもコミュニケーションを拒否していれば、
お互いが分かり合えるわけでもないのです。

「人はみな自分の見たいように世界を見ている」
これはアルフレッド・アドラーの有名な言葉です。
これも先ほど言ったバイアスの話になる。経験則だって同じです。

>私とまりささんでは、物事の捉え方が違うという事だと思います

人間は確かにフレームワークが異なる。考え方も異なりますね。
経験や知識によっても異なってくる。
でも、それはプロタゴラスといったソフィストの詭弁にもなりかねないです。
「相対主義」と呼ばれるものですね。絶対的な基準は存在しない。
確かにそうです。でも、そこでソクラテスは絶対的な基準がないからといって、
そのままにしておくのはどうなのだろうかと考えた。

絶対的な基準はなくても大体の基準、妥当な基準、あるいはより良い基準、
ソクラテスはそれを探そうとしたわけです。
そして、それらを探すのを怠るのを罪だといいました。
「無知は罪ではない。無知なままでいる事こそ罪である」という言葉がそうですね。
ソクラテスの有名な「無知の知」とは、人間は知らないからこそ学び、そして考えるという教えです。
同時に人間は知っていると思い込んでいると学ばなくなる。
そこでソクラテスは問いかけるのです。あなたは本当に知っているのかと。
本当はそう、思い込んでいるだけで実は知らないのではないかと。
そして思い込みで知ることをやめれば、それは傲慢であり、罪であると。

私の話は以上です。

[2015/02/02 20:15] URL | まりさ [ 編集 ]
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[2015/02/07 23:55] | [ 編集 ]


>まりささんへ
ものすごく遅いですが、あけましておめでとうございます。
今年最初のコメントへのお返事が、今日になってしまいましたので、こんなことに…。
本当にすみません。
それで、私としては、不快なことは不快だと書きますが、私が不快なことを、まりささんに書くなという意味ではありませんので、書いてくださってもいいのですけれども、やっぱり、それに対して、私が思ったことはこれからも、正直に書きます。
それと、心理学関係の本を、かなりご紹介いただいておりましたが、私が過去に読んだかどうか、定かではない(心理学に興味があるというよりも、私の場合には、美佳との関係になにか、良い方向に行けるヒントがないかどうかを探したという意味合いなので、誰がこんなことを書いているとか、そういうことは、あまり覚えてなかったりします)ですので、○○さんの本は、読んだことがありますか?という質問には、ちょっと答えられず、すみません。ただ、もう一度読み直せば、おそらく覚えていると思いますので、ちょっと調べてみようと思っていますが、さすがにこれだけ色々と、引用されますと、全部というのは、難しいので、今回の一連のお話で、挙げていただいたものを、時間があるときに、ゆっくりと探してみたいなと思っています。その中にも、今の私にとっても、有益なことってたくさんあると思いますので。
せっかく引用してくださったのに、こんなお返事で、申し訳ないのですが、私は心理学の専門家ではないので、ちょっと、その土俵でのお話をするには、力不足です。
ただ、私は、主従という関係を、恋愛関係よりも、圧倒的に多く経験しています。そして奴隷と過ごした時間、奴隷と交わした言葉、奴隷が見せた表情や態度など、そういうものは、印象深く、頭に焼き付いているものがとても多いです。
私が、主従関係や、奴隷の心境を考えるときの原点というのは、心理学の本に書いてあることではなく、実体験としての、奴隷との交流の経験です。それしか無いと言ってもいいので、論理や実験に裏付けられたものではないので、心理学的な立場から検証した場合に、考えの足りない部分も多いかと思いますが、私は、私なりの立場で、これからも、ブログに書くでしょうし、コメントへのお返事もさせていただくと思います。
具体的な話ではなく、私の立場を書いているだけなので、ちょっとお返事として、良いのか?と思いながら書いているのですが、お話がかなり進んでしまいまして、また、蕎麦にゃんさんとのお話になっておられるようで、ちょっと追いつけなくなってしまったというのが、正直なところです。


>蕎麦にゃんさん
お話に加わってくださってありがとうございます。私は、制限したつもりはなく、コメント欄はみなさんに開放しているつもりなのですが、やっぱり、”私と、皆さん”のお話という構図になりがちです。それはそれでいいですし、私もそういうお話も楽しみにしておりますが、訪問してくださった方同士で、お話をしてくださることも、嬉しく感じています。蕎麦にゃんさんが、まりささんとご意見を交わし合うというのは、私としては、コメント欄をそのように使って頂いてもいいと思っていたことですので、遠慮無くそのようにしてくださったこと、とても嬉しかったです。
また、蕎麦にゃんさんが、ご主人様との関係から、ご意見を書いてくださったということ、蕎麦にゃんさんが、ご自身の立場をはっきりとさせて、書いてくださったことで、とてもわかりやすく感じております。
ただ、まりささんへのお返事でも書きましたように、お二人のお話になって来ておりましたので、私として、具体的な話というのは、今回はしないことにします。
もちろん、蕎麦にゃんさんの、奴隷の立場からの意見というのも、とても貴重なものとして、拝見させていただきました。ありがとうございます。



>まりささんと、蕎麦にゃんさんへ
このエントリーでの、コメント、最初は、まりささんと、私とのお話でしたが、蕎麦にゃんさんと、まりささんで、お話が進んでおられたようなので、その部分に関しては、触れないでおきます。
コメント欄を使って、訪問してくださる方同士がお話をしてくださるのも、私は大歓迎ですので、今回は、お二人のお話を拝見するという立場を取らせていただきますね。本当は途中で私も絡みたかったのですが、仕事の納期などで忙しくしておりまして、タイミングを失ってしまいました。その点が残念です。
もちろん、全部、読ませていただきましたので、お二人のお話について、私の思いだけ、最後に書かせてください。

私としては、美佳については、何らかの精神的な症状を持っていたとは思っていないですし、また、自分が注いだ愛情や、美佳が私に向けてくれた気持ちを信じたいという思いでおります。
ただ、今、冷静に考えてみた時に、それがどんなものであったのか?という客観的評価は、私の中での「こうであって欲しい」という思いと、必ずしも一致するものではないことは、そうだろうなと思っています。
そうは思っていますが、それでも、やはり、私は、あの時の関係というか、お互いの気持ちというか、愛情がきちんと存在していたことを、信じていたいなと思っています。
あの時の気持を整理するという、このブログの意義からすると、少し矛盾した考え方かも知れませんが、私の気持ちというのは、そういうものです。


>るるぶさん
理沙とのことで、私が悩んでいた時期、美佳が、真に幸せに私の奴隷でいられたのか?ということは、私も考える部分です。
美佳にも、色々な気苦労をかけていたと思いますし、もっと根深い部分で、気持ちを抑えて過ごしていたり、苦しんでいたところもあったかもしれません。
ただ、私の感じ方ということだけではありますが、あの時の美佳というのは、私を上回っていた気がします。
私の奴隷ではありますが、悩んでいた私を守りたいと思ってくれたいたように思います。そういう態度とか、言葉なんかが、色々なところで、聞けました。ブログに全部書くことはできていませんが、美佳らしくない美佳をあの頃は見ていたように思っています。
それが、美佳にとって幸せな状況ではなかったかもしれませんが…。あの時の美佳というのは、私には、今でもわからない部分が結構ある状態ですね。
ですから、るるぶさんが、おっしゃるように、苦しんでいたかもしれません。


>2015/02/07 23:55にコメントくださった匿名希望さんへ
コメントありがとうございます。
上記、まりささんと、蕎麦にゃんさんへのお返事として、書いてしまった部分が殆どになりますが、このようにお気遣いいただいてありがとうございます。とても嬉しかったです。
[2015/02/13 23:08] URL | vet [ 編集 ]














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このブログについて

著者:vet

 ※このブログには、エロ動画やエロ画像、官能小説のようなものは一切無いが、内容が内容なので、SMや主従関係という、恋愛の形に不快感を覚える人、違う世界の話だと思う人などはすぐにブラウザを閉じて、このブログのことは忘れるように。

 私は以前、牝奴隷を飼っていた元”御主人様”。でも、今は飼っていない。奴隷を手放した経緯とか、過去の奴隷の話、そのときの気持ち、奴隷への想い、今だから考えられること、言えること。書きたいことを書きたいままに綴るブログ。
 また、今、これを書いている私の現状について、ご質問を頂くことが結構あるので、それについては、
 ◆私について
というカテゴリの中に、”現状の私”というエントリーにして書いておいた。このカテゴリには、私自身のこと(私の好みや、調教の方針など)をメインに書いているエントリーを入れてあるので、興味のある方がいるかどうかは分らないが、もしも気になるなら、見ていただければと思う。

 SM話はストイックになりがちなので、多少軽いタッチのコラムも交えて書いてみようと思う。奴隷を飼っていない今だから書ける御主人様の本音などをできるだけわかりやすく、そして正直に。今、奴隷になっている牝や、御主人様を探しているM女なんかには、御主人様の側の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ちなみに、私は理系的な思考傾向なので、考えすぎることが多く、そのために、なにやらややこしいことになることも多々ある。そのあたりも笑って読んでもらえれば、幸い。

 メールやコメントなども楽しみにしている。気軽な恋愛話、気楽なSM話から、SMや主従関係のこと、Mであることなどについての悩みや、相談、質問など、真面目なお話まで、どんなことでも、しっかり伺おうと思っている。恥ずかしいとか、こんなことを言っては変に思われるのではないか?とか、考えることもあるかも知れないが、私は、それなりに長くSMや主従関係の世界に居たので、それほど驚くことは無いと思うし、他人と変わっていることでも、変だとは思わないできちんと伺うつもりなので、メールやコメントは、遠慮せずに送ってくださればと思う。

 リンクフリーなので、気に入ったら、好きにリンクしてくださればと思う。言っていただければ、私からもリンクするので、そういう意味でも気軽に声をかけてもらえれば幸い。

 このブログは、私が奴隷と過ごした日々を時系列で綴った続き物の話と、SMに関するちょっとした小話や、SMに対する私の考えや体験、見聞きした面白い話題などを個々に書いた単発物のコラムとが混在している。

 続き物の話は、エントリーの題名に第何話という番号が書いてあり、以下のカテゴリにまとめてある。
 ●最初の奴隷
 ●二匹目の奴隷
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 ●四方山話:1エントリーでひとつの話
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 単発物のコラムの中でも、SMの技術的な話だけは別にしてある。それは、
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